第15話 避難施設

 銀色に光る金属製のドアを背中で閉め、施錠する。カレンはようやく安堵の息を吐いた――この頑丈なドアなら、いくら狡猾な原発ピグミーたちといえど、こじ開けることはできないだろう。

 黒草病院、中央診療施設棟地下に位置するその小部屋――壁際には缶詰などの食糧品が並び、ちいさなテーブルには銀色のパッケージに包まれた医薬品が散らばっている。患者用のベッドや丸椅子も居住用にむだなく転用されており、廃墟となったこの黒草病院のなかでほとんど唯一、手が行き届き、人間が暮らす生活感が漂う部屋となっていた。死の砂漠のなかのオアシスといった風情である。

 防護服の女は、レーザー銃のような謎の武器を壁に立てかけ、飲料水入りのペットボトルを投げてよこした。

 カレンの手のなかで、透明の水が重みとともに波打つ。カレンはごくりと唾をのんだ。すでにこの廃病院に潜入してから、一時間ほどが経っている。防護マスクと防護服のおかげで、躰は汗にまみれていた。砂漠の遭難者のように、咽喉が奥から焼きついている。しかし、防護マスクを脱いでいいものか――。

 カレンの躊躇いを察したのだろう、防護服の女はどかりと丸椅子に腰を掛けた。そして慣れた手つきでみずからの防護マスクに手を掛け、ゆっくりとおもむろに剥ぎとってみせる。

 防護マスクから長い白髪が垂れた。そのなかに物憂げなまなざしと、皺が刻まれた痩せた頬が覗く。

 よくみれば、防護服の下の躰も、ずいぶんやつれ、ふしくれだっている。カレンよりはずいぶん年配であるようにみえるが、その落ちくぼんだ眼には、深い理知と知性がみてとれた。

「お嬢ちゃん――ここじゃ防護マスクを脱いでもだいじょうぶ。この部屋はもともとX線診療室でね――」

「X線診療室」カレンは声を上げた。「壁には二〇ミリの厚さの鉛硬板――」

「よく調べているじゃないか」愉快そうに老婆は顔をゆがませる。「そう、いまじゃちょっとしたシェルターなのさ、ここは。地下一階、重コンクリートの壁に鉛硬板。この廃墟の町での数少ない安全地帯というわけでね」

 ガイガーカウンターは原発ピグミーに奪われた。線量を計測できないのは残念だが、ふつうの生存者がいることからも、この部屋の線量が格段に低いことはたしかなようだ。

 カレンも覚悟を決め、防護マスクを脱いだ。暑さと汗でピンク色に紅潮した頬、目鼻の整った華やかな顔立ちが露わになる。

 カレンは礼をいい、ペットボトルの水を口にした。生ぬるい、なんの変哲もない水だったが、いままでのんだどんな飲み物より、美味だった。必死に行儀を意識しながら、それでも咽喉を鳴らして、あっというまにのみ干してしまう。

「綺麗な顔のお嬢ちゃんだ。マスクなんてするのはもったいないね」老婆は嬉しそうにいった。「コーヒーでも煎れよう、それとも紅茶がいいかい?」

おかまいなく――と答えようとしたが、その声が出なかった。咽喉の乾きは、まだ癒えきってはいない。

「紅茶にしよう。そのほうが、あんたに合っている気がする」

 孫娘をみるように微笑み、老婆はカセットコンロで湯を沸かしはじめた。

「もっとくつろいでいいんだよ。お客さんは珍しくてね、わたしも嬉しいんだから。おわかりだろう?――この町にはもう」老婆は悲しげな眼を虚空に向ける。「めったに人が訪ねてこないからね――」

「お婆さん――もともと、この町の人なんですか?」

「そうさ」老婆は答える。「わたしの名まえは鞠木まりき百合ゆり――」

「鞠木――」カレンは声を上げた。

 廃病院の裏口近くに散らばっていた診療録のなかに、その名をみた記憶があった。

 病院スタッフのなかに、行方不明のままの者もいる――という噂話と、その名まえが繋がりをみせる。

「まさか――この病院の、元医師――」

 老婆はそっとうなずく。廃墟のなか、たったひとりで棲みながら、なお気品ある物腰と理知的なまなざし。それがなにより雄弁に、その事実を証明していた。

「行方不明になったほかの患者やスタッフについては、わたしは知らない。おそらく、生存しているのはわたしだけじゃないかな。十年前のあの震災――サイレン。悲鳴。混沌――そりゃ、ひどいもんだった。まるで、悪夢さ。そして原発事故――この黒草病院への救助は、二カ月を待たなければならなかった。救出されずに見捨てられた人たちがいたって、怪訝おかしくはないね」

 そして老婆はカレンの顔をもういちど見やった。 

「あんた――大東亜電力の人なんだろ」

 カレンは返答を躊躇った。鞠木医師からみれば、彼女は原発事故を起こした当事者の一味だ。町の人びとから、どんな謗りを受けても、仕方がない。

 唇を噛むカレンに、鞠木医師はやさしく微笑んでみせる。

「別に、あんたのせいじゃない。危険を承知でこんなところまで来てくれたんだ、その心意気を買えないほど、わたしは耄碌しちゃいないさ。ずいぶん責任感の強い娘さんが来てくれたもんだ、嬉しいことだねえ」

「生存者がいる可能性があると、情報を受けました。わたしがここに来たのは救出と――見舞金の支払いのために――」

「救出は要らない」老婆は、きっぱりと答える。「わたしはじぶんの意志で残ったのさ。なんせ、この町は思い出深い故郷だからね――此処を離れる気も、毛頭ない。そうなると、あんたが救出する相手というのは――ってことになる」

 原発ピグミー――カレンの胸に、さっきまでのおぞましい恐怖が迫った。

 単に畸形というだけではない。凶暴で――狡猾だった。廃墟に巣食う悪鬼といってもいいだろう。

 ふいに鞠木医師が左手の手袋をはずした――露わになった鞠木医師の皺だらけの手に、カレンは言葉を失った。

 そこには――人さし指と薬指が、半分ほどのところで失われていた。

。特にあのひとまわり大きな〈指まみれ〉――呆れるほど凶暴でね。手がつけられない」

 鞠木医師は、ふたたび手袋を装着する。

「なぜ、彼らは――わたしたちを憎むんです?」

「簡単さ。もし町に彼らが現れたら、あんたはどうする? みんなこぞって石を投げ、醜いとなじり、異形の者として遠ざけようとするだろう? それとおなじさ。この死の町では、わたしたちのほうが異族でありマイノリティなんだ。わたしたちは彼らに差別され、迫害され、排斥されるというわけだ。彼らを助けるなんて、お門ちがいもいいところさ。あんた、厨房の食糧貯蔵室――みたかい?」

「男性の遺体が――」

「驚いただろう。放射線に全身を喰い破られた憐れな犠牲者だがね、連中にとっては人間の死体すらもただの食糧でしかない。あの遺体――できれば弔ってやりたいが、いかんせん放射線を浴びすぎている。遺体というよりはもはや放射性廃棄物といったところでね――近づきたくても、近づけないんだ」

「〈彼ら〉は――いったい何者なんですか?」

 老婆は悠然とティー・ポットに茶葉を入れ、湯を注ぐ。

「ほかにも質問がたくさんおありだろう?」

「簡潔に三点」カレンは三本の指を立てた。「外にいる〈彼ら〉はいったい何者なのか。どうして〈彼ら〉はあの放射線量のなか、生きていられるのか? それに――あなたは、いったいこの場所でなにを?」

 鞠木医師は右手のひとさし指を立てた。

「彼らがいったい何者なのか――簡単だよ。放射線による突然変異で生まれた子供たちさ――この死の町のストリート・チルドレン。ちょいと見た目はふつうじゃあないけどね、むろん、ふつうじゃないのは見た目だけの話じゃない。驚いたことに、放射線が渦を巻くこの帰還不可能区域の環境に、完全に適応してしまっている」

 まさかそんなことが――いや――そうではない。想定すべき範囲内なのだ。政府も大東亜電力も、放射線の危険を過小に見積もろうと画策し、国民にはかぎられた情報しか与えてこなかった。その裏を覗けばどれほどの惨事が隠れているのか、当然、想像できたはずなのだ。カレンは、じぶん自身の意志で、考えることをやめていたのである。

「〈原発ピグミー〉――外の世界では〈彼ら〉のことを、そう呼んでいます。実在するかどうかは半信半疑でしたが――まさかあんな畸形児たちとは」

「〈彼ら〉は、畸形児なんてものじゃない」老婆はかぶりを振る。「畸形児ってのは、おなじ人間を指して使う言葉だからね。〈彼ら〉はもう、わたしたちとは異種の生き物さ。この放射線まみれの土地に唯一、完全に適応できる、新種の人類なんだ――お嬢ちゃん、お利口そうなあんたのことだ、あの子たちの耐放射線能力の謎について、すでに糸口ぐらいは掴んでいるんだろう?」

 カレンはごくりと唾を呑のむ。艶めかしい唇を慄(ふる)わせながら、彼女はじぶんなりの仮説を口にした。

「〈彼ら〉は――ネオテニーなのでは?」

 老婆はニヤリと笑った。まるで、よくできる教え子を眺める教師のような表情で。


 ネオテニーneoteny――日本語では幼態成熟と訳される。動物において、幼体の特徴を残したまま成体として性成熟する現象を指す。もっとも顕著な例として、ウーパールーパーの愛称で知られるメキシコサラマンダーなどの両棲類が挙げられよう。通常、両棲類は鰓で呼吸をする幼生(いわゆるオタマジャクシ)の状態から肺で呼吸をする成体に変態するという特徴を持つが、メキシコサラマンダーは鰓で呼吸をする幼体の特徴を残したまま性成熟を迎える。すなわち、オタマジャクシの状態が、彼らにとってはすでに成体なのである。


「〈彼ら〉原発ピグミーも同様ですね――観察したかぎり、さまざまなタイプの畸形がいましたが、赤ん坊のような小柄な体格と未成熟な頭身という特徴だけは共通していました。そこからわたしは当初〈彼ら〉を子供と錯覚した――しかしちがいます。あれは正確には子供じゃあない。あの群れ――ただのストリート・チルドレンというにはあまりに不自然な人数でした。数が多すぎる――つまり〈彼ら〉は繁殖しているんです。この廃墟の町で、みずから数を殖やしている。つまり、体格的な成長をいっさいしないまま〈彼ら〉はすでに性成熟を迎えていることになる。その特性こそが〈彼ら〉の耐放射線能力に関わっていることは明白でしょう」

 鞠木医師は頷き、ジェスチャーで話の続きを促した。

 声のトーンを上げ、カレンは続ける。

「放射線の影響は通常、個体の年齢が若いほど大きく、高齢になるにつれ少なくなります。これは成長が著しい若い世代ほど細胞分裂が活発なため、放射線によるDNAの損傷もみるみる複製されて増殖し、被害が拡大するからです。そこで彼ら〈原発ピグミー〉は特異な進化戦略を採った。奇妙なことですが、それこそが『成長をやめる』こと――細胞分裂を不活化させ、生まれながらの身長、体重から成長しなければ、瑕疵のあるDNAの増殖、発癌の危険を最小限に抑えこむことができる――」

「ご明察」鞠木医師は手を叩く。「一九九九年の東海村JCO臨界事故で多量の放射線を浴びて亡くなった作業者は、全身の臓器がぼろぼろに破壊されていたが、心臓だけは損傷がなかったそうだ。心筋細胞はほかの臓器とちがってほとんど細胞分裂しないから、そのために損傷が少なかったのさ。皮肉なことに、脳や神経細胞も細胞分裂の頻度が低いため損傷が少なく、そのため苦痛だけは死ぬまで明瞭に続いたわけだがね。原発ピグミーの耐放射線能力も、心筋細胞のそれに類するものだという説はたしかに成り立つ。だけど当然、それだけじゃあない。七〇点ってところだね。残りの三〇点を拾うには、メキシコサラマンダーの例におけるネオテニーのメカニズムについて、もう少しばかり掘り下げなければなるまいよ」

 ネオテニーのメカニズム――カレンの脳裏に解答の閃きが一瞬よぎったが、やがてそれは靄のなかにかき消えていった。

 言語化できない。資料を繰るだけの環境があれば、その閃きを言語化できるはずなのに――カレンは唇を噛む。

 鞠木医師は熱い紅茶をみたしたカップをカレンに差し出した。美しく明るい褐色の水面が、カップのなかで揺れながら清涼な香りを立てる。

 老婆は教え諭すように指を立てた。

「いいかい、お嬢ちゃん。メキシコサラマンダーのネオテニーには、彼らの棲息地の特異な条件が関わっている。メキシコサラマンダーは知ってのとおり、メキシコのソチミルコ湖とその周辺に棲息する固有種でね、この環境は生体の成長に必要な元素であるヨウ素が極端に少ないんだ。メキシコサラマンダーはヨウ素の乏しい環境に棲息するため、成長を促す甲状腺ホルモンであるサイロキシンが分泌されず、結果、ネオテニーの状態になるといわれている。

 あんたたちが呼ぶところの〈原発ピグミー〉も同様さ。〈彼ら〉は成長しないという特殊な体質を持っている。いい換えれば成長ホルモンであるサイロキシンを分泌しないということだ。したがって、サイロキシン分泌に関わるヨウ素の必要摂取量も少ないか、ほとんどなくても済む――この特性も〈彼ら〉を汚染地帯に適応させる強みになっている」

「そうか――」閃きが明瞭に、カレンの口をついて出た。「一般人の生体は、摂取した必須元素であるヨウ素を、血液中を通して甲状腺に蓄積させる。原発事故の際にはこの機能が仇となり、ウランの分裂によって生じた放射性ヨウ素を甲状腺に摂りこんでしまい、内部被曝によって甲状腺癌を発症させてしまう。だけど原発ピグミーは成長しないためにヨウ素の必要摂取量がきわめて少なく、放射性ヨウ素を体内に蓄積させずに済む――甲状腺癌のリスクも、最小限に抑えられるというわけですね。〈彼ら〉が放射線にまみれたこの汚染地域で防護服もなしに活動できるのは、じつにそのため――」

「上出来」老婆はにやりと笑ってみせた。「八五点というところだ。まあ合格だね」

 難問を解いた喜びに息を吐き、カレンはそっと紅茶に口をつけた。柑橘類を思わせる爽やかなフレーバーを吸いこみ、渋みの少ない紅茶を味わう。

ニルギリ――か。よく侑梧ゆうごが淹れてくれた紅茶とおなじものだ――まさか、こんな廃墟の町でのめるとは、想像だにしていなかった。

「その答えは、三つめの質問――鞠木先生、あなたがこの廃墟の町になにゆえ残ることを決意したかという問いにも、同時にお答え戴いたことになりますね」

カップを置き、カレンは語をつぐ。

「鞠木先生、あなたは原発ピグミーの特異な体質について人知れず研究なさっていたのでしょう? 医師として――」

 老婆はうなずく。

「理解の早いお嬢ちゃんだ。さすが大東亜電力、優秀な人材を抱えているね。察しのとおり、わたしは〈彼ら〉の放射線への適応能力について研究している。放射線耐性だけでなく、もっと全般的なことについてね。たとえば、〈彼ら〉がなぜ闇のなかで正確にあんたの位置を掴んで追跡できたか、不思議には思わなかったかい?」

 そういえば、たしかに――〈彼ら〉のあの灰色の眼は、闇のなかでも視力を失っていないようだった。

「彼らの知覚能力は特別でね――どうやら放射線を感じることができるらしいんだ」

「放射線を――感じる?」

「そう――本来、人間は放射線を視ることもできず、感じることもできない。コンプトン・カメラのような特殊な機材を使うか、フィルムに感光させるかしないことにはね。だけど生物の放射線知覚能力については一九五〇年代からさかんに研究されていて、動物のなかには放射線の知覚能力を持つ生物がいることも確認されている。哺乳類ではマウスやラット、ネコなんかは放射線を不快な刺激と認識して照射源からの逃避行動をとることがわかっているし、同様の行動は魚類や爬虫類、節足動物と、多岐に渡る生物種で確認されている。その多くはどういった感覚器官で放射線を知覚しているか謎とされているが、原発ピグミーはどうやら視覚でX線を感知できるらしい。これは、蟻の放射線知覚能力と同様だね」

「まさか、そんなことが――」

「可能なんだ――あの連中には。連中も、放射線への強い耐性があるとはいえ、当然、不死身というわけにはいかない。あまりに強い放射線は可能なかぎり避ける必要性がある。放射線知覚能力も、そのために発達したんだろう。まあ、連中が放射線に対して無敵じゃないってのは、わたしにとってもありがたいことだけどね」

 鞠木医師は壁に立てかけていたライフル銃のような機械を両手に携えてみせる。 白いプラスチックと銀色の金属部品、黒い樹脂を組み合わせた近未来的なデザインに頼もしげな重厚さ。

 異星の工芸品のようなそれをまなでるように撫でながら、鞠木医師はいう。

「X‐レイ・マグナム――わかりやすくいえば、強化放射線発生装置さ。装置の小型化に適したカーボンナノ構造体電子源と、高出力を誇るシンクロトロン型円型加速器を内蔵、高電圧で電子を加速して大強度の高エネルギー光線を得ることができる。病院に捨て置かれたX線照射装置を改造して、わたしが作った、この廃墟の町での唯一の武器らしい武器さ。最大一五〇〇〇グレイの放射線をレーザー・ビームみたいに照射できるんだ――わたしはこいつに”ヴィルヘルム”という愛称をつけて呼んでいる」

 不穏な言葉に、カレンは身を縮めた。一五〇〇〇グレイ――異常すぎる数値だ。八グレイの放射線に被曝すれば、どんな人間でも死ぬといわれている。一五〇〇〇グレイといえば、医療器具への放射線減菌に使用される放射線量に匹敵する数値だ。

 それをもし人間がまともに浴びたらどうなるか――カレンには、想像もつかない。

「さて。これからあんたはどうするつもりでいるんだい?」

 鞠木医師はニヤリと嗤った。立場が上位であることを、誇示するような不穏な笑みだった。

「どうする――とは?」

「あんた、ほんとうはあの連中の放射線耐性の秘密をさぐりにきたんだろう? あんたたち大東亜電力がほんとうにほしいのはそれさ――

「それは――」

 たしかにそうだった。放射線への耐性――それは大東亜電力にとっても、じぶんにとっても、咽喉から手がでるほどほしい情報だった。原発ピグミーの耐放射線能力のメカニズムは解明できた。この情報を持ち帰れば、阿藤社長はさだめし喜んでくれるだろう。だけど、問題はそれを技術的に応用できるかどうかだ――。

「図星だね」

 語気鋭く鞠木医師はいい捨てた。

「あんたは、わたしやあの連中のために見舞金の交渉にきた、なんて甘言を弄した。だけど、あんたらはけっきょく放射線耐性のメカニズムがほしいだけ。あの子たちは放射線の影響で進化した新種の人類だ。DNAレベルで解析すれば、放射線耐性能力を司る塩基配列を突き止められないものでもない。それを旧人類に組みこめば、原子力発電のリスクは実質的になくなる。あんたらは原発産業でいまよりもっと儲けられるというわけだ。けっきょくあんたも、大東亜電力という腐敗した組織の一員でしかないということさ!」

 鞠木医師の眉間の皺はみるみる深く刻まれ、唾に濡れる薄い唇からは歯がむき出しになっていた。

「それは、ちが――」

 。そのことは、カレンがいちばんよくわかっていた。ボーナスのため、なによりじぶんや侑梧を救うために、放射線耐性能力の研究は必要だった。可能なら、原発ピグミーをひとり、サンプルとして連れて帰りたいほどだった。

「かれ――……」

 咽喉から搾りだした自分の声に、カレンは愕然とした

 唇が痺れている。ろれつが、回っていない。

「〈彼ら〉を――?」

 鞠木医師がにやりと嗤った。彼女の口もと、黄色く変色した歯が、痩せた歯茎のなかでみすぼらしく並んでいるのが大きく飛びこんでみえた。

 小部屋が揺れている。靄のなかに包まれていく。

「ええ? なんだって、お嬢ちゃん? かれ……?」

 ヒッヒッヒ――魔女のような哄笑が、X線診療室に高く響いた。

 

 ――………………!


 朦朧とする意識のなか、カレンの耳の奥でまた、そんな幻聴が響いている。

 安全なシェルターに逃げこんだつもりだったが――だったことに、失われる意識のなかで、彼女はようやく気がついたのだった。

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