9 対峙

 屋上には、ロンゲの美少年――最早、そうとも言えないほど、苦悶に表情を歪めている――がのたうち回っていた。その右肩には椅子の足が突き刺さっている。シャケの言う通りであった。彼はこれを見たのだ。

「山野辺東矢君だな」シャケが確認すると、桐沢はしかめた顔のまま頷いた。「よし、よし。どんぴしゃり。おう、痛いか? ごめんよぉ」

 言葉とは裏腹に気遣いなどするつもりはないらしく、シャケは突き刺さった椅子の足をぐりぐりと動かす。そのたびに山野辺の口からは獣のような唸り声が絞り出され、身体は荒れ狂った。巨漢は暴れる左腕を蹴って伸ばしてから踏みつけた。そのまま胸に腰かけ、桐沢に目を向ける。

「二人目だ。謝らせるぞ」

 下敷きにされた美少年は、なおも唸り声を上げていた。

 桐沢は、膝立ちになって山野辺の視界に出た。酷いものだった。男女問わず美貌を称えられた少年は、顔中から液という液を垂れ流し、激痛に染まっていた。からからの喉から出てくるのはもはや言葉にもなっていない。シャケが動くたびに、地獄絵図が次々と浮かんだ。

「シャケ、これ死んじゃわない?」

「死んだらごめんだ」

 桐沢は一瞬言葉を失った。山野辺も聞こえたのだろう、激しく抵抗するが、両頬を一往復殴られその気力も奪われた。手加減されているので、首が吹き飛ぶ事態は避けられたらしい。シャケの力ならそれぐらい容易いだろうと桐沢は考える。

 ――試さなくてよかったと、少年は心の底から安堵した。

「山野辺君、君が昨日、桐沢君を狙ったかどうかは知らん。だが一味だ。君らのやっていることを考えれば連帯責任も止む無しと諦めてくれ。ほれ、謝れ。怖い思いをしたこの善良なる生徒に謝れ」

 がくがくと揺らし、傷口をいたぶりながらシャケは催促する。もう意識も朦朧としているかもしれない山野辺は、力を振り絞って声を上げた。

「ごめんなさい! ごめんなさい! もうしません!」

「シャケ、もうやめて。本当に死んじゃう」ゾッとしながら、桐沢は巨漢の行動に終止符を打った。

 何とはなしに山野辺から降りたシャケは、最後に椅子の足を抜き取って投げ捨てた。裂くような悲鳴と共に、山野辺は転げ回る。

「治療しなくて大丈夫?」

「この程度で死にはせんよ。仮にも不老不死とやらを目指している連中だ。この空間が助けてくれるだろうさ。そうでなかったら、どのみち重間司津子の仇だぜ?」鮫のように笑い、シャケは桐沢を連れてその場を立ち去ろうと歩いた。

 その時である――

 ぼう、という音と共にシャケと桐沢は突如迸った炎に囲まれた。高熱の柵はその上部が黒々と尽きているが、たっぷり二メートルはある。山野辺の姿は炎に阻まれ、見えなくなっていた。

「炎?」

 突然のことに驚き、シャケは呟いた。

「シャケ、これってさっきの続き?」

「続きらしいな。十和田じゃなさそうだ。奴が得た力はこの空間を作る事だろうからな……。となると、馬場透か、古賀卯月か」

「二人だよ」やけにドスの利いた、それでいて根底に愛らしさのある声が二人に届いた。

 どうやら、古賀と馬場ふたり揃ってやってきたらしい。シャケは再度笑う。

 手間が省けたと思っているな――ここまで付き合ってきた少年はそう読み取った。

「ついてるぞ、桐沢君! ここで一気に叩ける!」

「二対二……いや、二対一だよ?」

「訂正するなよ。君も数に入ってる」

 当たり前のように言うシャケに、桐沢は面食らった。

「僕、漁夫の利じゃないと無理。物をぶつけてきたり、大鼠けしかけてきたり、挙句の果てに炎を出す人とは流石に戦えないよ! 授業で柔道しかやったことないんだ!」必死の形相の桐沢は、「だから、シャケ、なんとかして。あいつら倒して」と結んだ。

 シャケは満足そうに笑む。

「なんで倒してほしいんだ?」筋肉がググッと盛り上がる。

「僕が襲われたっていうのもあるけど、あいつら関係ない人に、勝手に襲わせたりしてるんでしょ? 僕が東雲に襲われたみたいに。そういうの嫌だけど、僕は逃げるぐらいしかできないからね。だからシャケ、代わりに倒して」まくしたて、間を置き、「数に入れられたって、こういう風にしか言えないよ。僕も怒ってますアピールだけ」

 それは全くの本心であった。恐怖があってなお、シャケのそばを離れず、拷問に立ち合い戦いを目撃し続ける少年の、精一杯の怒りと正義感だった。数に含まれたのが、余計に桐沢を興奮させ、洗いざらいを暴露する結果に繋がっていた。

「それでいいさ。よく頑張ってるよ、桐沢君は」

 再び桐沢を脇に抱えると、シャケは助走をつけて跳躍した。飛ぶ瞬間、屋上の床が大きく砕けていた。空気を突き破って昇る感覚に戸惑いながらも、気付けば桐沢の目には二人の生徒が映っていた。ぐるりと視界が一八〇度回転したとき、シャケは着地した。五メートルは飛んでいたことだろう。

 呆気にとられ、野球帽の少年と背の小さい少女がふたりを凝視した。足元では、白いミミズのような虫の群れに傷口を埋められている山野辺がいる。顔色がだいぶ良くなっていた。

「炎を出していたのはどっちだと思う?」降ろされた桐沢は、シャケに問う。

「野球帽――馬場君の方だな。古賀君の方はあのミミズだろう。ああやって治療していやがる。やい、古賀君、菊田君は治してやったのかい? 俺は散々痛めつけたんだけどな」

「あんたか」山野辺を庇うように前に出て、古賀は深い憎悪を込めて言い放った。「もなみんも菊田も治したよ。もなみん、顔が潰れてた。すっごく嫌だったよ。泣きそうになった。もなみんは泣いてた。もなみんがあんな風に泣くなんて、初めてのことだよ。あんた絶対に許さない。重間司津子よりもずっと嫌な殺し方してやるから!」

 怒号へと変わっていった古賀の横で、馬場がたんを吐いた。その眼には、古賀と同じかそれ以上の憎しみが宿っている。口を開こうとはしなかったが、それだけにぶつけている怒りはより生々しく通る。

 桐沢少年は気圧された。

 シャケは、

「二度と泣けないように念入りにぶちのめしてやるから安心しろ。

 重間司津子よりもずっとだと? 興味深いことを言うじゃないか。どう殺したって言うんだ? 言ってみろ。ああ、やっぱりいいや。趣味じゃねぇしな」

 ずしり、と前に出て、シャケは構えた。

「おいたはいかんぞ、学生諸君。猫塚の遺物を食っていい気になっていられる時間は、俺がここに来た時に終わったんだ。あとは、お仕置きの時間だ」

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