3歳の年 翡翠の満月

「満月の夜、雅ですねぇ」

床の軋む音が聞こえる。さあ、正念場だ。

「お目覚めですか、若様」

静かな声だ。固い声とも表現できるだろう。

私の世話役の1人、翠月はそこに立っていた。

「そりゃあもう、こんな魅力的な姿を晒すお嬢さんとの逢引きですもの」

普段のように薄汚れていない、手入れがしっかりとしている服。

が平安時代にすでに存在していたことには驚きだ。

しかし、仮説が正しいのならば、そこまで不思議ではない。

「……そんなことを言われたのは初めてです。

皆、卑しいと馬鹿にしてきましたから」

そもそも、顔を出すことがまずアウトという価値観ですし。

……少し、声が柔らかくなったかな?

「ま、この時代では是非もないでしょうね」

仕方ない、で言葉が通じないので古い言葉を使う。

こんなのが多々あるので面倒極まりない。

特に頭脳をフル回転させている時に出てこられたらたまったもんじゃない。

「ええ、ついでに言えば、この姿を見せた者で今生きているのはあなただけです」

ふふ、余裕綽綽、か。

無理もない、私は今現在3歳児でしかなく。

ずっと一緒にいたから、意味は良く通じているが。

「おや、それは?それとも」

遮られる声。

「私は暗殺者、主の道具に過ぎません」

牽制のように、忠告のように響いた。

「だから、長く話をするつもりなどありませんよ」

……上出来だ、迷いが生まれる前に押し通されたらジ・エンドだったし。

さて、こちらも。

「一応親族でしょうに、まったく、環境の違いがここまで厄介とは」

とある家系図。

そこにはある家との血縁関係が記されていた。

そして、数ある中から最近『断続した』ことになっているのは。

「親族。この私を親族とおっしゃるか、あなたは」

意外そうなその顔。ああ、それが見たかった。

「ここまでヒントがあって気付かない方がおかしいというもの」

そう、家系図の中だけでなく、普段の生活から溢れた違和感。

「参考に聞かせていただきたいですね」

よし、

「なに、情報さえあれば簡単なこと」

そう、簡単なことだ。

知っていさえすれば、知ることができるならば。

問う、最早必要ない確認を。

「貴方の主、つまりは橘氏長者はですね?」

「そうですが」

即答、そしてこの平安時代における何よりの不確定要素。

「当然のことながら、この時代で女性が政治に口を出す正当な権力はない」

そんなことはできない。ましてや橘氏長者という利権の塊。

それを得ようとするハイエナはいくらでもいる。そして、

「ではなぜ、本来全力で立ち塞がるはずの親族の反対がないのか?」

親類の不自然であるが

この時代で

「答えは抑えつけているからです、ほかならぬあなたが」

暗殺、そう、

「見せしめ、といったところでしょうね」

手段を選んでいられなくなる何か、沼に嵌まり込む切っ掛け。

「親しい者に危害を加える、なんとも悪人が考え付きそうなことです」

トリガーとなったその事件を、知っている者はいた。

根拠もなければ突拍子もない噂の中、煙がたったその場所を少し深く掘り下げる。

そうすればほら、平民であっても貴族であっても、には快く答えてくれる。


「あなたは、旧き血族、それも大伴家ですね?」

大伴翠月おおとものすいげつ、それがこの娘の本来の名。

亡貴族家の生き残り。闇に身をやつし、生きてきたのだろう。

「そこまで、良く知っています」

落ち着いている。最早否定はない。

「姫でさえ、まだ知り得ないのに」

姫、恐らくは橘氏長者のことだろう。

「しかし、今の大伴は伴ですらありません」

そう、氏を失う、奪われるということは、すなわち貴族ではなくなるということ。

強者から弱者への転落。悲惨さは想像できない。

「大伴、そして物部といえば、飛鳥時代前期の2大軍事家」

日本という基盤を作り上げていた時代。

400、300年前に栄華を誇っている。

「物部は外を、そして大伴は中を」

物部家は国軍のような組織的な矛を。

大伴家は警備隊のように密接な盾を。

なれば、楯に仕込んだ毒は、にさぞ効くことだろう。

「近衛団や親衛隊などの中に紛れるならば、なるほどよく考えている」

暗殺という針、それをバレずに行う技量。

まさに天晴れ。


「まあ、伴といえど分家のまた分家でした」

とはいえそれなりの力はあった。橘が親類にいるのだから。

「だから、闇に浸かることすら、躊躇うことなく?」

家業としてすでに確立されているなら不思議ではない。

仕事として割り切っているのなら、だから。

「逡巡はしました」

……ああ、理解したよ。

「それでも、許せはしなかった」

……まだ、燻っているんだね。


「復讐ですか、また面倒な」

ごめん、翠月。

「あなたになにがわかる!」

怒ってもいい、恨んでくれて構わない。

「ふふふ、さあ?」

僕は君に酷いことをするよ。

「なっ」

さあ。

「当然でしょう?」

やっぱりこの仮面ペルソナは剥がせない。

「あなたは、私をいつでも殺せたんだ」

ああ。

「でも、しなかった。むしろ隠そうとさえした」

それでも突いていく。

「それは、命は監視だったから」

たじろいだところでもう遅い。

「いや?恐らく危険そうなら殺せと命が下っているはず」

もし、私が権力者なら、自分の地位を脅かす人間は排除する。

その手段は持っているのだから。命令すればいいだけだ、だとしたら。

「監視といっても定期的な連絡はできる、でも臨時の連絡はできないでしょう」

でも、それが信頼の上にあるなら決定的な権利は任せる、

「極めつけは一昨日ですが」

気を張れ。

「鎌をかけられた、と?」

感づかれたら終わりだ。

「確信を持ったのは、、ですよ」

そう、うっかりから気付いた、違和感の正体。

「いつも通りに振る舞った、それがあなたの迷いを意味する」

決定的に露出した、矛盾。

「違う、私は自分の暗殺に自信が……」

揺らいでいる、さて、止め。

「——あら、見苦しいわよ翠月。私たちの敗け」


……来た。よりも早い。

女性、十二単と共に纏うその覇気。


「……まさか、ご本人にお越しいただけるとは」

察するに余りある、紋入りの袖。

あいだに吹く風に、が香る。

「あら、顔も見ていないのに?」

完全な確信をもって、断言できる。

「その覇気で大体は、初めまして、橘氏長者」

だ。

「初めまして、橘道貞、私が、橘満姫みちひめよ」


「気軽にお姉ちゃんとお呼びなさい」


………………は?

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