19 突撃
投げ捨てられた三人を見て、十和田は安心した。まだ生きている。変態といえど、本気で殺すつもりはないのかもしれない。だとすればこれは、十和田達にはチャンスだった。
(既に殺している私の方がきっと、覚悟は上だ。勝ち目はある)
まだ少し時間はあるが、あとは待っているだけでよかった。十和田はジロリとシャケを睨む。
「殺さなかったのね。死んでもいいって言ったんだけど」
「ああ、殺したら殺せなくなるからな。さて、あんたは何をしているのかな? その木箱は例の黒箱から出てきたもんだろう? ご先祖様に土下座して謝りな。芳孝翁はこんなことのために調べていたわけじゃないだろう?」
顔をしかめ、明確な敵意をぶつけた十和田は、返ってくる眼力に一瞬怯んだ。それも目の前の木箱が解決してくれると信じれば耐えられた。
後ろから見ていた桐沢と東雲は既にシャケの推測を聞いていたため、これから起きることを不安と闘志の入り混じった感情に押されながら待っていた。
投げ出された三人を、古賀の白いミミズが包んだ。着実に癒えていくその様子を見ながら、ずっと胃にのしかかっていたものを吐き出すと、十和田と同じようにシャケを睨んだ。
「お前らがなぜ不老不死を求めるのか、それは俺の知ったことじゃない。ただ、人を殺してまで叶えたい、自分のための望みだ。その時点でロクなもんじゃねぇだろ。オラ、ぶちのめしてやるから始めようぜ」
拳を鳴らしながら迫る巨漢に、しかし少女は笑った。
「ぶちのめしてやるのはこっちよ。あなた、よくもやってくれたわね。散々私たちを痛めつけて。正直不快すぎて吐き気を催すわ。見た目からしてもう嫌よ。何よそのジャージ」
「お望みなら脱いで俺の肉体美を見せつけようか?」
「遠慮するわ。必要のないことはしないで。脱ぐことも、私たちの邪魔も。何よ、あなたなんで邪魔するのよ? 恨みでもあるわけ? 重間司津子の知り合いだって言うの?」
「別に重間司津子のことはそんなに知らん。知ってるのは俺の先生。だが、彼女が命懸けで伝えてくれただろうことが俺に託されてな。それを成さずに何を成すってんだい? しかも、ここに関わったお二人は揃って被害者だ。まだまだ沢山いるんだろう? そういう被害者。さぁ、やろうぜ。俺が皆様方の代理だ」
再び筋肉を盛り上がらせたシャケは目に力を込めた。衝撃さえ伴うプレッシャーは、人間の反応をしっかり引き出せているからこその芸当である。十和田は、まともに戦った場合の勝ち目についてはないと断ずるしかなかった。これは怪物だ。厄介なものが来ていたのだ。
しかし、十和田はなおも笑う。古賀も笑った。馬場も、菊田も、山野辺も、笑いながら立ち上がる。
木箱が砕け散った。中から白いミミズが花火のように散り、五人の口から侵入を果たした。その数は、これまで異様な世界を体験してきた桐沢が思わず口を押さえるほどであり、東雲に至っては目を背けてしまうほどに大量である。
シャケは、まだ動かない。
ミミズの全てが五人の中に入り込むと、彼らの目が黄金色に濁った。全身を痙攣させながら泡を噴き出し、高温の鳴き声を絶えず発している。全員の胸が一瞬、風船のように膨らむと次第に痙攣は収まり、目も通常に戻っていった。
五人は横一列に並び笑っている。夕焼けの中に嫌悪感を呼び覚ます音が響いた。
馬場が指の隙間から炎を発生させると、十和田の顔を包み込んだ。燃え盛る中に少女はなおも笑い続けている。炎が消えると、焼けただれた顔も髪も、すぐに元に戻った。古賀は一切を行っていない。
「不老不死になったってか?」腕を組みながら、シャケは聞いた。
「ええ、そうよ。残念。あなた、もう私たちを止められない――」
烈風が吹き荒れた。
彼らは、ひとまとめにされて屋上床に潰れたハンバーガーのように押しつけらた事実さえ気づかなかっただろう。一瞬のうちに接近したシャケに備わっていたのは猛牛の威力である。頭蓋骨を砕き切るつもりで彼は五人を蹴り潰したのだ。
「聞こえてるか? どうせ戻るんだろう? じゃあ聞いておけ。お前らは興味から不老不死に手を出したんだろうが、なんと不幸なことだよ。おかげで邪道真っ逆さまだ」シャケが語る間に、五人の潰れた顔は再生を始めていた。それを眺めながらシャケは続けた。「お前らは現代社会に生きる人間として踏み外しちゃいけねぇものを外した。こうなれば俺らの領分だ。もうごめんなさいなんか通じないからな」
元の顔に戻る直前。古賀は既にミミズを放っていた。シャケの両手足を拘束したのを確認すると、残りを大急ぎで他の仲間に回し、治癒は一瞬で済んだ。
不老不死とはすなわち、食べた猫の力をより強めることでもある。それぞれの能力は今や先程までとは比べ物にならないほど向上していた。
五人はひとまとまりになりながらも離れ、シャケを囲むように並んだ。菊田の空間操作の冴えに応じようと、馬場は先程よりも更に勢いを増した炎の渦を発生させ、天からシャケに向かって振り下ろした。校舎のいたるところから集められた瓦礫、備品が後押しするように、更にシャケを包み込む。炎の通り道を作り、中を地獄へと導くためだ。
十和田は、桐沢と東雲に目を向けた。二人はその視線に負けじと見返す。シャケのことは心配していなかった。十和田に睨まれている今は、そこから視線を外さないことこそが戦いであると悟っていた。
「桐沢君、生きて帰れるよね?」
「生きて帰れたらどうする?」
「誰も信じてくれないよね、これ」
「じゃあ、僕らだけの思い出だ」
他愛のない話は余裕のなさを表していた。
十和田が指でふたりを招くと、校舎が変形し、二人を突き倒した。そのままするすると糸に引っ張られるように運ばれてしまう。
「あなたたちも、邪魔よ。操られているか、死んじゃっていればよかったのに」
「会長、一つ聞いてもいい?」引きずられた痛みに顔を歪めながら、桐沢が言った。「なんでこんなこと企んだの? なんで人を殺したの?」
「別にいいでしょ? 不老不死になれるんだもん。それで充分じゃない」
間を置かなかった答えは、桐沢の理解を超えていた。
別にいい――何が?
答えになっているのなら、それは殺人ということになるだろう。
「意味分かんない……」ぼそりと、東雲が呟く。睨まれれば、睨み返した。「なにそれ、意味分かんない。会長、おかしいよ、絶対。別にいいって何? 今のどこに、別にいいことがあったわけ? 意味分かんない」
「分かんない人には分かんないわよ。偉くなれるチャンスを掴んだのに、とやかく言われるのはね、これも不快よ。第一、殺した奴らは私の邪魔しようとしたのが悪かったの。変なことに首を突っ込まないで、一般人やってればよかったのに」
ふたりは、十和田を睨んだ――が、すぐにその視線は後ろに注がれた。
そして、屋上から下へ向かって地響きが起きた。その場にいた全員が一瞬宙に浮いた。人間だけではない。バラバラに砕けた床もそうである。その中にあって、多種多様な物が舞い上がるそこに、全裸の男がいた。その巨漢は、床に向かって拳を振り下ろしたばかりだった。既にミミズは去っている。炎も今の一撃で消し飛んだらしい。
「そのふたりには手ぇ出すな。出していいのはそのふたりの方なんだからよ」
ぐちゃぐちゃになった屋上で、シャケは瓦礫を一つとると菊田に投げつけた。腹を貫通した瓦礫は赤色を引きながら遠く彼方へ飛んでいく。
そこからは、あっという間の出来事だった。同時に、彼らにとっては最大の悪夢だっただろう。
さっきより一回り大きくなったように思える全裸の男が茜色に照らされながら、拳を振り上げて向かってくる……。それは、反撃を躊躇させるに相応しい異様だった。馬場も、山野辺も、古賀も、自分たちが不老不死になったことなど忘れていた。
――それは、更なる覚醒を果たした猫の本能だったのかもしれない。いかに叡智を得たとしても、猫は野生に生きたのだ。そこには徹底的な強弱関係がある。自然の摂理からはずれたからこその超能力猫ではあった。それでも本能を呼び起こさせる迫力をシャケは持っていたのである。
風圧と音よりも早くに迫る巨大な拳は馬場の顔を完全に粉砕し、蹴られたその身体は猛烈な勢いで古賀の胴体を真っ二つに折った。
山野辺は、背後に回られ、その背中に大きな抉りを受けることとなった。手刀でもなければ足刀でもない。頭突きでそれは実行された。
一斉に悲鳴が上がる。再生しようとするたびにシャケの猛撃は続いていった。
そして、その光景は、十和田の心をへし折りかけていた。
不老不死になれば、これからどんなことがあっても、どんなことをしても大丈夫――だって、人類史上誰も成しえなかったことだから。これを成しえれば、人類を超えた存在になれるのだから。
それが、彼女たちの夢が、筋肉に上塗りされていく。
「うあああああっ!」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、十和田は校舎に命令を下した。揺れ動き、あらゆるものを犠牲に浮き、巨大な口へと姿を変えた校舎はシャケに襲い掛かった。
この時、桐沢は東雲の手を取り、まだ無事な屋上の手すりに命運を託していた。怪物と化した校舎が友人を襲う。しかし、それでも、確信があった。
「勝てる。勝てる。シャケは、勝てる」
振り下ろされた校舎に飛び乗ったシャケは、再びの破壊を始めた。一歩一歩が致命的な一撃として校舎だったその口を粉砕していき、五体のあらゆる箇所は動くたびに破壊の嵐を巻き起こして瓦礫の雨を作っていく。恐るべきは力であり、また、シャケの敏捷であった。
元より歪だった口はますます醜悪さを増していった。悲鳴を上げているようにも見えるが、その懇願にも似た姿はシャケには届かなった。内部の重要な部分を見抜きながら破壊を続けたシャケは、とうとうその全てに致命傷を負わせ、最後に足元を思いっきり蹴ってぶち抜いた。
着地した先は、十和田の目の前である。唖然としている彼女の目は、降りしきる力の象徴に向けられていた。
「十和田萌奈美。我が師の友、重間司津子をはじめとする様々な人の分は受け取ってもらう」
屋上に来た時、シャケは既に見抜いていた。そこに掌を押し付け、衝撃を加えた。
十和田は、強烈な吐き気に襲われ、その場に吐瀉した。吐瀉物の中から猫の頭がバラバラになって現れた――彼女は、必死に手を伸ばし、再び猫を食おうとしたが、叶うことはなかった。シャケのアッパーにより、五メートルほど浮き上がると、そのまま落下した。今度は、ピクリとも動かなかった。
既に原型を留めていない校舎から色が消えるまでの間、同じことが他の四人にも行われた。あとに残ったのは、あらゆる力を失った、ただの学生だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます