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 一連の事件の犯人がボニールンゲン男爵子息バルトロメウ――自分の実の弟であると、ロイズは言い切った。漆黒の瞳は固い意志をを宿したまま、真正面に向けられている。

 ディートハルトもさして驚いた様子もなく、ただゆっくりと目を閉じただけである。恐らく、エミーディオあたりから聞いていたのだろう。


「お、お待ちになってくださいロイズ様、それにお兄様も……だって、バルトロメウ様は男爵の子供で、そんな、実の父親を陥れようとするなんて」

「俺はよくバルトロメウのことを知っているわけではありませんが、父親によく似た男です。あの男の権力が使えるうちはそれを振りかざし、それが出来なくなった途端にあいつは男爵を切り捨てるでしょう。あいつと俺の共通点と言えば、互いに父親を嫌い抜いていることくらいだが」


 生まれながらの貴族。約束された男爵の地位。商業で成果を上げれば、末端貴族でも王から新しい爵位を賜ることだって可能なはずだ。ヒーストレイア女公爵の夫のように、何代も商人としての実績を積まねばならないということもない。


 それもあって、バルトロメウは貴族の地位に拘っているのか。

 否、それにしてはやり方が狂気じみている――信じられないと言った風に困惑の表情を浮かべるティーナに、ロイズは頭を振った。


「あの親子は、二人揃って権力欲の塊のようなものです。俺も人のことは言えませんが、権力に対して何処か卑屈になっている部分がある」

「そんな、ロイズ様は……」

「同じです。俺も結婚した当初は、あなたをまともに見ることすらできなかった」


 生粋の大貴族に生まれたティーナに、バルトロメウや男爵の気持ちを理解することは、恐らく今後も出来ないだろう。ただ、同時に理解したくないとも思った。誰かを傷つけてまで権力を欲して、何になるというのか。


「ちょっと、二人の世界に浸るのもいいけど、俺がいるのにも気づいてくれてもいいんじゃないかな? とにかくそのエヴァンジェリン公が開催するパーティに、君たちは来ないでくれ。頃合いを見て俺からエミーディオに連絡をとる……そんな顔をしないでくれ、別に手柄を横取りしようなんて考えていないさ。ただ、ティーナにバルトロメウが何もしないという保証はどこにもない」


 金髪の下で面白くなさそうに歪む顔は溜息が出るほど秀麗であったのに、言葉は何処か重苦しい雰囲気を孕んでいた。

 ディートハルトは深い深いため息をついて、ティーナを見下ろしている。


「でも、お兄様……その、私がバルトロメウ様にお会いして何かが起きれば、もしかして彼を捕らえることは」

「可能だよ、けれどそれを許してくれるほど、君の旦那様は冷たい男じゃないだろう」


 確かに、ロイズを見上げると目でそれは駄目だと訴えられる。

 けれどティーナは、確たる証拠もない今ではそれが一番得策であると信じていた。何かあっても、ロイズが助けに来てくれる――馬鹿正直なまでに信じたその一念は、頑固なまでに崩れることがない。


「アイザック様が男爵の素行を調べてまとめ上げた書類が、俺の元から盗まれています。それを見つけ出せばあの男とバルトロメウの罪は証明される。あなたがわざわざ危険な思いをすることなどない」

「けれど、その書類をどうやって見つけ出すのです?」

「何か罪状を掴んで王太子殿下の名の元に強制捜査を行えば……」

「どの罪状を? その証拠を盗まれたのなら、正当な手段は使えないではありませんか」


 正論で返されて、ロイズはぐっと言葉に詰まった。

 もとより議論の類があまり得意ではないロイズが、それもティーナ相手に言葉で勝てるわけがない。妻相手に力で意見をねじ伏せるわけにもいかず、結局ロイズは黙り込んで顔を伏せた。


 やり方としては、わざとバルトロメウとティーナを接触させることで彼が何らかの動きを起こし、それを現行犯で捕まえたのちに罪状をもって強制捜査というのが一番やりやすい方法だ。だが、やはりティーナにかかる負担が大きすぎる。

 そう歯噛みするロイズに、ディートハルトも美貌を曇らせた。


「ティーナ、君はそこまでして旦那様の役に立ちたいの? 君個人があの二人を憎んでいるというわけでもないのに」

「確かに私が二人を憎んでいるわけではありません。けれど、男爵のしてきたことが法に反するというのなら、それは処罰されてしかるべきです。……女の分際でと言われるかもしれませんが、本来貴族とは規範になるべき人間なのですから」


 僅かに震えた声で、けれどしっかりと言い放ったティーナに、ディートハルトは小さく笑いをこぼした。

 彼に怯えて父親の陰に隠れていた少女は、いつの間にかロイズの傍らで彼を支える女性になっていた。時間の流れを感じながらも、肩を竦める。


「もう好きにしたまえよ。君らがどうなろうと俺の知ったことじゃない。ただロイズ、君に何かあったらティーナはありがたく貰っておこうかな」

「……ご心配痛み入ります。が、俺自身の命もティーナのことも、一つの取りこぼしなく守って見せる自信はあります」


 諦めたようにそれだけ言ったロイズに一度だけ微笑みかけると、ディートハルトは手を彼の方に置いて、ぐっと背伸びをした。上背のあるロイズと送信朝の高い方ではないディートハルトの距離が、ぐっと近くなる。


「その言葉、忘れるなよ。怪我一つでもしてみろ、俺がティーナを無理にでも迎えに行くから」


 ティーナにその言葉は聞こえなかったのだろう。キョトンとした表情のまま首を傾げる彼女を一瞬だけ見て、ディートハルトは手を離した。


「精々頑張れよ、エミーディオと一緒に高みの見物しておいてあげるから」


 ひらりと手を振って女性たちの中に戻っていったディートハルトを、ロイズは何処までも目で追っていた。

 ずっと気に食わない男だと思っていたのだが、どうやら考えを改めなければならないらしい。


「あなたを、囮になんてさせたくはない。俺だって万能ではないんだから、もしかして傷をつけてしまうかもしれないのに」

「でも、そうなったら絶対に旦那様は助けてくれるって、馬鹿な私は信じているんです。これ以上ないくらい、信じ切ってます」


 小さく自分の指先が震えているのを、ティーナは感じていた。情けない指先をきゅっと握って、ロイズに微笑みかける。


「だから、よろしくお願いしますね、旦那様」

「無論、あなたには指一本触れさせないと誓おう」


 その誓約は、あたかも忠誠を誓う騎士のような響きを備えていた。片膝をついて大仰に細い手を取るロイズに、ティーナの顔が一気に熱くなる。

 ロイズはこの状況を楽しんでいるのか、瞳の中には明らかな愉快感がにじんでいた。





 ――そうして、四日後がやってくる。

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