第8問

 以下の文章の( )に入る言葉を答えなさい。

『女性は( )を迎えることで第二次性徴期になり、特有の体つきになり始める』



 榊千穂さかきちほの答え

『初潮』


 教師のコメント

『榊さんは運動神経もよく、保健体育に関しては何の問題もありませんね』



 篠崎紫緒里しのざきしおりの答え

『夕飯はトマト鍋』


 教師のコメント

『テストに集中するように』



 東城裕貴とうじょうゆうきのコメント

『男』


 教師のコメント

『あとで職員室まで来なさい』



――――



 明くる日、登校中にイケメンから呼び出しのメールが送信されてきた。

「東城くん……なぜ来てくれなかったんだい?」

 当然、行っていない。

 朝のHRに遅れてやってきたイケメンは、HRが終わった後で俺の元にやって来る。

「酷いじゃないか。二人だけで話がしたいって言ったはずだよ」

「え? だって、気持ち悪いじゃん」

 何が悲しくて男二人で密会をしなければならないのか。

「いいから、来てくれ。本当に大切なことなんだ」

 半ば無理矢理、教室の外に連れて行かれる。

「なんだよ、告白とか言ったらゲロ吐くぞ。それと俺は金の貸し借りには、うるさいぞ」

「宮野さんのことだ」

「あ? 宮野がどうしたんだ?」

 宮野は教室にいる。廊下まで移動した理由は、彼女の目を気にしているためなのだろうか。

 昨日イケメンが宮野を睨んでいたことを思い出し、嫌な予感がする。

「正直言いにくいことなんだけど……おそらく、宮野くんはFクラスのスパイだ」

「はぁ?」

 ついに頭がおかしくなったか。

「何言ってんだよ、イケメン。そんなはずねぇだろ」

「信じてもらえないだろうが、おそらく僕の考えは間違ってないよ」

「なら、証拠は?」

「ない。けど考えてみてくれ。昨日のFクラスの動き……奇襲からの流れは、僕たちの行動を知っていたとしか思えない」

 言われてみれば、Fクラスの動きには一切の無駄がなかった。中央拠点を挟撃したときの井川は、手薄な本陣に見向きもしていない。

 しかしそれがどうしたというのか。

 相手は一郎だ。いくら一郎が馬鹿でも、優秀なゲスであることに代わりはない。他人を貶める方法を考えさせたら、あいつの右に出る者はいないだろう。

 だから、一連の計画は一郎ならやりかねない。むしろ宮野を裏切り者として仕立て上げるところまで、奴の計画に入っていても不思議ではなかった。

「バカも休み休み言えよ。じゃあな」

「ああ! ちょっと!」

 呼び止めてきたイケメンを睨む。

「しつけぇな。俺は、宮野を信じる。あいつが裏切るはずがないからな」

「……その言葉、いずれ後悔することになるよ」

 なぜイケメンが宮野を敵視するのかは分からない。

 だが味方を疑うような真似を、ましてや宮野を疑うことは絶対に出来なかった。

 むしろ俺からすれば――

「おまえがスパイだったら、良かったのにな」

 まさか俺に疑われるとは思っていなかったのか、わずかな瞬間ではあるがイケメンは悲しそうな表情をする。

 普通の人なら罪悪感を抱いてしまうかもしれない。

 だが、こればかりはイケメンの自業自得だ。イケメンが宮野に向けている猜疑心を、俺がイケメンに向けただけのこと。

「そこは心配無用だよ」

 イケメンは表情を屈託のない笑みに変える。

「僕は、Fクラスが大嫌いなんだ」

 このとき、清々しいほどに言い切ったイケメンに、薄ら寒いものを感じた。



――――



 試召戦争二日目。

 戦争再開のチャイムが鳴り響くと同時に、防衛拠点と中央拠点を取るための部隊がスタートダッシュを決めた。

「予定の拠点はすべて確保!」

「よしっ! それを本陣まで伝えろ!」

 昨日は本陣前の防衛に身を甘んじていたが、今日は中央拠点で敵を待ち構える。

 ここまでは順調な立ち上がりだ。

 昨日の奇策によって戦力を大幅に削られているものの、まともに正面から戦ったらこちらが断然有利となる。

 すでに、渡り廊下の防衛拠点では小さな衝突が始まっていた。本気での攻撃ではないことから、何か企てているのだろう。

「東城ぉ、このまま全員で突貫すれば勝てんじゃねーの?」

 中央拠点にいるクラスメイトが話しかけてくる。

「いや、Fクラスの教室前で足止めされて、代表代理が逃げられたら厄介なことになるぞ」

「あー。相手を追っかけて、本陣を薄くしたら危ねーか」

「そういうことだ」

 昨日のような奇襲がないことに気が緩んでいるのか、中央拠点にいるメンバーの口数は多かった。目の前の防衛拠点が安定しているせいもあるのだろうが、油断は禁物だ。

 恨まれ口を覚悟で、集中するように注意しようとした――その矢先。

「あれ!? 防衛拠点を何人か抜けたっぽい! こっちに来るよ!」

 中央拠点メンバーに緊張が走る。

「ここを通すな!」

「東城のくせに偉そうに命令すんな!」

 正面、五人ほどの敵小隊がこちらに接近してくる。

 その小隊の先頭にいるのは――

「走り抜けるにゃー!」

さかきか!」

 井川と同じく、榊にもAクラス並みの得意科目がある。

 保健体育――その科目で榊と戦うことは絶対に避けなければならない。

 だが、榊の近くに保健体育の教員はいなかった。

 何かを企んでいるのだろうが、中央拠点で戦闘に入ってしまえばこちらのもの。

 中央拠点に手配している科目は英語。マグレでも点数を稼ぎにくい科目だ。

「Aクラス、藤間道輝ふじまみちてるです! 英語の科目で、Fクラスの榊千穂さかきちほさんに戦いを――」

 宣言途中、榊は『何か』を取り出して地面に叩きつけた。

「にゃにゃー! 矢神特製ケムリ玉にゃー!」

「なにぃ!?」

 白煙が壁となって押し寄せる。

 視界はゼロとなり、突然の煙幕に中央拠点の面々は冷静さを失った。

「げほげほっ! ――さ、試獣召還サモン!! Fクラスに戦いを挑む!」

 誰かが叫ぶ。だが煙の濃度が高く、隣にいたはずのクラスメイトの顔さえも判別が付かない。

「にゃー? 誰と誰が戦うのかにゃ? あたしたち、馬鹿だから分からにゃーい!」

「ちょっと!? 勝負しなさいよ! 反則でしょ!」

 試召戦争の原則として、戦いの拒否は生徒の即時退場となる。

 だが、それには大きな穴が存在した。

 戦闘開始宣言をするときは、互いが召喚可能の領域に存在しなければならない。裏を返せば、召喚可能の領域に相手がいなければ宣言として認定されない。

「榊! やってることがグレーゾーンだぞ!」

『保健体育の先生との合流完了にゃー! 本陣に直行にゃー! にゃにゃにゃにゃにゃー!』

 隣を通り抜ける気配がするものの、それが誰なのか分からない。Fクラスは誰か一人を生け贄として中央拠点に残っているだろうが、他のメンバーは素通りして行くだろう。

 まずい……!

 イケメンの保健体育の点数は、Aクラスでも真ん中あたりだ。下手をしたら榊の方が上かもしれない。

桜橋さくらばし! ここを頼む!」

 中央拠点にいる女子生徒に、この場を任せる。

「はぁ!? なんでよ! あんたがどっか行ったら、ここの指揮は誰が――」

「イケメンによろしく伝えとくから!」

「私に任せなさい! 騎兵隊でもスパルタ兵でも、ぶちのめしてやるわ!!」

 うちの女子は、なぜこうも逞しいのだろうか。

「往生せいやぁあああああっ!」

 頼もしい雄叫びを背に、Aクラスの教室まで移動する。

 教室内では、すでに榊たちの召喚獣が顕現していた。

「にゃにゃー! ユッキー、こっちに来たかにゃー!? でも、もう遅いにゃー!」

 戦闘宣言は終えているらしく、イケメンの召喚獣の姿があった。

「にゃにゃにゃ! 大将、討ち取っちゃうにゃー!」

 榊とイケメンの点数差は大きい。そうであるのにも関わらず、イケメンは涼しい顔をしていた。

「そうはさせない。みんな、手筈てはず通りに頼むよ」

『『『おうよ!!』』』

 イケメンのかけ声に応じたのは、Aクラスの親衛隊――ではなかった。

 が、雄々しい声と共に榊の召喚獣に刃を向ける。

「すまんな、榊……! ここで死んでくれ!」

「はにゃ!? にゃかま同士にゃのに、にゃにするのにゃ!?」

 仲間の裏切りに、榊は半狂乱になって驚く。

「悪いね、榊さん。僕が、突入メンバーを買収させてもらったんだ」

「にゃにー!? にゃんて卑怯にゃー!?」

「このタイミングの奇襲は実に読みやすかったよ」

 まるで種明かしをするように、イケメンが話し始める。

「昨日の猛攻で、僕たちは戦力と士気が駄々下がりだった。僕がFクラスなら、ここで王手を打ってくると睨んでね。その手を封じさせてもらったんだ」

「うわっ! 買収とか、イケメンきたねぇな!」

 イケメンのイメージダウンのために仰々しく叫んでおく。

「東城くん、君に習っただけさ。それに背に腹は代えられないからね。やれることはやるつもりだよ」

 イケメンはギラギラとした目つきをしていた。そこに女子生徒たちが黄色い歓声を上げる。イケメン、そこ代われ。

「ああ、ちなみに君と違って、僕はしっかりと報酬を与えるよ。人間、しっかりと想いを伝えれば、誠意のある応えが返ってくるものだからね」

『女子の連絡先……!』

『女子との出会い……!』

『女子と結婚……!』

 Fクラスの裏切り者たちが、狂信者の目と同じものになってやがる。

『『『榊、覚悟ー!』』』

「にゃにゃー!」

 多勢に無勢とはこのことだろう。王手をかけていたはずの榊は、あっさりと戦場から退場した。

 裏切り者たちは、イケメンから連絡先を受け取り、踊り始めている。

「それでは、俺たち裏切り者部隊は身の安全のため、補習室に行ってきます! ご武運を、イケメン大総統!」

 敬礼をして、裏切り者たちは戦線離脱した。清々しいほどのクズっぷりだ。


『うへぇ……あいつらから、もうメールが来た。着信拒否しとこ』

『お友達から始めさせてください? 赤の他人で終わらせてください……っと。送信完了』

『このお方、突然求婚してきたのですが……え? このアドレスは、とやらに転載しておけば良いのですか? お相手は殿方に? わかりました』


 イケメンの誠意を、クラスメイトの女子が見事に踏み潰していった。誠意って伝わらなければ意味がないよね……。

「さて、東城くん」

「いや、さてじゃないと思うんだが……」

 今晩あたり、裏切り者たちが血涙を流しながら、藁人形に釘打ち機を乱射すると思うんだが……。

「さて、東城くん。そろそろ攻めに行こうか」

 無視ですか。そうですか。

「攻めるって、なにをしますの?」

 防戦以外の戦術は想定していない。宮野が目を白黒とさせて、話に入ってきた。

「これで試召戦争を終わりにするのさ」

 イケメンが薄く笑うと、再び黄色い歓声が。くやしい、俺が笑うと女子から睨まれるだけなのに……!

「実はね、敵に偽の情報を流してあるんだ。本陣の守りを固めるために、二階の防御を薄くしてある、ってね。奇襲が失敗した今、相手はこちらの戦力を削ぐことに専念するから、手薄なところに戦力を向けるだろう」

「いつの間に、そのような準備を……?」

 宮野の反応に、イケメンは微笑する。それはまるで、してやったり、とでも言いたげなものだった。

「向こうは、こちらが保守的な行動に出ると思っているだろうから、防御面は手薄にしているはず。そこを狙うんだ」

 イケメンの独断行動は気に入らなかったが、それでも相手には大きな隙を作ったことには変わりない。

 これは好機だ。

 不意に、紫緒里と格闘ゲームをしていたことを思い出す。

 油断をした瞬間、勝負が決まった一戦。

 あのときの屈辱を紫緒里に返してやろう。

「突入部隊の要はもちろん東城くん、君だ」

 肩を強めに叩かれる。

「いいかい? 大打撃を与えるだけでは駄目だよ。ここで決めるんだ」

「言われなくても、んなこと分かってるよ」

 昨日は散々してやられた。今日はその倍返しだ。

「だ、駄目ですわ! ここで東城さんがやられた場合、戦況は大きく傾きますわよ!?」

「そうだね。だから、君も一緒に戦ってくれ。そうすれば彼の存命率は高くなる」

「……っ!」

 突然の指名に驚いているのか、宮野は言葉を詰まらせた。

「嫌かい? それとも何か理由があるのかな? としての意見なら僕は受け入れるつもりだけど」

「いえ、その……」

 イケメンの問いかけに、宮野は困惑している。

 この躊躇は恐怖によるものなのか。覚悟によるものなのか。それとも――やましさ、なのか?

「……やってやりますわ」

 宮野の首肯に、俺は胸をなで下ろした。

「よしっ、宮野! 俺の背中は任せたぞ!」

「……ええ、勝ちましょう」

 イケメンが手を叩き、クラスメイトの注目を集める。

「さあ、やっと僕らの攻撃だ! たまった鬱憤を晴らしにいってくれよ!」

 次々にイケメンが指示を出していく。

 決して高くはなかった士気が、イケメンの快活な声音によって急上昇する。

 クラスメイトたちのやる気が目に見えて分かると、自然とその高揚感は俺にも伝播した。

 勝てる。

 この勝負、これで終わりに出来る。

 そうしたら俺は過去を取り戻せるんだ……!

 紫緒里の喜ぶ顔が目に浮かぶ。

 絶対に、あの笑顔を曇らせてはいけない。

「よっしゃあ! みんな、やってやろうぜ!」

『ああ! やってやろう!』

『たかがFクラスじゃない! 簡単よ、簡単!』

『散っていった奴らのためにも、ここで俺たちがFクラスを叩きのめすぞ!』

 コロシアムに轟く雄叫びのように、皆が声を張り上げる。

「みんな聞いてくれるかな! 東城くんを筆頭に、十名での突撃を予定している! 電撃戦だから、戦闘の長期化は避けること! 逃げてもいい! 悪いけど、自己犠牲を厭わない素直な人が良い! 僕の好きなタイプだ!」

 最後の一言で、女子の入れ食いが決定した。

『絶対に、ゴミ城さんをFクラスに永住させてみせます!』

『宗像くんのためにゴミをゴミ箱に入れてみせるわ!』

『dust to dust!(塵は塵に!)』

 あれ? ゴミ掃除の話になってない?

「あぁ、それと東城くん。君だけに伝えておきたいことがあるんだ」

「やだ」

「そうは言わずに……ごにょごにょ」

 イケメンが耳打ちするも、その内容は俺にとって杞憂でしかなかった。



――――



「今だ! 行けっ!」

 俺たち突入部隊は、敵の防衛ラインを正面突破する。

 Aクラスの攻勢はやはり予想外だったらしく、Fクラスの防衛拠点は想像以上に脆くなっていた。

 しかしそれも仕方のないことだ。敵の倍以上もある人数と点数は、まさに数字の暴力でしかない。

 あっという間に、渡り廊下の防衛拠点は瓦解した。

 士気の高まったクラスメイトたちの動きは、召喚獣にも伝わり、格段に強くなっている。

 いまや突入部隊を止められる者はいない。

 ただし、俺には気にかかることがあった。

『良い調子だぜ、ゴミ!』

『今日はちょっとかっこよく見えるわね、ゴミ!』

『ゴミ! これが成功したら誉めてあげましょう!』

 いつの間にか俺の呼称がゴミに変わっている。

 女子から見直されてるはずなのに、なんで俺……泣いてんだろ?

『敵の中央拠点に、矢神薫やがみかおるを発見! 注意して!』

「よぉ! 東城ちゃん! 突撃とは味な真似をしてくれるじゃんか!」

 機械工作の鬼、矢神薫と数名の敵が立ちはだかる。

「――試獣召喚サモン! だけど、ここで終わらせてやんよ!」

 こんなところで足止めを食らうわけにはいかなかった。

 仲間に矢神を任せることも出来たが、ここは俺が出た方が早い。

「Aクラス、東城裕貴! ――試獣召喚サモン!」

 キーワードを唱えた瞬間、眼前の床に魔法陣が出現する。

 そこから生み出されるのは、憎たらしいほど俺に似ている召喚獣。

 動きやすいラフな服装。その両腕に籠手こてが装備され、拳打の攻撃を主とすることを示している。


『 2-A   東城裕貴  VS  2-F 矢神薫 & 大森宇希夫おおもりうきお江口誠司えぐちせいじ

 現代国語  377点   VS       48点 &   51点   &  66点 』


「さっすがは東城ちゃん! だけどねぇ! こっちは三人! しかも、点数の合計はこっちの方が上なんだよね!」

「矢神……。おまえ、算数すらまとも出来ない頭になっちまったのか……」

 こんな奴が本当にAクラスの機材に細工したとは思えない。

「あれ? そうだっけ? あっはっはっはっ! 気にしない気にしない!」

「どうでもいいが、さっさと来いよ。三人まとめて相手してやる」

「いいねぇ! その自信! それなら……お望み通り、ぶっ倒してやんよ!」

 同時に三匹の召喚獣が襲いかかる。

 いくら点数差があると言っても、三匹相手では劣勢だ。

「普通の生徒なら――の話だけどな」

 三匹の攻撃を、俺の召喚獣はヒラリと躱す。

「まずは一人」

 避けるついでに、一匹の頭に拳を叩きつけた。

 トリプルスコアを越える攻撃力は、豆鉄砲と大砲くらいの差があるのだろう。一撃を食らわせただけで、江口誠司の召喚獣(66点)はピクリとも動かなくなった。

「江口っ!? くそっ! よくも!」

 大森の召喚獣(51点)が一直線に接近してくる。召喚獣の操作に慣れていないのか、攻撃のタイミングが遅い。

 その様は、まるで喧嘩の仕方を知らない子どものようだ。

「二人目――!」

 隙だらけの顔面を殴りつける。

「最後は――矢神ぃ!」

「いいねぇいいねぇ! 東城ちゃん! さすがだよ!」

 召喚獣の装備はトンファー。くるくると手で弄ぶ様子から、召喚獣の操作技量は、先の二人よりも遙かに高いだろう。

 召喚獣が突撃してくる。

 リーチは向こうが上。

 だが――こちらの武器は籠手だ。

 トンファーの攻撃を籠手で受け止める。流れる動作でトンファーを掴み、引っ張った。

「っ!? さすがは――『観察処分者』だねぇ!」

 相手の召喚獣が、前のめりに傾く。

「違ぇよ」

 矢神はバランスを保とうとしたが、すでに遅い。

 打ち上げるように繰り出した拳は、矢神の召喚獣の顎を穿つ。

 宙に浮く召喚獣。

 やがて、その矮躯は重力の呪縛に囚われ、地面に叩きつけられた。

「元・観察処分者だ」

 一拍の間。

 静寂が過ぎ去った後には、突入部隊の歓声が湧いた。

『さすが、ゴミ!』

『やるわね、クズ!』

『変態っっっ!!!』

 Aクラスのみんな、暖かい声援ありがとう。あと最後の奴、顔を覚えたからな。

「うひゃー! 召喚獣に、そんな細かい操作が出来るんだ! やるじゃん!」

 好奇心旺盛な気性のせいか、矢神は敗北を悔やむことよりも俺の召喚獣の動きに驚いていた。

「観察処分者は伊達じゃないねぇ!」

「だから、元だって言ってんだろ」

 三ヶ月という短い間だが、俺は記憶を失う前まで『観察処分者』という鹿のみに与えられる役職を務めていたらしい。

 この観察処分者の召喚獣は他の召喚獣とは大きく異なる特徴がある。それは物に触れられることだ。

 通常の召喚獣は、安全面の理由から人を始めとして一切の物体(地面や床などを除く)に触れることが出来ない。

 だが、観察処分者は教員から雑用を押し付けられる役職であり、重い荷物などの運搬役を召喚獣に任せるために物体への干渉を許可されている。

 必然的に他の生徒よりも召喚獣を扱う機会が多く、操作技量の上達に繋がった。

 当時の記憶を失っていても、その過去の経験は身体が忘れていない。

「絶対に……勝つぞ」

 中央拠点の先には、敵の本陣がある。

「進めぇ!」

 行く手を阻む雑魚を蹴散らし、俺たちはFクラスの突入に成功した。

 教室内には八人。奥にいるのは――紫緒里と一郎だ。

「ふんっ! まさかここまで来るとはな、さすがだぞ裕貴!」

「……さすがです」

 本陣に攻め込まれても、二人が動じる様子はなかった。

「よう。紫緒里、一郎。勝ちにきたぞ」

 教室の立会人を確かめる。

 科目は――数学。

 主将である紫緒里が最も得意な科目であり、その点数はAクラスに匹敵する。

『Fクラスの親衛隊は私たちがなんとかするから、ゴミは敵の大将を討ち取りなさい!』

 心強い罵倒(間違いではない)を受け、俺と宮野は篠崎兄妹と対峙する。

「Fクラス篠崎一郎である俺様が、Aクラスの東城裕貴に――」

 不意打ちの宣言。俺を紫緒里と戦わせないための行動だ。

「やらせませんわ! Aクラス宮野麗華! わたくしが、その勝負! 受けて立ちますの!」

「宮野、助かった!」

「いいから、早く宣言を!」

「……急ぐ必要はないです」

 紫緒里の闘志は、静かに燃ゆる。

 射殺さんばかりの眼光は、普段よりも更に輝いていた。

 純粋で、まっすぐな瞳。それは俺だけを映した。

「……Fクラスしのざきしおり、Aクラスとうじょうゆうきに勝負を申し込むです」

 高揚感が腹の底から湧き起こる。

 紫緒里の目を見れば、全てが分かった。

 俺と紫緒里は、同じことを考えている。

「行くぞ、紫緒里!」

 絶対に負けたくない。


「「――試獣召喚サモン!!」」


『2-A   東城裕貴   VS  2-F  篠崎紫緒里

  数学     421点    VS        578点  』


「……点数は、しおりの勝ちです」

「っ! なんつう点数だよ!」

 紫緒里対策として数学を中心に勉強していたが、それでも150点以上も差が開いている。

「ふははははは! 裕貴! 貴様の運命は決まったも同然だな!」

 一郎が豪快に笑った。

 悔しいが、点数は紫緒里の方が優勢。一郎が勝利を確信するのは当然だろう。

「一郎さん……!? なんという点数ですの!?」

 俺と同じく、宮野も驚きの声を上げている。宮野の視線は、一郎のテストの点数に釘付けだった。

 一郎もやるときはやる男だ。数学に専念して点数を取っていることから、下手したら俺よりも遙かに――


『2-A   宮野麗華    VS  2-F  篠崎一郎

  数学     375点    VS        6点  』


 やる気ないだろ、こいつ。


「東城さん、勝ちましたわ!」

「さすがは馬鹿だ! 宮野、こっちの助力を頼む!」

「待て待てぇい!! まだ戦ってすらいないだろうが!!」

 たかが一桁で勝負になるとでも思っているのだろうか、この馬鹿は。

「正直申しますけど、その点数はドン引きですわ……」

「……同じ血が流れていると思うと死にたくなるのです」

 味方からも後ろ指を差されている一郎。

 このときだけは、紫緒里とFクラス全員に同情した。

「一郎、やる気ある?」

「あるに決まっている!」

 まじかよ、あったのか……。

「ふん! Aクラスの雑魚どもめ! ここまで来れたことは褒めてやろう! だが、ここが貴様らの墓場だぁ!」

 結果は目に見ているので、俺は倒すべき相手に意識を向けた。

 ――篠崎紫緒里。

 戦国時代の足軽のような格好をした召喚獣は、雑魚にしか見えない。

 しかし、目の前には絶望が浮かんでいた。

 578点。

 悪夢としか言いようがない数字だ。

 二年生では誰も太刀打ちできない。

 だが。

「負ける理由にはならねぇな」

 いかに点数が高くても、観察処分者である俺にはイニシアチブがある。

「悪いが、紫緒里。ここは勝たせてもらうからな」

「……ゆうき、しおりは絶対に負けられないです」

 これ以上の言葉は必要なかった。

 先手必勝。故に――疾走。

 紫緒里の武器は槍。

 リーチが長ければ、その分だけ生じる隙は大きい。一度でも懐に飛び込めてしまえば、一瞬にして勝負を終わらせられる自信があった。

 俺の召喚獣の動きは、紫緒里の予想を大きく上回っていたのだろう。

 紫緒里は俺の接近を許し、あっという間に槍を振るえる距離を失っていた。

 拳の一撃。狙うは胸部。

「……ひっかかった、です」

 紫緒里の召喚獣の動きを、俺は注視していなかった。

 確かに、槍を振るえる距離ではない――が、槍の尾には石突きと呼ばれる打撃を主とした加工がしてある。

 俺が懐に飛び込んでくることを予想して、石突きでの攻撃を準備していたのだ。

「しまった――!」

 石突きが俺の召喚獣の胸を穿ち、突き飛ばす。

 点数が削れる。大きいダメージではないが、好機を逃したことで状況は不利に傾いた。

「……っ!?」

 槍の穂先――刺突。

 空気を射抜き、紫緒里の槍が迫る。

 転がるように回避。だが、相手の追撃は続く。

 こちらの動きを予見するように、紫緒里の攻撃は的確に急所を狙ってきていた。

「しおり、おまえ……!?」

「……言ったです! しおりは負けられないです!」

 紫緒里の気迫は召喚獣の動きとして現れる。

 熟練の兵士のように一撃一撃が重く、鋭い。致命傷を避けるので精一杯だった。

「このっ!」

 攻撃のわずかな隙間に、反撃を試みる。

「……無駄です!」

 いなされ、弾かれ、躱された。

「……ゆうきの攻撃は、もう見えてるです!」

 こちらの動きが完全に読まれている。

 それに加え、召喚獣の操作技量は俺と同等のレベルに匹敵した。

 俺は三ヶ月も観察処分者をやっていたというのに、紫緒里は試召戦争のわずかな時間で、同じ位置――いや、もう追い抜かれてしまった。

 手にしていたはずのイニシアチブは、こぼれ落ちている。

 点数も、

 操作技量も、

 精神面も、

 ――紫緒里には勝てない。

 圧倒的すぎる。

 記憶力こそ絶望的だが、紫緒里の吸収力は常人の域を凌駕する。

 根っからの天才。それが篠崎紫緒里という異端児。

「東城さん!?」

 俺の召喚獣が防御姿勢のまま、吹き飛ばされる。


 負けるのか……?


 遠くに見える紫緒里の表情は、どこか憂いを帯びている。

 また、悲しい表情をさせてしまった。

 このまま負けてしまったら何も変えられない。紫緒里の悲しい顔を何度も見てしまう。

「俺だって、負けらんねぇんだよ……!」

 紫緒里の絶対的な才能を屈服させる。

 そのためには、どうすればいい?

 見つけ出せ。

 見い出せ。

 ひねり出せ……!

 テストで点数を取ることしかできないスッカラカンの頭をフルに使え!

 最悪な状況を見ろ。そこに答えがあるはずだ。

「……ゆうき、もう無駄です」

 紫緒里の切ない瞳。

 いつも、紫緒里の瞳は俺じゃなくてを見ている。

 正直言って、そのことに腹が立っていた。

 ここにいるのは俺だ。

 昔の俺じゃなくて、今の俺を見ろ。

 ――俺は嫉妬しているんだ、過去の俺に。

 だから。

 今の俺にしか出来ないことを、紫緒里に見せ付けてやる。

 大きな流れを変えるほどの力。

 紫緒里を倒す唯一の方法――

「……終わりです、ゆうき」



 ――すでに見つけていた。



「紫緒里、ひとつ良いことを教えてやるよ」

 小さな輝きが目に灯る。

 それは、過去の俺には絶対に宿すことのない希望だ。

「……負け惜しみです?」

「いいや、勝ち台詞だ」

 召喚獣に装着された腕輪が光る。

「高得点を取れた者の召喚獣には、特殊能力が扱えるってこと。おまえ忘れてただろ?」

 それは高火力の炎であり、それは電光石火の一閃であり、それは――勝利の一撃である。

「――!?」

 紫緒里は、咄嗟に召喚獣を退かせた。

 知識はあったのだろう。しかし紫緒里は忘れていた。

 回避の反応は当然遅れる。

 既知の攻撃ならば、紫緒里は眉一つ動かさずに対処できただろうが、未知の攻撃を避けることは誰であろうと不可能だ。

 この特殊能力は――攻撃力を持たない。

 ただし、この一撃は相手を束縛する。

 召喚獣は拳を握りしめた。

 殴るのは敵ではなく、地面。

 ぐらり、と地が揺れる。

 その振動は相手の動きを一時的に行動不能にさせた。

「……そんなっ!?」

 紫緒里の召喚獣は身動きが取れない。

 さあ。走れよ、俺の召喚獣。

 決めてやろう。

 ありったけの一撃で。

 ありったけの想いを込めて。

 この戦争に終わりを。

 この気持ちに終止符を。

 この――拳に乗せて!

「……っ!!」

 紫緒里の召喚獣は、地を転がった。

 俺は点数の残量を確認する。


『2-A   東城裕貴   VS  2-F  篠崎紫緒里

  数学    288点    VS        39点   』


 点数を消耗した一撃では、わずかに届かなかった。

 紫緒里との戦いはまだ終わっていない。

 だが、この戦争の結果は既に出ていた。

「東城さん、こちらの制圧は終わりましたわ」

 Aクラスの仲間が、紫緒里を取り囲む。

「終わりだな、紫緒里」

「……まだ終わってないです」

 四面楚歌となった紫緒里だったが、それでも闘志が揺らぐことはない。

 しかし紫緒里がいかに奮闘したところで、この圧倒的な戦力を覆すことなど不可能だ。

「あのな……紫緒里――」

「紫緒里、条件をつけて降伏しませんか?」

「宮野……?」

 不意な提案を出したのは、宮野だった。

「……嫌です!」

「わたくしが、宗像さんが言っていたを取り除くように交渉しますわ。だから――降伏しなさい」

「例の条件……? なんだよ、それ?」

 宮野はこちらを見るが、気まずそうに目を逸らした。

「……負けてないです! まだ、しおりは負けてないです!」

「――っ! 状況を見なさい! これでまだ勝てると思っていますの!?」

 真剣な顔で、宮野が怒鳴り散らす。その必死さから、まるで宮野自身が追い詰められているかのように感じられた。

「宮野の言うとおりにしとけよ、紫緒里。この勝負は俺たちの勝ちでいいだろ?」

「……負けてない! しおりは、負けないです!!」

 思わず目を疑った。

 ボロボロと流れる涙が、紫緒里の頬を伝って落ちていく。

 なんで……泣くんだよ。

 それほどまでに俺に負けたくなかったのか?

 いくら負けず嫌いといえど、大袈裟すぎないか?

「やだ……! 絶対、嫌です! 勝つ、です! じゃないと……じゃないと! うぐっ……ひっぐ!」

「……紫緒里っ!」

 宮野も苦しそうな顔をしている。

「やだ……やだぁぁああ!」

 子供のように泣き始める紫緒里。

 異様な空気が教室を包む。

「ああもう! なによ、たかが試召戦争でしょ!? 負けを認めないなら、わたしが終わらせるわよ!」

 クラスメイトの一人が、居心地の悪さを感じたのか、無防備な召喚獣に刃を向けた。

 紫緒里は愚図り声を上げ、すでに召喚獣の操作を放棄している。

「お、おい。待ってよ」

「うっさい! 馬鹿は引っ込んでなさいよ!」

 刃が持ち上げられた。

「これで、終わりよ!」


 ざくり


「……は? え?」

 全員がその光景を凝視している。

「何してんの――宮野さん?」

 宮野が、クラスメイトの召喚獣を突き殺した。

「こんなの……間違ってますわ……!」

 奥歯を噛みしめる宮野の表情は、苦痛に歪んでいた。

「どいつもこいつも、馬鹿ばっかりですわ……!」

「やめ――っ!」

 宮野は次々と仲間を斬り捨てていく。

 突然の裏切りに、クラスメイトは狼狽えているばかりで、為す術もなく討たれていった。

「ですから! わたくしも馬鹿になりますわよ!」

 凶刃は俺の召喚獣にも向けられる。

「やめろ! 宮野!」

「やめませんわよ! これが、わたくしのやりたいことですの!」

 籠手と刃がぶつかり合った。

「敵だったのかよ、宮野! 俺は、おまえだけは味方だと――」

「味方ですわよ!!」

 必死に叫ぶ宮野に、言葉を呑む。


「この試召戦争にAクラスが勝ってしまったら、あなたは紫緒里たちを失いますのよ!!」


 失う? 紫緒里たちを?

 保健室での会話が蘇る。

「まさか、あの話は本当だったのか!?」

「宗像さんの発案ですわ。Aクラスが勝った場合、FクラスはAクラスとの交流を一切禁止するように条件を付けましたの」

 先ほど宮野が言っていた『例の条件』とは、これのことだったのか。

「本当に申し訳ないと思っていますわ。けれど宗像さんから、あなたに秘密にするように言われてましたの……」

「ふざけるな! どうして、そんなことをする必要があるんだよ!? そもそも! なんで認めたんだ!」

「宗像さんの真意は分かりませんわ。でも、宗像さんが条件を出したとき、Fクラスを嘲笑って挑発しましたの。紫緒里だけは反対してましたが、烈火のごとく怒るFクラスを止められるはずもなく不干渉の条件を受け入れましたわ」

 短絡的なFクラスの連中ことだ。嘲笑一つで、怒り狂う様が簡単に想像できる。

「ですから、わたくしは参謀に名乗り上げ、Aクラスが負ける流れを考えましたわ。悪名高い治安維持生徒会会長の力も借りて。でも、宗像さんには見透かされていましたけれど……」

「宮野、おまえなんで……?」

 今まで宮野は何を考えていたのだろうか。

 AクラスでありながらFクラスの味方をしていた。肩を並べて共に戦うはずのクラスメイトの気持ちを知りながら、負けることを望む。

 宮野は一郎や俺と違って、平然と他人を蹴落とせるような人間ではない。

 人一倍、苦しんでいたはず。

 そうであるのに、なぜそこまでしてくれたのだろうか。

 宮野は、俺の味方だと言ってくれた。

 でもAクラスとの敵対は――俺の記憶を取り戻させないことと同意だ。

「東城さん……わたくしは親友である紫緒里のために、あなた方を裏切りますわ」

 だから、と宮野は続ける。


「あなたの記憶は諦めてもらいますわ、東城裕貴!」


 宮野の宣言と同時。

 ぞろぞろ、と教室にAクラスの増援が入ってきた。

「な……? え……?」

 虚を突かれて、宮野は言葉らしい言葉が出てこない。それはそうだろう、この増援は宮野だけに伝えていなかった。

「イケメンの保険が利いたようだな」

 さっきイケメンが、耳打ちしてきた内容がこれだ。

 ……本当ならば杞憂で終わってほしかった。

「あはは……あはははははははは!」

 おかしくて、笑いが込み上げてくる。

「これで、お別れだな!」

「東城さん……!? あなたという方は、紫緒里よりも自分の記憶を選びますの!?」

「……嫌です! しおりは、ゆうきと一緒じゃないと絶対に嫌です!」

 目を真っ赤にしながら紫緒里は言う。

「うるせぇな。だから言ってんだろ、お別れだって」

 召喚獣に命令する。


「俺の過去とはな」


 こんな戦争、やってられるか。


 召喚獣は、仲間であるAクラスに襲いかかった。

「……ゆうき!」

「東城さん!」

 同士討ちに動揺するクラスメイトたち。

 その大きな隙に付け込み、一撃必殺の攻撃を続けざまに放っていく。

「おまえら、なんで何も言わなかったんだよ!」

 イケメンの条件を、秘密にする必要なんてなかった。

「馬鹿じゃねぇの!? 馬ッ鹿じゃねぇのッ!?」

 こんなクソみたいな戦争に、紫緒里を天秤に掛けてたまるか。

「初めから言えよ! そしたら……そしたらよ……!」

 大切な物は一つだけ。


「おまえらが苦しむことはなかったのによ!」


 腹立たしい。自分が除け者にされていたことが、非常に腹立たしい。

「ああ、畜生! 自分の馬鹿さに嫌気が差す!」

 増援である最後の一人を逃してしまう。

「ちっ、逃したか!」

 後を追おうと、教室から出ようとしたところで、不意に後ろから誰かに抱きつかれた。

「……ゆうき!」

 ふにゃり

 馬鹿な!? 天使のフレンチキッスだとぉ!?

「ふわぁあああああ!? しっ、紫緒里ぃ!? ななな、なんだよ! やめろって! 引っ付くな!」

 お胸が……たわわなお胸様が……!

「……ちーん!」

「やめろ! 俺の制服で鼻をかむな!」

 紫緒里の体を無理矢理引き離す。

 ああ、ハンカチ持ってきてなかった……。クリーニング決定だ。

「……ゆうきはやっぱりゆうきです」

 涙と鼻水でグズグズになった紫緒里の顔。

 曇ったガラスを拭うように、俺はブレザーの袖で紫緒里の顔を綺麗にする。

 無邪気で明るい笑顔が見えた。

 ――俺の大好きなものだ。

「あれ?」

 いま、俺の中で答えが出たような……?

「悠長にしてる暇はありませんわよ、東城さん」

「ああ、そうだな。いま、Aクラスは手薄だ。ここで試召戦争を終わらせる」

 残された方法は一つ。残存するFクラスに召集をかけて、本陣に突入する。いわばカウンターだ。

 早速行動に移す――その前に、

「宮野、ありがとな」

「へっ!? べべべべべ、別に、わたくしはやりたいことをしたまでですわ! 感謝されるようなことなどしておりませんことよ!?」

 照れ隠しなのか、プライドなのか、突っぱねるような態度が宮野らしくて、つい頬が綻んでしまう。

「本当に助かったよ。これからは、おまえのためなら何でもするつもりだ」

 宮野がいなければ、俺は何も知らずに紫緒里を倒していただろう。イケメンの条件を守る気など更々ないが、今まで通りにFクラスへ足を運ぶことは難しくなっていたと思う。

 ――俺は、紫緒里から再び何かを奪ってしまうところだった。

「わたくしのためなら……なっ、なんでもっ!? あわ、あわわわわ!」

 夕日のように顔を真っ赤にする。

「ふざけてる暇はない、だろ?」

「え……ええ! こほん! そうでしたわね! まずは伝達をしなければいけませんわ!」

「一郎がいれば、簡単にFクラスをまとめられるんだろうがな……」

「一郎さんなら、まだ生きてますわよ」

「は? なんで?」

 戦っていたわけじゃないのか?

「補習室送りを嫌がって、味方を盾にして逃げましたの」

「どうしようもないクズだな」

「……クズのブレなさは見事です」

 逃げていった一郎を探している時間はない。

 進みながらFクラスに声をかけるしかないだろう。

「さあ、あのイケメンをぶん殴りに行こうぜ」

 目標は、あのイケメンただ一人。


 あいつだけは絶対に許さない。


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