8 十和田萌奈美

 菊田をそのままに二人が向かった先は、生徒会室であった。戸を開けると、シャケが見た写真と違わぬ室内で、数名が一斉に振り向いた。見慣れない坊主頭の巨漢が突っ立っている様はさぞかし不気味であっただろう。その中に、きょとんとして食事の手を止めた生徒がいた。長机の奥で、他の役員と同じく作業ながらの昼食だったらしい。写真では眼鏡をかけていなかったが、ペンを持つ時には必要なのだろう。姿勢を正し、墨をたらしたようなワンレンを軽く撫でて整えると、努めて冷静に口を開いた。

「あの、何か? というか、どちら様ですか?」特に動揺を感じさせず、十和田は訊いた。

 礼儀正しく、他の生徒に比べてもずっと大人びた生徒会長が、学校でおかしなことをやっていて、人間一人の行方不明事件――真実は、殺人事件の主犯格である。そう思うと、桐沢には彼女の皮の下が同じ人間かどうかさえ怪しく思えた。心のどこかでそれを信じずにいようとしている自分を認めていたが、先程の状況下で菊田が出まかせを言ったという可能性は低かった。

 生徒会室に入るのを躊躇する桐沢とは対照的に、シャケはズケズケと中へ入っていった。主犯が目の前にいるのに、慎重という言葉を知らないのだろうかと桐沢は思う。

 他の役員たちが恐る恐るシャケから距離を取り出した。表情一つ変えずに巨漢は机に飛び乗り、筆記用具や書類を蹴散らしながら――食べ物だけは気をつけて――十和田へと向かう。乱暴な様子に、とうとう役員たちは声を上げて逃げ出した。

 桐沢がサッと道を開け、十和田を除く役員が全員出ていったのを確認すると、ピシャリと戸を閉めた。腕から震えが身体全体へと通る。

 十和田は眼鏡をしまい、ふぅ、と息をついた。

「部外者が校内で問題行動を起こすと、あとが怖いですよ? せめて机から降りてください」

 小さな間違いを犯した生徒に忠告するように、知的な生徒会長は柔らかく言った。しかし、その言葉の端々には眼前の暴性に怯まない自信と余裕、そして敵意が感じられた。ギラつきだす目には一種妖艶さえ受け取れる。

「十和田萌奈美、お前がボスってわけか」なおもシャケは勢いを止めない。「重間司津子の敵討ちだ。二度とお日様を拝めないようにしてやる」

「今のは脅しですか? 警察を呼びますよ? それとも、あなたには――会わせてあげる方がいいかもしれませんね」

 立ち上がった時、十和田の周囲の空気が揺らめいたと桐沢には思えた。机の上から見下ろす筋肉に溢れた巨漢を睨みつける面上は、既に普段の生徒会長とはかけ離れている。

 不敵に、十和田は続けた。

「昨日、菊田を叩いたのはあなたよね? 邪魔をするならあの世の重間司津子と同じ目よ?」

 長机と十和田の座っていた椅子が荒々しく粉砕された瞬間を、桐沢は見逃した。見えたのは、血を噴き出しながら背面の窓ガラスを突き破って飛んでいく十和田の姿だけである。

 そして、校舎から喧騒が消えた。

 一層冷やりとした空気に、昨日と同じものを感じ取った少年は、十和田が食べていた弁当を片手にしっかり安定させ、振り下ろした拳をゆっくりと戻しているシャケに叫んだ。

「まただ! 昨日と同じだよ!」昨日よりは幾分か余裕があった。

 シャケは残った十和田の弁当を平らげながら、桐沢に振り返った。不服そうである。

「すまん。十和田を逃した。すんでのところでこの空間を作られちまった。次こそ確実に仕留めてやる」

「血を出しながら飛んで行ったよね、会長」

「鼻をへし折ったし、歯も何本か抜けてんだろ。色々へこませる感触はあったが、目を潰せなかったのが残念でならん」

 小奇麗な十和田萌奈美の顔はもうないのだと思うと、急に桐沢は悲しくなってくる。女性の顔を変えることに、この巨漢は特に抵抗はないらしい。しかし、相手も人の命を奪っているらしいし、美意識の問題はこの際置いておこうと気を取り直した。

「これって、会長がやってるの? 何なのこれ?」

「誰もいない学校、という現象を上書きしてんだろ。限りなく、それまでの学校によく似た、同じところにある別の空間だ。タイミング的にも、ここを作ったのは十和田だろう。言うなればホームグラウンドだ。攻めてくるぞ。頭を叩かれりゃ猛り狂ってこっちを消しにくるかもしれん」パキ、ポキと拳を鳴らすシャケは、心なしか筋肉がパンプアップしたようにも思える。「さぁ、桐沢君。楽しくなってきたぞ。役者が揃ってくれていれば上々。一人一人ボコボコにしてやろう。勿論、君にしっかり謝罪させるから安心してくれ」

 興奮を隠そうともせずにシャケは張り切る。桐沢には、なんとも頼もしい限りだが、いくつか不安もあった。

「東雲が……他にも、奴らにああされたのが来たらどうする?」

「東雲ちゃんたちは遺物を食わされたみたいだからな。そこは俺に当てがある。出たら傷つけない程度にボコって止まってもらうとするか」

「できるの?」自分が知る最大の暴力を持つ男に、桐沢は尋ねた。

「試してみるかい?」

 大慌てで、少年は首を横に振った。

 生徒会室を出た二人は、一路屋上を目指す。シャケ曰く、馬鹿は高い所が好きらしい。相手を馬鹿扱いするのは如何なものかという桐沢の意見は、大笑いで封じられた。

「出てくるかな、残りのメンバー」

「来る」間髪入れずに答えたシャケの顔に、キリリとした精悍さが戻った。「言っただろう、仲間意識が強いと。そこを徹底的に打ち砕いてやる」

 苛烈ともいえる拷問でなのだろう――桐沢には、もう分かっていた。

 途中、教室の一つからガタガタという音が聞こえてきた。二人の足が止まる。

「また大鼠?」

「いや、菊田は散々にしてやった。今度は別の手品を見せてくれることだろうよ。離れるなよ、桐沢君」

 戸に近づいた瞬間、滑る音と共に教室が開放され、椅子と机が乱れ飛んできた。「あっ」と声を上げる桐沢の前に陣取っていたシャケは、ぶつかってくるそれらを無造作に払いのけながら教室へと入った。桐沢は言われた通りに離れず、シャケの後ろを歩く。勝手に飛び回り、襲い掛かる椅子と机は一つ残らずシャケに払われてはいるが、勢いが止む気配はない。

 キョロキョロと、シャケは教室を見回した。やがて、合点がいったらしく、ひとりコクリと頷く。その間も、襲い掛かる全てを振り払っていた。

「ポルターガイストみたいで面白いな。サイコキネシスってやつだ。これは教室出ても追ってくるぜ。おそらくは学校中どこに行っても、だ。さて、やるとするか。桐沢君、俺が合図したら、地面に伏せていてくれ」

「伏せないとどうなるの? 死ぬ?」

「そうならないように気をつけてくれ。そうなったら埋める遺体もなくなるかもしれん」

 サクッと恐ろしいことを言い出す巨漢に、桐沢は必ずや伏せて生き延びようと決意を固める。

 飛び回る数々は、おどろおどしいリズムを刻みながらもやのように、時に飛びかかる猛獣のように二人を恐怖と暴力の世界へ誘い続けている。

 四方八方に蔓延し、渦のように。

 しかし、それらは全て、どんなに恐怖的だろうと、暴力的だろうと、目の前の男には問題などない。桐沢は知っていた。

 知っていたがゆえに、彼は目を疑ることとなった……。

「伏せろ!」

 何にもぶつからないよう注意しつつ、桐沢は身を伏せた。しかし、何が起きるかだけは見ておこうと、目はシャケに向けておく。

 そこには、猛獣がいた。

 飛びかかるものは弱々しい羽虫に感じられるほどに、その男は野蛮だった。

 身を捻り、飛び、両手足に頭――全身を使って飛び回る椅子や机を破壊していった。まるで軽業である。動きには一切の無駄がなく、次々と獲物を力の塊としての身体で叩き落としていった。もはや、渦など壊される順番待ちでしかなかった。時折身体の上に落ちてくる残骸の量が、巻き起こる力の嵐を物語っている。十秒もすると、教室には椅子や机だったものが無惨に転がっていた。シャケは大きな姿勢をとり、天に拳を掲げた。

「とりゃあ!」巨漢が地面をはたくと、桐沢は一瞬身体が持ち上がった。同時に、残骸は全てが桐沢より上に持ち上がっている――弾き飛ばされている。その中からシャケは椅子の足だったものの一本を掴みとると、残りが地面につかない内に何度か蹴り放ち、外へと追放した。残骸の雨がバラバラと降りていった。

 掴んだ一本を構え、シャケは大きな振りで外へ投げた。吸い込まれるような破裂音があとから響き、窓ガラスには穴があき、崩れた。向かい合う校舎の屋上にそれは飛んで行った。まるで銃である。

「シャケ、最後のは何?」

「向こうに人が見えた。あそこから見てたんだろう。行くぞ」

「椅子の足を投げたよね?」恐る恐ると桐沢、

「俺を槍投げのオリンピック選手に推薦するなよ。向こうでちゃんと刺さった。肩を押さえてうずくまっていることだろう。さぁて、誰かな、誰かな」

 シャケは桐沢を脇に抱えた。またか、と少年は思うが――

「真っ直ぐだ。最短を突っ走る」

「え?」

 言葉の意味は、落下を始めている――これもまた昨日知った――感覚で理解できた。

「うわあああ!」

 途中途中に足を引っかけ、桐沢を抱えたままのシャケは見事に着地した。間をおかず、そのまま向かい側まで走り、再び校舎の壁を登りだした。なんとも荒っぽく、再び壁は穴だらけになった。

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