第12話 陰謀


「さすが絹木くん――さっそくやつらとの接触に成功したぞ」

 大東亜電力社長室――牛革ソファーにもたれ、アラミド・コーヒーの香りを嗅ぎながら、阿藤社長は満足げに微笑んだ。

「阿藤社長――」

 黒縁眼鏡の位置をしきりに直す東副社長の声には、動揺が絡みついている。

 当然だ――大型ディスプレイは、もはや完全なる闇に閉ざされた。絹木カレンのCCDカメラが破壊されたのだ。

「さっきの――最後の映像は。絹木社員の視点カメラが最後に捉えた映像は、いったい――」

「あれが原発ピグミーだ」阿藤社長は手を叩く。「素晴らしい、素晴らしいよ――毎時一〇〇〇マイクロシーベルトの環境下で、防護服や防護マスクなしで、なんの問題もなく生きている。やつらは適応しているんだ! 東くん、あれこそが、わが社の希望だよ――そうは思わないかね?」

 毎時一〇〇〇マイクロシーベルトの環境下で平然と生活できる人間がいる――信じがたいことである。東副社長の痩せた顔は、完全に色を失っている。一〇〇〇マイクロシーベルトといえば、一般人が一年間で被曝する限界放射線量に匹敵する。チェルノブイリの放射線量は毎時五マイクロシーベルトだが、それでも事故現場三〇キロ圏内は立ち入り禁止になっているというのに。

 あきらかに、あの生存者たちは、ふつうの人間ではない。

「これは大きなビジネス・チャンスだぞ、東くん」

 阿藤社長は、上機嫌でいう。

 たしかに、そういう考え方もできる――東副社長はゴクリと唾をのんだ。

 原発ピグミーたちの放射線耐性の秘密を突きとめ、それを人間に応用できれば――新たな技術輸出の機会が得られる可能性は、たしかにある。

 世間では原子力発電はきわめて高度に機械化された先鋭的システムと考えられているが、じっさいのところはそうではない。原発の整備・点検や清掃作業などは、旧態然としていまだ人力に頼らざるを得ないのが実情だ。いまも全国の原子力発電所の現場の最前線では、臨時雇いの下請け労働者たちがピンハネされた安価な賃金で死と紙一重の危険労働に明け暮れている。かれらの出自はホームレスや日雇い労働者などの貧困層、閑散期の漁師や農業従事者たちだ。一説によれば、三十年間に全国で七〇〇から一〇〇〇人の原発労働者が死亡し、何千人もの原発労働者が癌にかかっているという。しかし、彼らの犠牲なくして、原発は一日たりと稼働できないのだ。原発における最大の問題は、まさにここにある。

 原発労働者は、規定の被曝線量を超えると、安全のために職場を去らざるを得ない。つまり、作業に習熟した者ほど、職場を去ることになる。常にマンパワー不足に喘いでいるのが、原発最前線の偽らざる実情なのだ。

 しかし、もし原発労働者に原発ピグミーたちのような耐放射線能力があればどうだろう? 電力会社側は練度の高い作業員を安定して確保できるし、労働者たちも安全を保証されることになる。

 なにより――それは新たな原発ビジネスのチャンスを生む。地震大国であり安全性を確保できないわが国が原発事業から脱却しないのは、原発技術がカネになるからである。ヨーロッパなどの先進国ではすでに脱原発に向かっているが、経済成長めざましい新興国ではそうではない。激しい人口増加と産業の発展に対応すべく、原子力発電を採り入れたがる新興国は多いのだ。原発一基が五〇〇〇億円のビッグ・ビジネスである。日本としては技術力をアピールして原発建設の受注をひとつでも多く獲得したいところだが、十年前の原発事故を受けて、国際的な信頼は大きく失墜している。これでは中国、韓国、カナダなどを相手とする受注競争に打ち勝つことはできない。

 しかし、放射線耐性を持った労働者を日本から派遣できる、ということになればどうだろう? もしくは、放射線耐性の獲得を技術として確立してそれを新興国に提供すれば? 

 受注競争は劇的な逆転劇をみせるだろう。それどころか独走は、確実だ。日本経済は、夥しい外貨をかき集めて、一気に潤うことになる。

「しかし――彼らの放射線耐性には大いに興味をかきたてられますが、調査など可能なのでしょうか? 彼らがいったい何者なのか謎ですが――相当、凶暴そうです。しかもあれほど群れを成しているとあっては――」

「いや、それはちがうのだ」阿藤社長はかぶりを振る。「不本意ながら、絹木くんには嘘をつくことになってしまったが――

「なんですって?」東副社長の声がうわずる。「しかし――それでは絹木くんの任務は――」

暗号名コード・ネーム『トリニティ』――ここからが、真の計画の始まりなのだ」

 東副社長は言葉を失った。

 阿藤社長はコーヒーを口に含み、にやりと嗤った。

「危険だろうがなんだろうが――彼女には、なんとかやり遂げてもらわなければな……」

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