15 猫塚、あるいは、十和田芳孝について

 十和田邸は広い日本家屋だった。蔵の存在がなおのこと広さを強調している。シャケが目をつけたのが、その蔵であった。このような形ではないが、屋内調査を行ったことは何度もある。蔵があれば、大抵の事は「だだっ広いそこにぶち込んでしまえ」と考える人は案外多い。格式張ったところで外から見えないところは楽をしたがるものなのである。

 人を追い払い、三人で占拠した十和田邸にてシャケは演技を続けていた。

「極悪誘拐犯から告ぐ! 手ぇ出すなよ! さもなけりゃこっちのひょろい男の子の方の頭は、えっと、こうだ!」

 ビニール袋を被ったまま、ギャラリーに向かってアピールを繰り返すシャケは誘拐犯になりきろうとしているが、どこかちぐはぐであった。それでも勢いだけはあるし、本気で恐怖を感じている桐沢が首根っこを掴まれているため、説得力はあった。どこからか持ってきたスイカを割ってみせると、ワッとギャラリーが沸く。これはこれで、とても快感であった。一方で桐沢はこれが狂言だとバレたあとの将来について延々と考え、それによって顔を青くしていた。

 背後では、ゴム手袋をつけた東雲がタンスから次々と布団や服などを出し、外に自分の行為がバレないよう気をつけながら窓など中を覗けるところに幕をかけていた。その顔は最初こそ涙で埋まっていたが、今はどこか焦りつつも興奮を抑えきれない様子でいる。今、東雲の目にはこの十和田邸が学校に見えていた。それも、もっとも楽しい時期――文化祭の頃である。ああ、中学で初めて、生徒主導で教室を飾りつけアイディアを出し合った頃が懐かしい。暗幕をかけると、教室の様子がガラリと変わり、いつもと違う何かを共同でやっているという実感が強く出たものだ。この際、現実が誘拐犯とその被害者のフリをして他人の家に押し入り立てこもったというどうしようもないことであるのは忘れてもよかった。現実逃避がないわけではないが、東雲は作業の楽しさに重きを置いていた。

「東雲さん、人質役変わって。どちらかといえば僕もそっちがいい」

「もう少しやらせて!」

 桐沢の必死の願いを一瞬で蹴散らした女子高生――心はただいま女子中学生まで戻っていたが――は、嬉々として十和田邸を周囲から切り離していった。

 最後に、シャケが顔を出していた窓に当人が幕をかけると、ビニール袋をとってから大声を張り上げた。

「こちらの要求を待っていろ! さもなければ人質の命は終わりだ! あばらを一つ一つ丁寧にへし折ってやる!」

「シャケ、似合ってる、似合ってる」

 完全にやけくそで皮肉を飛ばした桐沢は、ようやく解放されたとシャツのボタンを緩めた。閉め切った室内は暑苦しくなっていた。

 巨漢も疲れ果てたらしく、肩で息をした。

「ふぅ、ふぅ。お褒めいただきなんとやら。さっ、本命といこうか」

 シャケと桐沢もゴム手袋をつけ、十和田邸の調査となった。裏の様子を見て安全を確認すると、三人は蔵へとこっそり歩いた。

 家の位を一段も二段も上げているような、古く立派な蔵だった。ところどころに見える傷や汚れは全てシックな魅力を醸し出している。補強の跡はボロよりも長い歴史そのものを誇り伝えていた。中は少しの埃が舞っていたが、掃除は定期的に行われているらしく、人が住んでいないにもかかわらずある程度の整頓と清潔が保たれていた。とはいえ、やはり蔵、倉庫である。桐沢と東雲はあまり長居したくないと顔に出していた。

 しかし、三人はこれから探さねばならないものがある。

 十和田芳孝の記録を見つけ出す。そして――

「できることなら、十和田達の行方についての情報も欲しい。もし、ここに十和田芳孝の記録があり、それが鷹義永久と同一のものなら……十和田はここから知識を仕入れ、今回の事件に及んだはずだ。まったく、ひどい話だぜ。ご先祖様に申し訳ねぇとは思わないのかねぇ」

 かくして、しらみつぶしの探索が始まった。

 出てくるのは価値の分からない食器や古い着物、使い古した布団、いつのものとも分からない空っぽの箱、なぜかある工具類や小学校の教科書など――

 広々とした蔵の探索は時間がかかると思われた。しかし、整理が行き届いていたのが幸いした。種類ごとに分けられていた分、目当てのものの集まりを見つければあとは早いものである。

 古い本や紙の山に埋もれて、十和田芳孝の名が遺されたレポートの山が見つかった。古く、脆そうだった。

 しめしめとシャケが手に取ろうとするのを、桐沢が止めた。

「なんだよ?」憮然としてシャケが聞いた。

「東雲さんに読んでもらおう。男がこういう脆そうな紙を掴むと、その、歴史的価値が消えてなくなりそうな……」

「俺が破っちまうって言ってんのか? なるほど、言えてるよ。東雲ちゃん、頼むぜ」

「古い言葉とか読めないですよ……」抵抗はするものの、東雲はレポートを受け取り、たどたどしくも読み始めた。芳孝翁の文字が綺麗かつ丁寧だったのは幸いだったか、不幸だったか……。古い文字を必死に読み解きながら、東雲はレポートに求める重要ポイントを目指した。

 やがて、シャケの顔色が変わる記述が見つかった――

 ――翁曰く、「黒岩についての諸説はあれど、この地に猫があることが第一である。大きな黒猫が迷い込んだという話は古い時分に聞き覚えている。この黒岩が猫塚に至る背景には不可思議な存在がある。猫は箱を持ちこの地に現れたとされる。この伝承について不可解なのは、箱を持つ猫が何を象徴するか不明な点である。猫と箱になんの繋がりがあるのか。箱について、私(芳孝)は東北より訪れし山伏に興味深き話を聞いている。動物の供養においてその遺物を箱に詰める場合がある。この遺物とは神の贈り物ともいえるものであり、神霊の道具としては非常に高きものである。箱の特徴、およびそれに係る動物の様子は伝承にある猫塚に至る黒猫と相似する。猫塚とは何か。私は、私が愛し住むこの地に不穏なものがあらばそれを排除せんとも願う。また、知る事こそが郷土への愛を示すものでもあると信じる。十和田の家には現在、私のみが本血筋である。この研究によって我が家の復活をかけることは決して夢想とも思えない。それがこの地に一つの富をもたらすのならば、これに勝るものはない。私は猫塚について調べるものである。猫塚なるものの成立を知ることは大変に意義のあるものである。なお、このことについて、私が古くより妖怪譚を好むことと関連付けるのは無粋の極みであろう……」

「建前ばっかりで、最後のだけが本音だよね、これ」

 おそらく当たっているだろう桐沢の意見に、シャケも東雲も頷いた。

 レポートの他には、膨大な資料、妖怪図、伝承などが詰められていた。どれもこれも、最近になって手をつけられた跡が散見された。その中には、本を書いていたと思わしき没原稿や企画書などもあった。

 十和田芳孝が鷹義永久であることが明確となったのは、何度も練習したであろう、そのペンネームの練習の痕跡が随所に見られた時である。その筆致は、自分の名を漢字で書けるようになった子供の嬉々としたそれに似ていた。三人の脳裏に、写真すら見ない十和田芳孝翁がペンをとり、無邪気な顔で執筆する姿が浮かんだ。

 桐沢は、押し黙っている。

 東雲は、時の流れと思いの違いについて、ふるふると震えながら顔を曇らせた。

「悲しいもんだな」シャケは使えそうな資料をピックアップし、それを束ねた。そこには、十和田達の行き先に関する手がかりが確かに残されていた。「哀れは食われた猫もだが、こんなに頑張って調べたもんが悪事に使われるとはねぇ。やれやれ、悲しいな」

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