第2話:悪霊仕分

 西野先生をベッドに移し、保健室を出ることにした。サリーちゃんが言うには、一度ビンタした悪霊はしばらく弱ったままだそうで、あと数時間はおとなしくしているらしい。部屋の隅で丸まったままの悪霊と一緒にしておいても、害はないだろう。

 逆に言うなら、あと数時間のうちになんとかしないと、キリがなくなってしまうということだ。どのみちもうすぐ日が暮れてしまう。幸い麗らかな五月の日が長い時期だが、あと一時間――下校時刻の六時半を回った頃にはだいぶ薄暗くなるだろう。暗くなってから悪霊の相手をするのは、精神的にきつすぎる。

 僕らは状況を整理するべく図書室に向かった。そこなら一冊ぐらいはインドについての本が置いてある。僕も美浜も社会科の勉強をまじめにやっている方ではないので、サリーちゃんの話に手ぶらでついていくのは厳しい。

 図書室は静かなもので、司書のじいさん(名前なんやっけ)が一人で事務仕事をしている他に、人も悪霊もいなかった。社会科の棚を見ると、ちょうど一冊インドについての分厚い本があったので、それをパラパラめくりながらサリーちゃんの話を聞くことにした。


 僧侶のバラモン、王族のクシャトリヤ、富裕層のヴァイシャ、一般大衆のシュードラ。インドのカースト制は大雑把に分けるとこの四階級で成り立っているが、さらにその下には不可触民と呼ばれる階級がある。日本で言うところの穢多非人と似たようなもので、屠殺業や人糞の回収など、人がやりたがらない仕事に従事している人々だ。

 サリーちゃんの父方の先祖はバラモンの高僧で、お祓いを仕事にする霊能力者の家系なのだそうだ。お祓いといっても死人を祀るのではなく、生きた人間を相手にしていたらしい。

 例えばクシャトリヤの家系の女の子がシュードラの男にレイプされたとする。シュードラの男が逮捕されて刑務所に入っても、クシャトリヤの女の子は救われない。周りから『穢れた女』として扱われ、同じクシャトリヤ階級の他家からは相手にされず、嫁の貰い手がなくなってしまう。そこでサリーちゃんの父親の出番だ。彼が女の子をビンタして悪霊を目に見える形で追い出すことで、女の子はようやく『穢れた女』ではなくなるのだ。

「なんか、腹立つな」と美浜が言う。「なんで男が悪いのに、ビンタまでされなあかんねん」

「男がビンタされることも多いですよ」とサリーちゃん。「父の仕事のほとんどは、下層階級の売春婦を買った男たちの掃除でした」

「なんなん……ほんま」

 サリーちゃんになんでも打ち明けてと言っていた美浜だが、打ち明けられても簡単には受け止めきれない理不尽さを感じているようだった。

 僕は正直ピンと来ない。あまり、真剣に考えたことがないからだろうか。男だとか、女だとか。僕にとっての性欲とは古本屋に転がってるちょっとえっちな青年漫画のことなのだ。あと美浜の太もも。

「ってことは」と僕。「悪霊とはつまり、下層階級とふれあった記憶とか、実感とか、そういうもんなん?」

「もっとワイドでダイレクトなものです」とサリーちゃん。「ヘイトレッド……憎悪です。父は人間の中に溜まった憎悪を、雑霊と一緒に追い出しているんです」

 サリーちゃんが言うには、生きている人間には誰でも百を越える雑霊が取り憑いているらしい。死人の残滓や水子の同胞、動物霊や生霊までが渾然一体になって人間の魂を裏から支えているそうだ。

「父はそのうちの一体に憎悪を無理やり押し込めて、魂の群れから追い出しているんです」

「憎悪の塊か……。でも、僕が取り憑かれたときに感じたのは、わっけ分からんぐらい強い性欲やったけどな」

「性欲には愛情と憎悪が入り混じっていますから、不思議ではありません」とサリーちゃん。「私は父が追い出してきた悪霊をたくさん見てきましたから、それが分かります」

 ――あの気持ちは憎悪だったのだろうか。たしかに憎悪が混ざっていたような気もするが、階段に置き去りにしてきた今となってはよく分からない。隣に座る美浜を見つめると、美浜は怯えてテーブルの向こう側に回り、サリーちゃんの隣に座りなおしてしまった。

「気にしすぎないでください」とサリーちゃん。「ヒンドゥー教において、憎悪とはシヴァ神がもたらす根本原理のようなものです。何も憎まずに生きていく人は、心の中に沸き起こる何もかもを否定することができなくなって、ただの雑霊の容れ物になってしまいます。自我の形成には憎悪が必要なのです。だからこそ、追い出されると呆けてしまうのですけれど」

 中畑と西野先生が気を失っているのはそのせいか。

「そういやなんで僕は平気なん?」

「それは、水島先輩がチャイルドだからじゃないですか?」と、サリーちゃんは微笑んだ。「大した自我じゃないのでしょうね」

 あ、ドキッとした。なんか分かった。なるほどこれが性欲か。いじわるなことを言われてイラッと来た気持ちが、驚くほどスムーズに甘酸っぱさへと変わっていく。

「サリーちゃん……」テーブル越しに手を握ろうとしたら、美浜が横からぴしゃりと叩いた。

「こら、あんたがさわるな言うてるやろ」

「芽生え始めた人の憎悪を邪魔するな」

「はぁ? あんたさっき誰の太ももつかんでたと思ってるねん節操なし」

 美浜はテーブル越しに蹴ってくる。これもまた愛なのだろうか。

「ん、でもちょっと待って」と美浜は蹴るのをやめる。「ということはや、今学校に出てる三匹の悪霊って、サリーちゃんが殴ったから、ああいうふうに見えるようになったってこと?」

「そうですね」とサリーちゃん。「父の先祖は職業柄、追い出した悪霊を目に見えるように細工していますから」

「ほんなら、そもそもの原因は目に見えへんねんな。いったいなんなん? さっき地霊がどうとか言ってたけど」

「これだけ同じ場所で悪霊が発生するとなると、地霊としか思えないのですが、確証はありません」とサリーちゃんは首を振った。「地霊に限らず、人に影響を与えるあらゆる霊的な要素を、ヒンドゥー教ではまとめてヴィシュヌと呼んでいます。シヴァが自我を司り、ヴィシュヌは環境を司ると思ってください。今回の騒動はヴィシュヌに原因があるようなのですが、詳しいことはまだ分からないのです」

 本でヒンドゥー教についてのページを確認する。

 ヒンドゥー教の主神は三柱だ。破壊と創造の神シヴァ、変化と調和の神ヴィシュヌ、存在そのものであるブラフマー。それぞれを人間に引きつけて考えるなら、サリーちゃんの例えは妥当なように思える。『自我』のシヴァ。『環境』のヴィシュヌ。ブラフマーは、さしずめ『体』そのものというところか。

「しかし、原因を見つけたところで」とサリーちゃん。「私にはそれを解決する方法がありません」

「なんで? ビンタ一発で追い出せるやん」

「追い出して、そのあとは?」とサリーちゃんは切なげに言った。

「そのあとは……その、えっと」美浜は言葉に詰まっている。「あ、そうや。サリーちゃんのおとんはどうしてたん。憎悪の塊を、人間から追い出したあと。おんなじように処置したらええんちゃうの」

「父は、母になすりつけていました」と、サリーちゃんは言った。

「え……?」


「追い出した憎悪は不可触民になすりつけるんです」


 図書室が、静まり返った。

「母は日本からやってきた入信者です」サリーちゃんは言葉を続ける。「ヒンドゥー教において、入信者は必ずシュードラとして扱われます。しかし母はとある不可触民の医者と結婚し、不可触民の家に入りました。医者といっても教育を受けていない、昔ながらのまじない医です。三年もたたないうちに、母は自分が誰と結婚して、何を失ったのかを実感として理解しました」

 司書がぽちぽちとキーボードを叩く音が、厭に目立つ。

「母は日本でうまく暮らせなかった人です。祖母が仏教系の新興宗教に嵌ってしまい、反発して家を出たあとは、水商売をしながら各地を転々として。やがて借金を作って首が回らなくなり、言葉もろくに分からないままインドに逃げてきました。優しくしてくれる男と結婚してはみたものの、インドとヒンドゥー教に馴染むにつれて、不可触民と結婚したことを後悔するようになりました」

 うっかり感想を挟めないようなきつい話だが、

「なんでインドに逃げたん?」

 なんの相槌も挟まないのも、それはそれで空気が重い。

「はっきりとは分かりませんが、母は子供の頃、よくインドに旅行したそうなのです。祖母が信仰していた新興宗教は原理主義的というか、釈迦の昔に回顧する小乗仏教的なもので。ともかく釈迦に近づくことが大事だったそうで、その思い出の名残かと」

「でも仏教には反発してヒンドゥー教に入信したんか。複雑やな」

「複雑です」とサリーちゃんは頷く。「そして不幸な人です。やがて夫のまじない医も麻薬の密売で刑務所に入ってしまい、途方に暮れた母は街で物乞いなどして無気力に暮らしていたようです。そこを、父の下男に拾われました」

 連れて行かれたのはバラモンの家の秘密の地下室。

 サリーちゃんの母親はそこで座敷牢に閉じ込められ、様々な上位カーストの連中から追い出された悪霊と引き合わされた。行き場をなくした悪霊たちは手近な肉体を求めてサリーちゃんの母親に取り憑き、やがて、混ざり合う。

「なんでその流れで夫婦になるんかさっぱり分からん」美浜は眉根を寄せて、不満げだった。「うちがサリーちゃんのおかんやったら切れて暴れるけどな」

「母にしてみれば、座敷牢での暮らしはぬるかったそうです。父に除霊を頼むようなバラモンやクシャトリヤは、ちょっとしたことでも憎悪を感じる人たちですから」

 彼らは下層階級らしき人間が自分と同じ店に入ってきたり、恥知らずにも訪問販売をしてきたり。人によっては犬に吠えかかられただけでも、穢れたと思い込んで憎悪を溜めこんでしまうらしい。

「性的な悪霊も、若い頃から体を売っていた母にとっては我慢できる程度のものだった、と本人は言っていました。本当のところは分かりませんが」

 ……ダメだ。ついていけそうにないな。怒りたいし怒るべきなんだろうけど、想像力の限界だ。下級階層の女とやった後になんか不快になって逆ギレしてお祓いを頼むような男の憎悪をなすりつけられる気持ち……か。

「母は、どれだけの悪霊をなすりつけられても、うまく怒ることができなかったそうです。人間の感情はだんだんすり減っていくもので、慣れと飽きに勝てる悪霊などない。飢えや乾きのような肉体的な苦痛が一番辛い――と言いながら座敷牢の中でご飯を食べて何年も暮らすうちに、父は母のことを……」

「うー、そこが分からん。なんやねんあんたのおとん」と美浜は頭を抱える。「言うたら悪いけど拉致監禁の犯罪者やん。不可触民になら何してもいいと思ってるバラモンなんやろ? なんでそこから一足飛びに子供作ってるん」

「父はバラモンであることを否定したくなったと言っていました」

 サリーちゃんは自分の右手と左手を交互に見つめる。「実際、父はもう、シヴァやヴィシュヌに祈りすら捧げていません。六年ほど前に母と幼い私を連れてイギリスに移住し、今は企業向けの語学の講師をして暮らしています」

「なんかそれも勝手な話やなぁ」と美浜。

「ってことはサリーちゃんイギリス育ち?」と僕。

「ロンドンのダウンタウンで暮らしていました」とサリーちゃん。「日本に来たのは、母を探すためです。母は二年ほど前に行方をくらませました。日本に渡ったことだけははっきりしているのですが、足取りが掴めないのです。手がかりを求めて母の故郷に引っ越してきたのですが、今のところは何も」

 ――つまり、親の再婚が云々と書かれていた新聞部のインタビュー記事はほとんど丸ごとデタラメということか。事情を知ってみると、切ない嘘だな。

「それもどうなんやろな? 逃げるんやったらサリーちゃんと一緒に逃げたらええのに。あーもー、むしゃくしゃする」

 美浜はけっこう悪霊吐き出すタイプかもな……。いや、待てよ。それならなんであのとき――と思ううちに、ふと閃いた。

「なあサリーちゃん。まとめると、サリーちゃんの能力は、右手で悪霊を追い出すこともできるし、その追い出した悪霊を左手で捕まえて、べつの人になすりつけることもできると。そういうことなん?」

「はい」

「一応聞いておくけど、なすりつけられるのは、人だけ? 例えば物とか動物とか」

「物には魂がないので、容れ物になりません。動物も感覚器官が違いすぎて、役に立ちません。ブラフマーが拒絶してしまうのです」

「なんなん、なんか思いついたん?」と美浜が口を挟む。

「一つ気づいたことがあってな」僕は二人に説明することにした。「今回の事件、悪霊に取り憑かれた人によって、症状が異なるんや。一番分かりやすいのは保険医の西野先生。本音毒づいて大声で喚き散らしてたやろ。憎悪が周囲の環境要因に向いてしまう、いわば外向型ヴィシュヌやな」

「うるさかったなぁ。あいつ絶対性格ブスやわ」と美浜は自分のことを棚に上げる。

「次に中畑。あうあう呻いて空見てるだけで、おとなしいもんやったやろ。西野先生とは逆に、周りのことなんか一切気にしてなかった。あれもしかしたら、自分に腹立てて自己嫌悪で苦しんでたんちゃうかと思うんや」

「自己嫌悪?」

「うん。いわば憎悪が自分に向いてまう内向型シヴァや。溜め込んで溜め込んでそのまま鬱なったり自殺するタイプ」

「でも、中畑に取り憑いてた悪霊って、全身傷だらけの、いかにも人を恨む理由がありそうな……」

「それは知らん。今僕が話してるんは、悪霊の姿形やなくて、取り憑かれた人間の症状の分析なんや。少なくとも西野先生と中畑の苦しみ方が違ってたんは同意できるやろ?」

「そうやね」と美浜。

「私も異存ありません」とサリーちゃん。

「で、残るは僕や。憎悪が体の欲求、エロに結びついてしまう、変態型ブラフマー。周りに当たり散らしもしなければ、自己嫌悪で呻くこともないお上品なタイプの魂や」

「何がお上品やねん」と美浜が蹴ってくる。「言っとくけどな、襲われたんがうちやなかったら、今頃あんたレイプ犯になってたかもしれんねんで?」

「まあそれはそれ。ともかく三つのタイプがあるわけや。それだけ分かったら、解決できるんちゃうかと思うんやけど」

「どうやって、ですか?」とサリーちゃんが身を乗り出す。やる気があるようで何よりだ。

「プランAから説明しようか。まずは学校中で暴れている全ての悪霊を、サリーちゃんが追い出して捕まえて僕に移す」

「水島先輩に?」

「そうや。そしてその結果とんでもなく膨れ上がるであろう僕の性欲を、美浜が頑張って処理する。まあ、ベッドの中で三日三晩ぐらいイチャイチャしたらどんな悪霊でもおとなしくなると……痛い。痛いです美浜さん痛いです」

 思わず敬語になってしまうほど的確な蹴りがすねに何発も飛んできた。

「却下や」

 美浜は親指を下に向けた。「プランBは?」

「ないわそんなもん」と肩をすくめる他はない。「どうせ押し付けるなら変態型ブラフマーが一番マシやと思うだけや。外向型ヴィシュヌは人殺すかもしれんし、内向型シヴァは自殺するかもしれんやろ」

「マシでもなんでもないわ。それ、結局学校中の憎悪引き受けてるのうちやん」

「二人の愛で世界を浄化しよう」

「なんやねんあんた、さっきから恥ずかしいこと」美浜は冷たい目つきで睨んでくる。「うちのこと好きなんか?」

「さっき抱きついてから好きになったかもしれん」特に太ももとか。

「それ、勘違いやで。どう考えても悪霊のせいや」と美浜は冷たく否定した。

「ふうん、あっそう」人が告白してるのになんやその態度、腹立ってきたな。

「ほんなら今思いついたプランB」いっちょかまかけたるか。「学校中の全ての悪霊を変態型ブラフマーの美浜に集めて、その結果とんでもなく膨れ上がるであろう性欲を僕が頑張って――」

「な、なんでうちが変態型やねん!」

 美浜は急に顔を真っ赤にして立ち上がった。「う、うちは、うちは外向型や! さっきからずっと怒ってるやんか!」

「焦りすぎやろ。分かりやすいな」今度は僕が冷笑する番だ。「さっき保健室で乾いたシワだらけの悪霊が背中に半分食い込んどったとき、美浜は特に怒りもせんと、背中丸めて怯えてたやろ。ってことは外向型ヴィシュヌやなくて、内向型シヴァか変態型ブラフマーや。今の反応からして、変態型ブラフマーで決定やけどな」

「うちは……うちは……」

「美浜が怯えてたんは悪霊やなくて、いきなり沸き起こってきたわっけの分からん性欲やったんちゃうか? ほんまのこと言うてみ?」

「そんなん違う!」

 強気に言い返してくるのをもっとねちねちいじめるつもりが、美浜は半泣きになって机に突っ伏してしまった。「違うもん!」

「水島先輩」サリーちゃんの静かで怒りに満ちた声が図書室に響く。

「美浜先輩に謝ってください」

「ごめんなさい……」

 威厳すら感じられる後輩の宣告。ただただ恥じ入るばかりだ。悪ノリしすぎた。

「美浜先輩も、水島先輩に対して、ちょっと甘えてるように思います。水島先輩の憎悪を期待するような真似は慎むべきです。さっきから遠慮なく蹴りすぎです」

「そ、そんなもん期待してへん!」

「だったら、憎悪を招くような行為は慎むべきです。人に暴力を振るう時は、これくらいなら、なんて甘えずに、真剣に叩くべきなんです。そうでなければ悪霊が増長してしまいます」

 サリーちゃんは右手のビンタを空中に空撃ちしながらそう言った。

「……分かった」

 美浜はしばらく両手で涙をぬぐっていたが、やがて決然とした顔つきになった。

「やったるわ。うちからプランCを提案する」

「ほう、プランC」あるのか、そんなものが。

「基本的にはプランAと同じや。学校中の悪霊をサリーちゃんが集めて、水島くんに押し付ける」

「ふうん、そんでエロエロになった僕をどうしてくれるん?」

「うちが絞め落とすわ」

 美浜は両手をクイッと交差させた。「気絶させた水島くんをどっかその辺の神社かお寺に連れていってお祓いしてもらえばええねん。馬鹿正直に性欲の相手なんかしてられへんもん」

「むちゃくちゃやな。そんなに絞め技に自信があるんか?」

「もちろんや。襟絞めからチョークスリーパーまでなんでもござれ」

「ほんなら頑張ってな。ああでも、僕たぶん必死で抵抗すると思うから、失敗してエロいことされても美浜の自業自得やで」

「し、失敗なんかせえへん! でもその、学ランやとちょっとやりにくそうやから、事前に脱いでちょっとダボッとしたシャツ着といてな」

「ほんなら僕を脱がせるところから頑張って」「自分で脱げって言ってるやん」「どうしてもってお願いするんなら脱ぐわ」「そんなんするか、あほ」「わがままやな。なんの譲歩もなく人を脱がせようとは、甘いんちゃうか」「譲歩ってなんやねん」「美浜が一枚脱いでくれたら僕も脱ぐわ」「はぁ? なんでそうなんの。一枚脱げって、脱ぎようないやんセーラー服なんやから」「ほんなら僕も脱がへん」「ごちゃごちゃ言わんと脱げや男やろ」「セーラー服じゃなくても他に脱げるものがあるやろ……?」「ま、まさかパンツ脱げて言うてるん?」「美浜がパンツ脱いだら僕も学ラン脱ぐわ」「なにそれ不公平」「ほんなら僕もパンツ脱ぐわ。それで公平やろ」「公平……? かもしれんけど、ええと、ちょっと待って頭こんがらがってきた」

「ストップフラーティング」

 サリーちゃんは右手を素早く動かし、テーブルの上の僕と美浜の手をつついた。黒いホコリの塊のような悪霊が僕と美浜から追い出され、テーブルの上をころころ転がっていく。

「お二人とも、落ち着いてください。頭がすっかり悪霊にやられていますよ」

「どうもあかんな」照れ隠しに耳のあたりを掻いてしまう。「さっき除霊してもらったばっかりやのに、もう新しいのが体に溜まり始めてるんか」

「うー」美浜は顔を真っ赤にして呻いている。「頭おかしくなりそうや」

「地霊の溜まりの速さが尋常ではありません」とサリーちゃん。「やはり大本を断たなければ、解決は難しそうです。変態型に全ての悪霊を押しつけても、後から後から湧いてきて、キリがないでしょう」

「プランは全て却下か」

「お二人が恋人同士なら、プランDもありますよ」とサリーちゃん。「学校に祭壇を築いて、清めの結界を張ってからその中に入ってもらい、ガネーシャを呼び出して夫婦和合の儀を執り行ってもらいます。湧き出す悪霊のことごとくを二人の体を通して愛に変えて無害化するのです」

「へえ、デメリットないし、それでよさそうやん」

「あとに子供が残るのが難点といえば難点ですが」

「絶対いや」と美浜は頑なに首を振る。「この歳で子持ちなんて冗談じゃないわ。オリンピック選手なられへんやん」

「まあ、そやな。恋人でもないし、そろそろこのネタ引っ張るのやめよか」あんまり真剣に美浜に振られ続けるのも辛いしな。

「対処療法がダメとなると、やっぱり原因を突き止めないとしょうがないんか。なんか手がかりないん?」

「地霊が特定の場所にあふれる原因は、たいていの場合、戦争や天災です。その場所にゆかりのある人間たちが、短期間のうちに一度に死んで、ろくに埋葬もされない、という場合、行き場をなくした魂がひとところに集まって、今回のような騒ぎになります」

「戦争や天災……?」

 首を傾げざるを得なかった。ここは平和な北大阪の住宅街だ。

「心当たりはちょっとないな」

「だとしても、最近亡くなったこの学校の縁者が原因だとは思います」とサリーちゃん。「魂というのは、善かれ悪しかれそのうち転生するものです。砂場にいくら水を足しても、そのうち砂に飲み込まれるようなものだと思ってください。だからこそ、洪水のような今の状況は異常なのですが……」

「何かよっぽど悪いもんを溜め込んだ卒業生が、ついさっき死んだってことか」

「個人のレベルでここまでの災厄を引き起こすとなると、尋常な悪霊ではありません。気を引き締めてかからねば――キャ!」

 サリーちゃんは突然悲鳴を上げて、口元を手で覆った。視線の先を追うべく振り向くと、司書のじいさんがカウンターの上に仁王立ちをしていた。

 ふるちんだった。

「あれも変態型ブラフマーか」美浜は拳を握りしめて立ち上がった。「目ぇ覚ましたる」

「やめとけ。あんなじいさん殴ったら骨折れるで」

 僕らはすぐさま図書室から退散することにしたが、サリーちゃんは去り際に、律儀にじいさんをビンタした。出てきたのは潰れた頭の悪霊で、首と胴体はなく、代わりに頭のそこかしこから手足が何本も生えていた。そのほとんどが毛むくじゃらの、男のものだった。

「えぐいな……」

 側頭部がひどくへこんで、縦長に潰されている。砕かれた顎は閉じることができず、飛び出した目玉は何を見ることもない。車か列車に頭を轢き潰されたのだろう。

「この様子では、学校中の人々はもう……」

 サリーちゃんは小さく首を振った。「もう、手遅れかもしれません」

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