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「王城の警備が手緩かったとしか言えんな……管轄は第一師団わたしたちだ。これに関しては、申し開きの仕様がございません」


 エミーディオ第一師団長が、王太子の前で頭を下げた。彼の副官もそれに続いて頭を下げるが、深刻な表情で足を組むリーズバルド王太子は右手でそれを制した。建前上そうせざるを得なかったのはその場にいる全員が理解していたが、王太子が欲しかったのは謝罪ではない。


「先日皆にも通達としたと思うが、今年は特に王都の警備を強化してほしい。僕とアイル……イーオネイアの結婚も控えているが、問題はその後だ。父上は僕に、王位を譲ると言ってきた」

「なんと、それは……失礼ではございますが、確かな情報で」

「僕が数日前、父上本人の口から聞いたよ。余生はハリエスブルクにある王族の療養地で、母上と共に過ごしたいと仰せられた。恐らく、僕とアイルの結婚式と即位式を一緒に行うつもりだろう」


 リーズバルドの執務室に集められたのは、第一師団及び第二師団の団長と副団長、参謀役のアレッセイと現宰相エヴァンジェリン公爵の六人だった。長いひげをゆっくりと撫ぜるエヴァンジェリン公とは違い、アレッセイは明らかな焦りの表情が見て取れる。

 ことは、枢機中の枢機だ。王城に侵入者があり、あろうことか第二師団長の私物を盗んでいった。これが本当にただの私物ならばここまで大事にもならなかっただろうが、中身が問題である。


「兄上からの書簡が盗まれたというのは、確かなのか」

「間違いありません。確かに小官は懐に書類を仕舞いましたし、機会としては一度小官と犯人が衝突したところでしょう。面目次第もございません」

「確かにロイズもエミーディオも、全く落ち度がないわけじゃないけれどね。むしろ僕は、これを好機と捉えている」


 赤毛の第一師団長と、黒髪の第二師団長。

 各々をしっかり見つめて、リーズバルドはゆったりと口角を吊り上げた。


「どうせ、君たちもそう考えているんだろう? 取られたのはアイザック・ロスガロノフ直筆の手紙だ。国内にもそうあるものじゃない」


 太陽と囃される金髪が、どこか冷たさを帯びたのはロイズの目の錯覚だっただろうか。静かに語り掛ける王太子の口調には、何処か凄味のようなものさえ感じる。

 

 それが王者の風格と呼ぶのなら、まさしくそうなのだろう。

 誰かが、一つ唾を飲み下した。


「王太子殿下、どうぞご許可を。殿下の命があれば、すぐにでも第二師団を動員して書類を見つけ出します」

「駄目だ」

「何故です!」

「まだ、決定打じゃないからだよ」


 広い執務室の中に、ロイズの声が響いた。リーズバルド王太子直下の第二師団ならば、国王に出動命令を貰うことなく動くことができる。人数も第一師団よりはるかに少ないが、その分小回りが利く。

 しかしリーズバルドは首を静かに横に振ると、それをきっぱりと否定した。



「若いのや、何を焦っておられる」



 そこで、それまで口を閉ざしていたエヴァンジェリン公がゆっくりと片眉を上げた。髪も髭も白い翁ではあるが、長くバルレンディア王国の宰相として国をまとめ上げてきた国内随一の政治家である。


「焦ってもいい結果になることなどない。若いの、しばし落ち着きなされ。そうした書簡は、盗まれてもすぐに燃やされるということはあり得なんだ。何処から情報が漏れるとも限らんからな。じゃーから、心配せんでもよい」


 フクロウのように笑うエヴァンジェリン公に、ロイズとエミーディオはそろって首を傾げた。武勇をもって知られる二人の師団長は、あまり頭がよくはない。

 きょとんとした表情の二人に説明の手助けを行おうとしたカインは、肩を竦めて溜息をついた。


「恐らく、ワイズマン夫人襲撃及びパルムークス公都邸侵入事件の犯人はボニールンゲン男爵とみていいでしょう。……ただ一つ引っかかることが」

「なんだい、言ってごらんカイン」

「ティーナさんがボニールンゲン男爵と接触した直後に襲撃事件なんて起こしたら、犯人なんてすぐに明らかになって終わりでしょう? それなのにどうして、わざわざ自分の地位を脅かすような真似をするのか……」


 父親を徹底的に嫌い抜いているロイズだけではなく、他の人物からどう客観的に見てもボニールンゲン男爵は典型的な貴族主義の人間であった。

 恐らく男爵という位の低さも相まっているのだろうが、平民はもはや人ではないとすら思っている。使用人を顎で使い、爵位と職権を利用して横領や脱税を繰り返すその様は目も当てられないようなものだ。


 それでも貴族であるという理由と、男爵自身が貿易業で莫大な利益を出しているという理由からこれまで大貴族であっても手が出せないでいた。


「或いは」


 唸るように、エミーディオが口を開いた。


「或いは、ボニールンゲン男爵に罪をかぶせようとしている誰かの仕業である、とは考えられないのか? どうにも私には、あの男がここまでバカだとも思えないのだが……」

「では、アラテアナ伯は誰が犯人だと?」

「く、詳しいことは分からないが、誰かいないのか? ロイズのようにあの男を嫌い抜いている人間や、あれが力を持つことで不利益を被る人間が」


 そんな人間ごまんといる。

 再び暗礁に乗り上げた犯人探しに、リーズバルドもとうとうぐったりと椅子に体を預けだした。

 ただでさえルブグラドとの協定や婚姻の関係で普段から忙しく飛び回っているリーズバルドだ。国内の、それもちっぽけな反乱に気を取られたくはない。

 

 疲労感をあらわにする王太子につられて、室内の空気が沈滞する。


 それを打ち破ったのは、他ならないロイズであった。

 脳裏に自分と同じ黒髪の男を思い浮かべて、嫌悪感を隠そうともせずに口を開く。


「一人だけ、俺に心当たりがあります」




 珍しく、その日は夜が更けこんでもティーナは床に就かなかった。

 何故か眠れなくて、本を読んでいたのである。

 枕もとを照らすランプの光が優しく揺れて、ティーナを物語の世界に誘っていく。


 祖父はおよそ「良家の子女」らしくないものをティーナに与えたがらなかった。不思議な生物の図解や画集は全てお伽噺や恋愛小説に変えられ、その小説ですら国王が貴族の娘から妻を娶るという時代錯誤もいいところの作品ばかりだった。

 女学校でこっそり見た、名もない騎士がお姫様を浚いに来る話なんてもってのほかだ。見つかった傍から庭で焚き木にされていたに違いない。


 だから、ティーナはロイズの書斎に行くのが好きだった。

 彼の部屋には本がある。いつかくれたエスター・ブリシュの画集もそこで見つけた。

 ロイズが好んで読むのは戦記ものだとユリウスに聞いて、ティーナも興味半分で読み始めたのだ。それが、上手くはまった。


 血腥く土の匂いがする様な物語だが、剣を携えた一人の男が次から次へと敵を倒していくそれは、彼女にとって初めての刺激だ。

 

 本当はロイズを迎えたかったが、それもダメだと言われては部屋に籠っているしかない。いずれ帰ってきてくれるその時を待ちながら、ティーナはまた一つ頁をめくった。



 軍靴の音が聞こえたのは、それから少し経ってからである。


「旦那様?」


 ほとんど無意識に、そう呟いた。


 確かにそこには久しぶりに見るロイズが立っている。疲れ切っているのは表情からでもよく分かった。


「まだ、起きてたんですか」

「ずっと本を読んでいたんです。時間が立つのも忘れてしまって」


 上着を掛けたロイズがベッドの縁に座ると、どうしてだかティーナは右手を伸ばしていた。うっすらと隈が伸びている目元を指で触れると、黒い瞳が少しだけ揺れる。


「どうされたのです?」

「なにが、あったと思いますか」

「良いことではないでしょう? それくらいは、私でもわかります」


 事が事だ。軍人のロイズが忙しく動いているのは、家にこもりきりのティーナだって理解はできる。心なしか水分を多く含んでいるロイズの目が、ゆっくり閉じられた。


「一度だけ、抱きしめてください。俺がいいと言うまで、放さないで」


 その懇願に、ティーナは無言で答えた。何かを決意したようなその声音の意味は、聞かないでおくことにする。

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