第6問

 以下の問いに答えなさい。

『ベンゼンの化学式を書きなさい』



 井川心太いがわしんたの答え

『C6H6』


 教師のコメント

『よくできました。正解です』



 篠崎紫緒里しのざきしおりの答え

『超究極化学式ロボ、ヴェンズェンmkⅢ』


 教師のコメント

『分からないからといって、ふざけるのはやめましょう』



 東城裕貴とうじょうゆうきの答え

『BeN + ZeN = BeNZeN』


 教師のコメント

『それっぽく書いても駄目です』



――――



「一般庶民の皆様方、お耳を拝借しますわ」

 ついに試召戦争が始まろうとしている。

 戦力増強のためのテストを終え、ブリーフィングが開かれた。

 宮野が教壇に立ち、黒板に描かれた簡易地図で作戦内容の説明をする。

「戦争は陣地取りで決まりますわ。この三つの場所に前衛の拠点を置き、三階階段に中央拠点、そして教室は本陣となりますの」

 旧校舎から新校舎に行くためには、大まかに二つのルートがある。

 一つは、渡り廊下の直線ルート。

 もう一つは、旧校舎の階段からの迂回ルート。新校舎のAクラスの隣には階段があり、そこから攻め込まれる可能性がある。

 宮野の陣取りでは、防衛拠点は三つ。直線ルートの渡り廊下と、二階と三階の階段近くでFクラスの進撃を食い止める。

「配置は、事前に手渡したプリントに記載してありますわ。得意教科の先生を確保してありますから、あとはスタートダッシュでいかに拠点を早く確保できるかにかかってますの」

「すごいな……おまえ、諸葛亮孔明にでもなるつもりか」

「軍師の勉強は一夜漬けですわ。先輩方にも協力してもらいましたし……」

 血色の悪い宮野の顔から、睡眠不足であることが見て取れる。

『諸葛亮麗華どの! 相手が物量でこちらに攻めてきたら、どうなさるおつもりで!?』

 クラスメイトの一人が問いかける。

「そのための中央拠点ですの。無理はせず、防御に徹してもらいますわ。もとより力量の差は歴然、正面からぶつかり合えば痛手を負うのはFクラスですわ」

 攻め方を知らない素人集団が、下手に戦線を伸ばせば要らぬ混乱を生む。ここは守りを固めて相手の疲弊を待った方が、堅実な戦術だろう。

「そうか。でも、中央拠点と本陣の感覚が長すぎると思う」

 イケメンが口を出してきた。

 確かに中央拠点は、Aクラスの教室よりも渡り廊下側に位置している。これでは迂回ルートから進撃してきた相手への対処が遅れてしまうだろう。

「中央拠点はもっと後ろにした方がいい。どこかの前線が崩れて本陣に攻められたとき、中央拠点が盾代わりにならないといけないよ」

 普段は温厚なイケメンも、このときばかりは語調が強い。

「ご安心を。本陣には成績上位者で構成していますの。それに、おそらくFクラスは渡り廊下からのルートに戦力を集中させると、わたくしは睨んでおりますの。この前線だけは崩させませんわ」

 イケメンと宮野の主張がぶつかり合ったことで、教室内はギスギスとした空気が漂う。

「うん。もういいんじゃね?」

「……東城くん、考えるのやめたね?」

「大丈夫だろ。宮野だって寝ないで考えてんだ。ここは任せてみようぜ」

 サムズアップで、宮野に合図を送る。これで多少の好感度が上がってくれるはず――

「次に要注意人物ですわ」

 仕事熱心ですね、宮野さん。

 五名が顔写真付きでリストアップされる。


井川心太いがわしんた    化学大好き人間。ただし馬鹿。

矢神薫やがみかおる     機械工作の鬼。ただし馬鹿。

榊千穂さかきちほ     運動神経が鬼ヤバい。ただし馬鹿。

篠崎一郎しのざきいちろう    クズ。ただしクズ。ちなみに馬鹿。

篠崎紫緒里しのざきしおり   数学の点数だけはAクラス級。ただし馬鹿。倒せば勝ち。


 宮野は紫緒里の顔写真を指さす。

「篠崎紫緒里はFクラスといえど一人で挑むのは無謀ですの」

『Fクラスなのに?』

 とある女子が失笑すると、クスクスと小さな笑いが教室内に伝播していく。

 相手がFクラスだからなのだろうか、心に余裕が溢れていた。

 だが宮野だけは表情をぴくりとも動かさずに、笑っているクラスメイトを見回す。

「これからは、笑ってなんかいられませんわよ」

 宮野の低い声は、必要以上に緊張しているように聞こえた。

 その後も宮野は時間ぎりぎりまで作戦の方針や、部隊毎に細かい指示を送る。

 そして――昼休み目前。

 皆が席から立ち上がり、開戦を告げるチャイムを待った。

 針が静かに時を刻む。

 一秒がこれほど早く、一分がこれほど短く感じたことはない。

 腕時計を確認する。

「あれ?」

 ……開始時間を過ぎてる?

 いつの間にか、俺の時計はズレてしまったようだ。

 教室にある時計と時間を合わせようとして、鳥肌が立った。

 ――戦争はすでに始まっている。

「スピーカーが壊されてるぞ! みんな! 急いで外に出ろ!」

 廊下には他のクラスの生徒が見える。

『スピーカーが!? いつの間に!?』

『Aクラスの防音設備を逆手に取ったのね……! なんて卑怯な……!』

『おい!! 扉が開かないぞ!!』

『鍵が細工されてるっぽい! おーい! そこのBクラス代表! 開けてぇ!』

 クラスの高まっていた集中力が一気に拡散される。

 スピーカーと鍵の細工は、おそらく機会工作の鬼である矢神薫やがみかおるによるものだろう。完全にしてやられた。

「っ! みんな、下がるんだ!」

 イケメンが叫ぶ。

 それとほぼ同時、教室の扉が乱雑に開かれた。

井川心太いがわしんたッ! ここに参上だッ!」

 制服の上から白衣を羽織るFクラスの生徒――井川心太が数名のクラスメイトを連れ、教室に乗り込んでくる。

「すんすんッ……! 甘ったるいぞッ、Aクラス! ここにはまだ薬品の匂いが足りんッ!」

 白衣のポケットに手を突っ込み、井川は獰猛な表情を作った。

「俺色に染めてやろうぞッ!」

 にやりと笑う井川。


「――試獣召喚サモンッ!」


 井川の足下から淡い青色の幾何学模様の魔法陣が描かれる。

 ――試験召喚システム。

 試召戦争で、俺たちが武器となる召喚獣を喚び出すためのシステムだ。

 魔法陣から現れた召喚獣は、井川の容姿を縮小させたような姿をしていた。

 ほぼ二等身にデフォルメされた二足歩行の井川こと、召喚獣は両腕に鉤爪を装備し、試し斬りを行うように空を切り裂く。

「さあッ! いざ尋常に勝負ッ!!」

 井川を皮切りに敵の急襲部隊も次々と召喚獣を喚び起こす。

「科目は……くそっ。やはり化学か」

 廊下には、化学の担当教師の姿が見えた。

 実は、召喚獣を喚び出すためには条件がある。

 学園敷地内であることかつ、教師の立会いの元であることが必要条件だ。

 ここから召喚獣の戦闘力に関係してくる。召喚獣の力はテストで取れた点数によって左右されるもの。

 もし試召戦争が総合点数のみでの戦いなら、大味な戦いでしかないだろうが、それは違う。

 生徒たちは、戦う科目を選択できる。その科目を選択する方法が、立会人である教師の担当科目で決まるのだ。

「どうした、Aクラスッ! この俺に畏れを成しているのかッ!? Aクラスなど、大したことはないなッ!」

 今、この戦場の科目は『化学』によって支配されている。

 化学を得意とする井川と戦えるか不安で、一歩を踏み出せない。

「――ウルセェ! 相手は、たかがFクラスっ!! この田上浩介たがみこうすけが、井川心太に戦いを挑む! ――試獣召喚サモン!」

 田上が入り口を封鎖する井川たちに戦いを挑む。

「浩介っ! 僕も手伝ってやろう! ――試獣召喚サモン!」

 続くのは同じくAクラスの北山一樹きたやまいっき

「Fクラスの雑魚召喚獣なんて、ぶちのめしてやらぁ!」


『 2―F  井川心太  VS  2―A  田上浩介 & 北山一樹

   化学    399点     VS         280点 & 241点  』


「浩介、気をつけたまえ! 井川の点数は、Aクラスの上位に相当している!」

 紫緒里だけでなく、井川もまた一人で挑んではいけない相手だった。このときの北上の判断は素晴らしかったといえよう。

 化学399点。

 他の学校ならば一科目100点が上限なのだが、文月学園の試験に限度はない。

 問題が解けるのなら何百点でも何千点でも稼げる。ただし、解けば解くほど問題内容は難易度を増していくため、いくら頭が良くても稼げる点数には、ある程度限界があった。

「ヘタレんな、一樹! こっちは二人だ! 戦争は、数が多いほうが勝つってもんだ!」

 田上が、威勢の良く言い放つ。

「くッ! Aクラスの成績を舐めていたッ! さすがに俺一人で、二人を相手するのは無茶かッ!」

 井川は大きいミスを犯していた。

 教室に入り込んでいるのは井川一人だけ。単騎でAクラスの生徒と戦える戦闘力を持っていても、これでは複数の相手と同時に戦わなければならず奇襲としての効力は薄まってしまう。

 だから、井川の次の手は退に決まっている。

「ここは廊下まで下がるとしようッ!」

 俺の予想通り、井川は廊下まで下がっていく。

 だが、その下がり際――俺は見逃さなかった。

 ニタリと陰湿な笑みを浮かべた、井川の表情を。


「駄目だっ! 井川を追うな!!」


「ウルセェ! いくぞ、北山! 前線を押し返せぇ!」

「言われなくとも!」

 田上と北山は強い。井川が廊下にいる急襲部隊と合流したところで、簡単に倒されはしないはずだが、Fクラスは何かを企んでいる。

 スピーカーと鍵に細工するほどの連中だ。ここに来て、無策なはずがない。

 田上と北山は聞く耳を持たず、召喚獣を廊下まで移動させる。

 そして召喚獣を操作する二人が、廊下に出ようとした瞬間――

「かかったなッ!」

 井川は、手にしたリモコンのボタンを押す。

 バタンッ!!

 まるで心霊現象のように教室の扉が自動で閉まり、田上と北山の行く手を阻む。

「ここにも……細工が!?」

 教室の扉をリモコンで開閉できるように改造されている。これも機械工作の鬼の所行か。

「まずいっ!」

 敵の目的は、操作主プレイヤー召喚獣キャラクターの分断だ。

 いま、召喚獣は廊下に取り残されている。視界を遮られた状態で、田上と北山が正確な指示を出せるはずがない。

『『『Fクラス名物! 集団リンチじゃあああああ!』』』

 防音設備越しであろうと聞こえてくるFクラスの汚い大声。

 なんつうダサい名物なんだ。捨ててしまえ、そんな名物。

「ちくしょう! 扉が……開かねぇ!」

 扉の向こう側では、一方的に召喚獣を痛めつけられているのだろう。

 見る見る内に、田上と北山の点数は減っていき、十秒もしない内に底を尽きてしまった。

『『『完! 全! 勝! 利! イヤッハァ!!』』』

「うそ……だろ……?」

 あまりにも呆気ない敗北を与えられ、二人は膝を折る。

 召喚獣を討ち取られ、点数を失ったいま、彼らは戦死者となった。

 戦死した者の行く末は――地獄だ。

「いやだ! 助けてくれよ……! なぁ! おれ、まだ何にもしてねぇのに……死にたくねぇ……! 死にたくねぇんだよ!」

「こんなことが……まさか僕がやられてしまうなんて――」

 バキバキッ! ガララッ!!

 死者の門が開かれた。

「さあ、貴様ら――素晴らしき教育の時間だ」

 教室の扉を力付くで開き、一人の教師が現れた。

 デデンデッデデンッ、とかターミ○ーターのBGMが聞こえてきそうな登場の仕方をした人物こそ、我らが死神である鉄人先生(本名・西村)である。

 筋骨隆々の巨漢は、教育者と言うよりストリートファイトに明け暮れる猛者っぽい。

 鉄人が現れた理由はただ一つ。

「いやだっ! 補習室なんて……! 助けてくれぇ!」

「僕も嫌だ! 聞けば、この鬼教師との耐久地獄! それを戦争が終わるまでだぞ!? 人間の耐えれるものじゃないっ! 精神がイカれて廃人になってしまう!」

「なんだと? 貴様ら、補習室が地獄とは聞き捨てならんな! 補習室は教育の素晴らしさを分かち合う天国だというのに……! 四の五を言わず、とっととこい! 天国であることを証明してやろう!」

「「ヒィッ!? いやだぁあああああああ…………!」」

 男子高校生を軽々と持ち上げ、鉄人は教室から出ていった。

 ああ……俺は絶対に死にたくない。

 たぶん、この気持ちはAクラスどころかFクラスも抱いているだろう。

 鉄人が去った後、教室の扉は開かれたままとなり、廊下で井川が鉄人に恐怖する姿がよく見える。

 ……あれ? これって……。

「うむ?」

 井川と目と目が合う。

 ――扉の鍵は、鉄人の怪力によって壊されている。

「全軍! 突撃ぃー!」

「くッ! 鉄人の存在を忘れていたッ!」

 井川は近くにいたFクラスの男子の肩を掴む。

松岡まつおか、おまえとは長い付き合いだったなッ! 皆のために、ここで死ねッ!!」

 ドゲシッ!

 何の躊躇もなく放たれた蹴りによって、男子生徒こと松岡は地べたに倒れ込んだ。

「おい、待てって! 俺を見捨てなっての……!」

 井川に仲間の死を惜しむ素振りは全くない。松岡を残して、急襲部隊は撤退していった。

「みんな! 深追いは絶対にしないように!」

 イケメンの指示が飛ばすことで、田上と北山の仇を討とうと頭に血の上ったクラスメイトを制止する。イケメンの一言がなければ、クラスの統制が瓦解するところだった。

「さて、東城くん。この人はどうしようか」

 仲間に見捨てられた男――松岡をイケメンは一瞥する。

 まだ松岡の召喚獣は、死んでいない。

「くそっ! 男、松岡甚太郎まつおかじんたろう、命乞いなどしないっての! ひと思いに殺せって!」

 胡座を組む松岡。隣では召喚獣も同じ姿勢を取っている。

 ここは俺の出番だろう。

「松岡、その心意気を買おう。俺は、おまえと取引をしたい」

「うるさいって! 仲間を売るくらいなら死んだ方がマシだって!」

 見捨てられたというのに、一郎の手下とは思えないほどの忠誠心だった。

「そうか……。貴様が持つ有益な情報と引き替えに、とある商会で手に入れた美人先輩方の有り難い写真を与えようと思っていたんだが――」

「気をつけろっての、Aクラスの諸君! 奇襲後は防護を固めて、拠点でそちらの戦力を削る作戦だって!」

 死んだ方がマシじゃなかったっけ?

「東城さん? どうしてそのような破廉恥なものを持っていますの?」

 身内からの視線が痛い。

「よし、言ったっての! くれっての! 被写体は誰だって!? 姫路先輩!? 霧島先輩!? 秀吉先輩なら極上だってのぉ!」

「ああ、受け取れ。極上の一品だ」

 ぺらっ → 根本先輩♂の女装姿。

「あっ。イケメン、こいつ殺しといて」

「てめぇえええええええええ!」

 今にも俺の首を掻き切らんばかりの勢いで襲いかかってくる松岡。その手にはカッターナイフが握りしめられている。

「げっ!? 実力行使かよ!?」

「シャアアアアアアアア!!」

 しかし松岡が隠し持っていたカッターナイフが俺に届くよりも先に、鉄人が松岡の首根っこを掴み上げた。

「松岡、生徒同士の直接の戦闘は禁止されていることを知らないのか?」

「西村先生、止めるなっての! 俺は、奴を殺さなくてはならないって! あのド畜生を社会に解き放ってはいけないって! 救世主に、俺はなる!」

「補習室に行く前に、貴様は一度仮眠を取った方がいいな」

「放せってのぉ! 西村ぁ! 俺は――こひゅん」

 グキリと首から嫌な音がして、松岡は泡を吹いて気絶した。

 さすがは鉄人、カッターナイフを持った相手でも全く動じていないとは……。

「さて! おまえら! 体勢を立て直すぞ!」

 陣地取りでは圧倒的にFクラスが優位になった。

 だが相手の行動さえ分かっていれば、やりようがある。

 もう奇襲はない。ここがポイントだ。

「ここは三階の渡り廊下を取りに行くべきですわ」

「それは俺も同感だ。いくら向こうが防戦を狙っていても、正面の守りは固めたい」

 宮野と話し合いながらメンバーを再編成する。

 大体は決まったが、もう一人くらい、別の意見がほしい。

「イケメン、ちょっと来いよ。おまえも何か意見があったら……って、なんでそんな怖い顔してんだよ」

 イケメンは珍しく険しい表情になっていた。

 視線の先には――宮野?

 作戦が上手く行っていないことで、作戦参謀である宮野に不満があるのだろうか。

「おい、宮野を睨むなよ。試召戦争は初めてなんだから、上手く行かないのは当たり前だろ。おまえらしくない」

「ああ、ごめんよ。僕らしくないか……ふふっ、悪くない言葉だ」

「気持ち悪っ!」

「東城くん、戦争が終わったら近くの喫茶店でも寄らないかい? 僕は、君に話が――」

「宗像さんは、何か意見はありませんの?」

 ナイスカバー、宮野。おまえが居なければ、イケメンとの喫茶店デートをするところだった。

「……そうだね。僕としては、ここは慎重になるべきだと思う。拠点を確保するメンバーを本陣から一人ずつ増員させて、何が起きても対応できるようにしたい」

「まだ奇襲があると考えてんのか?」

「いや、奇襲とまでは言わないけど、松岡くんの言葉を鵜呑みにするのも怖いよ」

 確かに、松岡の言葉を信じ切るのは危険だろう。イケメンの言い分は切り捨てられない。

 話し合いが長引きそうだな……。

 宮野とイケメンのどちらの意見を優先させるかが悩み所だ。時間はあまりかけたくはないが、参謀ブレインがグダグダな指示を出すわけには行かない。

「――だけど、僕は宮野さんの指示に従うよ」

「いいのか?」

「いいも何も彼女が作戦参謀だからね。宮野さん、どうする?」

 またも強めの口調でイケメンは問う。

「……宗像さんの意見も捨て難いですわ。ですけど、増員は渡り廊下だけにしますの」

「そうかい、分かったよ。増員は、平均的に成績の高い狩野さんあたりはどうかな?」

「ええ、構いませんわ」

 二人の間に、再び刺々しい空気が流れる。

 イケメンにメロメロだったはずの宮野は、今だけは敵意を含んだ視線をイケメンにぶつけていた。

 二人が醸し出す雰囲気は、すでに俺が茶化してどうにかなるものではなかった。

 どうしたものかな、これ。



――――



「狩野さん、前衛の補充メンバーがんばってね」

「ええ! 宗像くん、この狩野しずくにお任せください! Fクラスの男子の生皮を剥いで吊して、苦しめて殺せばいいんですね!」

 狩野は、前髪ぱっつんの少し天然が入った女子生徒だ。彼女の天然が生み出す愛嬌から、男子の間では『妖精ちゃん』と呼ばれ、人気が高い。

 しかし妖精ちゃんの天然で今回の作戦が失敗されては困る。一応、妖精ちゃんに注意しておこう。

「違うぞ、狩野。おまえたちの役割は拠点の確保だからな?」

「あ? うるせぇんだよ、ブサイク東城。話しかけんな、耳が腐る」

 前言撤回。この世に妖精なんていなかった。

「狩野さん、拠点を確保することだけに専念してほしい」

「はいっ! わかりました! 狩野しずく、それでは行ってきまーす!」

 狩野を初めとした、拠点確保のメンバー総勢14名が出発する。

 俺は教室前で、奇襲に対応する役を任され、同時に渡り廊下を確保できるかを、この目で見届ける。

 イケメンが教室に戻った途端、狩野が「うっし。おまえら、ぜってぇ拠点確保すんぞー」とか言っているような気がするが幻聴であってほしい。

 狩野の部隊が中央拠点の位置まで移動する。

 廊下を通り過ぎ、渡り廊下の半ばまで進めていた。二階と四階の迂回ルートを守護する部隊が分かれ、残されているのは中央拠点の部隊と前衛の狩野部隊だけ。

 順調のはずなのに、拠点の位置取りにアンバランスさを感じる。

 ……待てよ、中央拠点?

「っ! やばい! これ、まずいって!」

 不確定要素が多い状況下、最初のままの布陣では、本陣と中央拠点のスパンが長く、そこは大きな隙間でしかない。

「狩野、中央拠点! いったん、撤退しろ! 戻ってこい!」

『はぁ? ブサイク東城、なに言ってんの? どうして――って! 敵襲っ!!』

『井川が、二階に潜んでたぞ! 応戦しろ!』

 中央拠点を狙って、迂回ルートから井川たちが現れた。どうやら二階の防衛ラインは絶望的だと考えていい。

 階段を昇ってきた井川たち。

 いま、本陣を守る盾は俺しかいない。

 ならばやるべきことは一つ!

「井川! ここを通りたきゃ、俺を倒していくんだな!」

 俺が出来る限り時間を稼ぐ!

「そう、いきり立つな東城ッ! 貴様は後で、ホルマリン漬けにしてやるッ!」

「なっ!?」

 奴の狙いは、本陣こっちではない……?

 井川は、狩野と中央拠点に突撃する。

『挟撃!? まずいって! 早く逃げないと!』

『逃げ道なんてないよ! どうするの!?』

『Fクラスの別働隊が退路を遮断! おい! 誰か助けてくれ!』

 いま、狩野と中央拠点は完全に孤立している。

「くそっ! 松岡の野郎、嘘の情報を握らせやがったな!」

 処刑方法を考えるのは後回しだ。

 今は狩野たちと中央拠点を助ける!

「東城くん、君が動いてはいけない」

 教室から出てきたイケメンが、俺の腕を掴んで止めた。

「っ! 邪魔すんな! 俺なら狩野たちを助けられる! だから――」

「それが奴らの狙いだということに、なぜ気付かない?」

 奴らの狙い? 狙いは狩野たちのはずだろ?

「君が出て行けば、狩野さんたちは助けられるかもしれない。だけど、本陣はどうなる? 手薄な本陣を攻略する術を奴らが持っていたらどうする? 強い君を各個撃破する算段があったらどうする?」

「なら! 狩野たちを見殺せっていうのか!?」

「だから、そうしろと僕は言っているんだ! 君はどうしようもないくらい……馬鹿だな!」

「てめぇ……!」

「殴るのかい!? いいさ! 殴ればいい! それで君の気が済むのなら何度でも殴られてやる!」

「……っ!」

 イケメンの気迫に、握った拳を解いてしまう。

「いいかい、東城くん。僕は勝ちたいんだ。だからここは――我慢してくれ」

 中央拠点は凄惨な状況に陥っていた。

 わずかな戦力を助けに行かせたが、焼け石に水だった。


『三階より伝達! 新たな別働隊が四階の防衛拠点を襲撃されてます! 中央の助けは……いけません……!』

『畜生ぉ! こいつら、邪魔しやがって! 退け! 退けよ!』

『早く助けにいかないと……! 狩野さんたちが!』

『しずくっ! お願いだから、返事を……してぇ!』


 前線の声はまるで耳元で騒がれているかのように、よく聞こえた。


 Aクラス、渋谷恭平・鈴谷光・大場美佳・五十嵐円・伊井健也・狩野しずく――戦死。


『ふははははは! お手柄だな、下僕ども! 即座に撤退せよ!』

 遠くから一郎の喜々とした声が聞こえてくる。

「くそっ……!」

 もっと早く気付ければ、このような事態には陥らなかった。

 自分の間抜けさに嫌気が差す。

「東城!! これはどういうことだぁ!?」

 テスト補充のため戻ってきたクラスメイトの一人が、俺の胸ぐらを掴み上げてきた。

「雑魚相手なのに、なんで苦戦しなきゃいけねぇんだよ! 楽勝じゃねぇのかよ!」

「それは……」

 不満を口にするクラスメイトを納得させる言葉は思いつかない。なぜなら俺も同じ気持ちだったからだ。

「言い争いは止めよう。彼らの思う壺だよ」

 イケメンの一声が、クラスメイトの荒々しい勢いを止める。

「どうやら僕たちは猫ではなく、虎の尾を踏んでしまったようだね」

 穏やかな口調ではあったが、イケメンの表情は真剣そのものだった。

「認めなきゃいけないよ。僕たちの相手、Fクラスはおそらく他のクラスよりも遙かに強い。――たぶん、僕たちよりもだ」

「なんだとぉ!?」

 クラスメイトが俺から手を放して、イケメンに啖呵を切る。

「プライドだけで勝てる相手かい?」

「なにっ!?」

「今のままで勝てるのかい? 僕はそう訊いているんだ」

「……っ!」

「僕だって悔しいさ。だけど、ここで仲間割れをしたら狩野さんたちの死を無駄にするだけだよ」

 イケメンが諭すように言うと、クラスメイトはそれ以上の不満を口に出さず、壁に八つ当たりをして教室に戻っていった。

「イケメン……その、なんだ……助かった」

「気にしなくて良いよ。……今日はもう動かない方がいいね。向こう側も今日一日で終わらせるつもりはないはずだから」

 本陣近くの中央拠点の戦力増強をしつつ、前衛を捨てる。その情報を他のクラスメイトに共有させるため、宗像はクラスメイトの一人に伝達を頼む。

 教室内にいる宮野の状態が気になった。

 責任感の強い性格なのは、よく知っている。

 何より、不安定な中央拠点の位置取りを決めたのは彼女だ。

 放っておけるはずがなかった。

 教室に入り、宮野の姿を探す。

「……っ」

 遠くから見ただけでも分かる。宮野は――酷く憔悴していた。

「東城さん? どう、しましたの?」

「あのよ、宮野……。気にすんな。誰がどうやっても、こうはなっていた。つーか、俺とイケメンも中央拠点のことに気付いてなかったし、俺らも悪いんだ」

「いえ……。中央拠点の初期地点を決めたのは、わたくしですの。すべて、わたくしの責任ですわ……」

 宮野の体が震えている。

 唇は薄く紫色に変色し、顔に血の気がない。今にも貧血を起こして倒れてしまいそうだった。

 ――こんな状態で戦わせるなんて無理だ。

 だがそれを口で言っても、宮野は無理矢理にでも気を奮い立たせ、無茶をするだろう。

「宮野、アウトー!」

 俺は教室内に声を響かせる。

「えっ? 東城さん、急にどうしましたの? ――って、ちょっと! この手を放してくださいまし!」

「うるさい、つべこべ言わず付いてこい」

 学年主任の先生に相談して、宮野を保健室で休ませよう。クラス代表でない生徒の一時的な戦線離脱は、許してもらえるはずだ。

「東城さん、何のつもりですの!?」

 ええい、暴れるな。まるで俺が暴漢みたいに見えてしまうだろうが。

 俺の考えを察したようで、宮野は必死に足掻いていた。いつも俺の関節を外すときの腕力とは比較にならないほど弱々しい。

 怪訝顔でこちらを見ている学年主任に声をかける。なるべく端的に説明しよう。

「先生! 宮野の体が気になってしょうがないんで、保健室に無理矢理連れ込んでいいですよね!?」

「ふぇ!?」

 学年主任を納得させてしまえば、宮野も諦めるだろう。

 もう一押し。

「こいつ、強情なんで押し倒してでも寝かせますから!」


 なぜ俺は怒られたんだろう?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る