36
ロイズ個人が所有する馬車からやや離れた後方に、エヴァンジェリン公爵家の紋章が付いたの馬車がついていた。軍部の要請を受けた宰相が、快く馬車を貸し出してくれたらしい。
「この辺は第一区でも中枢に近い……上級貴族かよほど歴史のある伯爵家辺りでないと、逆に目立ってしまいますからね」
「元々エヴァンジェリン公はこの辺りに都邸を構えている。利用するならそれで構わないと言われただけです」
今日は、ロイズが十七公家の会合に同席する。普段は帯刀することすら許されない会合において、公爵位を持たない軍人が同席するのは前代未聞ですらあるだろう。
しかし、現在バルレンディア王国の社交界ではロスガロノフ令嬢が襲撃された事件で話題が持ち切りだ。女性には須らく護衛や用心棒が付いたし、軍籍にある男性貴族ならば夜会での帯刀も許される。
「失礼、手荷物の検査をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「はい、構いません」
「……はい、申し訳ありませんでしたレディ。中へお入りください」
それまではティーナの顔を見ただけで扉を開いた衛兵も、手荷物の検査を言い渡されているらしい。心から申し訳なさそうな顔で鞄を返されると、ティーナは軽く頭を下げて屋敷の中に入る。
後からはティーナを護衛するべく帯刀したロイズとトーマが付いていた。
「あらぁ、ティーナ様。色男を二人もお連れなんて、羨ましいわ。
ホールを入ってすぐのところで聞こえたおっとりした声音に、ティーナは顔を上げる。
真っ赤なドレスに真っ赤なルージュ、まるで武装したかのように派手な装いのヒーストレイア女公爵プリメラが、傍らに騎士見習いと思われる少年を連れて現れた。士官学校のものではない少年騎士の装いは、恐らくプリメラの私兵に与えられるものだろう。背中には大きくヒーストレイア公爵家の紋章である蝶と鍵が縫い付けられている。
「プ、プリメラ様? その子は一体……」
「エオルは妾の甥に当たるのだけれど、それが何か? 来年の春には騎士見習いとして士官学校に通うのよ」
短剣を携えたエオル少年の顔つきは凛々しかったが、本職の軍人が貴婦人の護衛としてつくこの会合では何処か浮いている。プリメラはそれすら楽しんでいるように、羽根扇子で口元を覆い隠した。
「妾は会合なんてどうでもいいのよ。ただ、無粋な方々が一年に一度のお祭りを邪魔するものだから腹が立ってしまったの。御免あそばせ?」
ニッコリと――しかし猛毒を含んだ笑顔をロイズに向けて、プリメラはエオル少年と共にまた別の場所へ行ってしまった。言外に早く犯人を捕まえろという圧力をかけられて、何処となくロイズも居住まいを正したようだ。
「あ、れがヒーストレイア女公爵様ですか……噂通りの御方といいますか、その」
「女傑という言葉があれほど似合う方もいらっしゃらないな」
攻撃的な真紅を身にまとったまま夜会を渡り歩くプリメラに、男性陣はそれきり言葉をなくしてしまった。貴族でありながらあれほど豪胆な女性は、バルレンディア王国広しと言えど彼女くらいしかいないだろう。
「でも、プリメラ様はお優しい方ですよ? 先日も、相談に乗って頂きました」
「相談? 何か悩みがあるのなら、俺が聞きますが……」
ロイズとのことで悩んでいた、なんてティーナは口が裂けても言えない。誤魔化すように笑うと、いつもの通り挨拶をしてくる他公爵に頭を下げていく。付き添いの男二人は、目をぱちくりさせて顔を見合わせていた。
「そう言えば、今日はまだディートハルトお兄様を見てないけれど……」
「ベリーハット公ですか? 彼ならあそこに」
トーマが指差した先には、珍しく帯刀したディートハルトが貴婦人たちと談笑していた。顔の造形が恐ろしくいいディートハルトの周りには、常に女性が山と集っているのだ。
それでもディートハルトはティーナたちに気付いたのか、優雅な仕草で手を振ると三人の元へ歩いてきた。
「ロイズ、に……もしかしてトーマ君かな? 最後に会ったのはもう大分前だったから、記憶が曖昧で」
「聡明で名を馳せるベリーハット公爵閣下が何を仰られます。その節は、大変お世話になりました」
ディートハルトほどの華麗さはないが、トーマもまた洗練された雰囲気の美形であることには間違いない。有能な執事と気鋭の政治家、そして優秀な軍人の組み合わせに、各公爵夫人やその娘たちがわずかに色めきだった。
しかしながらそんな輪の真ん中にいるティーナはたまったものではない。
普段ならロイズの陰に隠れてやり過ごそうとも思うが、普段軍人などめったに見ない公爵家の子女たちにはロイズはまさしく「物語の中のナイト」なのだ。
ティーナもその手の小説は何度も読んだことがあるから彼女たちの気持ちはわからなくもないが、それでもやはりいい気分はしないものだ。
「そうだ、ロイズ。君もいろいろ大変みたいじゃないか。エミーディオから聞いたよ」
「無理矢理聞き出した、の間違いではありませんか」
「長い付き合いだからね、教えてくれただけさ」
不敵に微笑むディートハルトに、ロイズがわずかに目を細めた。
そういえば二人が出会うのはあの美術館の時以来だ――険悪なまま別れたのだったと内心頭を抱えながら、ティーナは慌てて彼らを引き離そうとした。
だが、ディートハルトはうっすらと微笑みを張り付けたまま、ロイズの視線を真っ向から受け止めている。
「折角いいことを教えてあげようと思って来たのに、酷いな、ティーナの旦那様は」
「いいこと?」
「ボニールンゲン男爵のことさ。あの男、最近は何を図に乗っているのか平民出身の高級官僚たちに口出しをするようになった」
ロイズとティーナを手招きして、ディートハルトは声を潜めた。
それを察したのかトーマが派手に会場内を立ち回り、周囲の視線を一身に集めている。
「貴族主義のベリーハット公とは、馬が合うのではないですか」
「失礼だな、何度も言うけど俺は貴族主義なんかじゃないって。平民出であろうと有能な人材なら使うべきだとは思うし、無能な人間なら貴族でも必要はない。名前だけのぼんくらと付き合うほど、我がベリーハット公爵家は落ちぶれていないさ」
とはいえ信じてはもらえないだろう――微笑みを絶やさないまま、ディートハルトはそれでもいいと肩を竦めた。
「何でも、じきに自分が公爵家に連なると吹聴して回っているらしい。自分の息子が、公爵令嬢と結婚したから」
「まさか!」
怒号にも似たロイズの叫びが、会場全体に広がった。
その声を聴いてティーナは少し飛び上がったが、一瞬だけ集まった人々の視線は何事もなかったかのように元の場所へと戻っていく。
ただディートハルトだけが顔をしかめて、それでも「本当さ」と頷いた。
「あの男は、俺を子供だなんて思ってはいない」
「まったく、都合のいい奴だとは思うよ。平民だからという理由で斬り捨てた君の母親と君の戸籍を、ボニールンゲン家に戻そうとすらしている」
怒りに打ち震える人間というのを、ティーナは初めて見た。
華やかな夜会で、そこだけが深淵の冷たさを持っている。小刻みに体を震わせて、ロイズが唇を噛みしめる音を隣で聞いていた。
「どの口が、そのような……! 大体、あの男には既に嫡男がいるはずだ!」
「ああ、ボニールンゲン男爵子息バルトロメウ・ジーザ――君と、三つ違いの弟だったか。彼も有能とは言えないけれど、確かにここ最近の彼の境遇には同情せざるを得ないね。今まで散々父に、それこそ死地に追いやられてきた兄が、突然自分の座るはずだった男爵の椅子に座ろうとしている。俺が彼なら……我慢はできない」
恐らく、というよりも確定的に、ロイズがボニールンゲン男爵になることはあり得ないだろう。天地がひっくり返っても成し遂げられないであろう男爵の野望は、滑稽を通り過ぎて哀れですらあった。
それを信じている嫡男のバルトロメウも、ただただ悲惨である。ティーナは痛ましげに目を伏せて、小さく右手を握った。
「私が、余計なことを言ったからでしょうか。ロイズ様に何も尋ねず、要らないことを言ったから」
「俺はたとえ国王陛下からの命令があっても、あの男の息子に戻るつもりはありません。俺の父はアイザック義父上であり、フレリック辺境伯閣下です」
何の迷いもなく、ロイズはそう言い切った。
「美しいね、ロスガロノフ公を父と呼べるなんて全く羨ましい限りだよ……そうだ、そのバルトロメウのことだけれど。これまでは地道に実家の商会を運営してきたみたいだけど、堪忍袋の緒が切れたんだろうね。このところよく夜会で見かける。気になって話してみたら、四日後のエヴァンジェリン公爵家主催の夜会にも顔を出すらしい」
その日は絶対に、ティーナとロイズは顔を出すな。
きっぱりとそう言い放ってディートハルトが視線を落とす。今この時期にティーナをバルトロメウに合わせるのは危険だと判断したらしい。
けれどティーナは、ディートハルトのその言葉に疑問を寄せた。
「どうして、ですか? もちろん私やロイズ様に会うことでバルトロメウ様を刺激してしまうということは分かるのですが……」
「ロイズが襲われたんだよ。君と同じように、それも今度は軍部の彼の執務室でだ」
それすらもエミーディオから聞いたのかと目を丸くするロイズを、ディートハルトは視線で刺す。
一方でその事実を聞いたティーナは、驚愕の余り言葉も出なかった。怪我をしていなかったことから何もなかったものだと思っていたし、ロイズ自身もまた何も言わなかったのだ。
「犯人は男爵じゃないかって話にもなったんだろ? けれど君はそれを否定した。違うかい、ロイズ?」
試すようなアイスブルーの瞳に、ロイズは諦めたように首を縦に振った。
ティーナとロイズを疎ましく思っているのは、男爵だけではない。むしろ男爵は、彼の意思などお構いなしにロイズを嫡男として迎え入れようとしているのだ。
「犯人は、バルトロメウ・ジーザ……それで、ほぼ間違いはないでしょう」
途切れそうになるほど小さく、かつ低い声で、ロイズはそう呟いた。
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