第10話 進行

「この健康診断の結果は――まさか、そんな!」

 ふるえる口もとを手で覆い、東副社長は必死に狼狽を抑えようとした。

 絹木カレン――死の町に潜入したあの憐れな女子社員の数奇な運命、そこになにか恐るべき神の悪意を感じざるを得なかった。

「――――

 覆った手の隙間から、譫言のような声が漏れ響く。

「まさか――彼女も」

「そうだ」ソファーにもたれる阿藤社長は、苦々しげに答える。「彼女もまた十年前の黒草町の避難民――放射線被曝による癌の発症は十年後から始まるというが、たいしたものだ、測ったようなタイミングではないか。皮肉なものさ――その呪わしい病魔をみつけたのがレントゲンだというのはね」

「か、彼女はこのことを」

「もちろん知っている。だからこそ引き受けたのだろう。彼女が任務を受けた意図はこうだ――まず、恋人のために多額の治療費を残してやりたい。今回の任務の特別ボーナスがあれば相当の助けになるからな。第二に、もしほんとうにあの廃病院に原発ピグミーがいるのなら――その謎の生存者たちが放射線への耐性を持っているのだとしたら、その秘密をどうしても知りたいと考えたのだろう。じぶんや恋人の病気を治す手がかりになるかもしれないのだから。第三に――彼女はまだ、わが社の中枢へと駆け上り、原発事業を内側から廃絶するという夢を忘れてはいないのだな」

 阿藤社長は不愉快そうに吐き捨てる。

 しかし、東副社長の胸の内に広がるのは、じぶんの娘ほどの若さの、絹木カレンに対する深い畏敬だった。

 女性ながら、なんという気丈。

 若さにも拘らず、なんという精神力。

 いや――憐れにも、女性ながらそこまでしなければならないほど、運命に追い詰められている、というべきか。

 阿藤社長は、デスクにレントゲン写真を投げ出した。

「彼女のものだ。腹腔に大きく白い影があるだろう」

 東副社長は息をのんだ。壮絶な写真だった。これほど大きく、また異様な形状の影は、短くない人生のなかでもみたことがない。

「素人目にみても、尋常ではない状態だ。産業医の雁間がんまによれば、信じがたい異常な速さで進行しているということらしいがね、身体症状は、どういうわけかそれほど激しくはないらしい。本人は幻聴や幻視、躰のだるさや意識の混濁を訴えているらしいが――医者の話では癌患者が幻覚を訴えるケースはままあるそうだ。ちょうどいまも、雁間がより詳しく二次検査の結果を吟味している最中だよ」

「阿藤社長、あなたは恐ろしい人だ」東副社長は声を震わせた。「彼女が癌であるからこそ――彼女をお選びになっただなんて――」

 阿藤社長は、血走った眼を瞠る。

「彼女なら、必死にやってくれるよ――。組織にとっては、部下の抱える精神不調や疾患でさえ、会社のために役立たせるスキルのひとつなのだ。そう、きっと、彼女はすべてうまくやってくれるはずさ――」

 悪魔じみた哄笑が、豪奢な社長室に響きわたる――。

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