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 結局、ロイズが戻ってきたのは朝方だった。よれよれの軍服を脱いで新しいものに取り換えると、食事もとらずに出ていくという。

 ティーナもせめて挨拶だけでもしたかったが、すぐに家を発ってしまったらしい。それらは全て、朝食の席でユリウスから聞いた。


「旦那様から全部聞いたわ。男爵のこと、聞いちゃったのね」

「ユリウスも、知ってたの?」

「私の父親は、元々男爵家の料理人だったのよ。個人的に色々あって家を飛び出してきちゃったけど、旦那様とはその頃からの知り合いなの。大将、いつ奥様に話そうかってずっと悩んでたみたいだから。すっきりしたんじゃないかしら?」


 食器を片付けながらつらりとそんなことを言うユリウスに、ティーナは目を丸くした。ニンフェが幼いころからワイズマン邸に奉公しているということは知っていたが、ユリウスの話を聞くのは初めてだ。

 口調のこともそうだが、彼もあまり自分のことを話したがらないのだ。


「あら、そんな顔しないで奥様。この屋敷の若い使用人はみんなそうよ。地方で旦那様に拾われた人、口減らしに売られそうになった子、実の親に自分を認知すらしてもらえなかった人も。きっと旦那様も、ご自分の境遇に皆の姿を重ねているのね」

「そんな、だって、そんなこと誰も……」

「思い出したくない、って子もたくさんいるわ。それに、奥様はお優しいもの。ご心配を掛けたくないっていう気持ちは、私もよくわかるわ」


 すっかり片付いたテーブルを拭きつつ、ユリウスは茶目っ気たっぷりの表情でウインクをした。大の男がそれをやってのけると些か気味が悪いが、人好きする顔立ちのユリウスがそれをすると本当にお茶目に見えるから不思議だ。

 けれどその表情とは裏腹に、優秀なバトラーは声を低くした。


「ね、可哀想だなんて思わないでね奥様。そりゃあ、これまで苦労した子たちはここにもたくさんいるけど、今はきっと幸せよ。旦那様は不愛想だけどなんだかんだ良い人だし、奥様は優しいし。年かさのメイドたちなんて先に生まれるのが坊ちゃまかお嬢様かって賭けまでしてるのよ? みんな幸せ。それでいいじゃない」


 ユリウスが綺麗にテーブルを片付ける一部始終を眺めていたティーナは、まさか自分たちが賭けの対象にされているとは思わなかったのだろう。目を丸くして口の開閉を繰り返していた。


 けれど、ワイズマン邸の使用人たちが皆そうした境遇だということを、本当にティーナは知らなった。ティーナ専属のリリアやニンフェと違い他の使用人たちはようがない限り彼女の元にはやってこないが、いつもきれいに磨き上げられる窓や手入れされた庭、美味しい食事を見る限りでは彼らが壮絶な人生を送ってきたなどとは想像できない。てっきりユリウスなどは、何処か有力な商人の子弟だとばかり思っていた。


「でも、そんな賭けだなんて……しかも内容がそんなこと」

「あらぁ、私たちにとっては一大事よ? 生まれてくるのが坊ちゃまなら跡目教育しっかりして、未来のロスガロノフ公爵様にふさわしい家庭教師を見繕わなきゃいけないし。お嬢様だったら可愛いドレス用意して、ダンスのお稽古だってしなくちゃならないのよ? どっちにしろ、ワイズマン家使用人の名に懸けて旦那様みたいな脳味噌筋肉には絶対させないわ」


 得意げに胸を反らせたユリウスに、ティーナも思わず笑いをこぼす。歯に衣着せぬ物言いが、何とも彼らしい。

 その後も少しの間話をしていたが、やがてトーマがやってきてティーナの前で一礼をした。なんでも、来客があったらしい。


「ロイズ様の部下の方で、第二師団の紋章を見せられました。お通ししても?」

「えぇ、お願いするわ。ユリウス、お茶の用意を」

「かしこまりました]



 一礼して下がるユリウスを横目に見ながら、ティーナはトーマの後ろについて応接室へ向かう。普段は商人たちが出入りするところだが、本当にそれくらいしかティーナ個人への来客などはないのだ。

 先にトーマが客人を通した後で中に入ると、そこに待っていたのはロイズの副官であった。


「や、どうもティーナさん。いきなり押しかけてごめんなさい」

「いえ、私は大丈夫ですけれど……カイン様、どうなさったんですか? 旦那様から何か?」

「いや、ベリーハット公爵閣下とパルムークス公爵閣下からって言った方が正しいのかもしれないけれど。……団長も同意してたから、同じっちゃ同じか」



 静かにお茶を運んできたユリウスが、そのまま下がっていく。

 あまり、彼らが聞くべき様な話ではないのだろう。トーマの姿もいつの間にか消えていて、応接室にはカインとティーナの二人だけになった。


「おに……ディートハルト様と叔父様から、ですか?」

「ああ、私的文章扱いにはなるんだけど、一応ね。公爵の言うことには、ティーナさんにはロスガロノフ家からの連絡が届くまでは十七公家以外の夜会へは出ない方がいいって。十七公家の方はこれから第二師団の方でそれなりに護衛させてもらうけど、それ以外は流石に手が回らない」


 一口だけティーカップに口をつけたカインが、続ける。


「ま、待ってください。他のパーティに関しては、今のところ全てお断りをしています。けれど、十七公家の会合には我が家のバトラーが付きますし、第二師団の方の手を煩わせなくても……」

「彼らは有能かもしれないけれど、軍人じゃない。得物を持った相手に対して、あなたを守りながら戦うのは非常に危険だ。事と次第によっては、そのバトラーだけではなくてティーナさん、あなたまで傷つきかねないんだよ」



 冷静なカインの言葉は、まさしく正論だった。

 トーマやユリウスは確かに有能で、非の打ち所がないと言える。だがそれは、あくまでバトラーとしての能力だ。恐らくロイズと同じように体格に恵まれた人物と相対すれば、ひとたまりもない。彼らが叩き込まれているのは申し訳程度の護身術と、自分の身を捨てて主を守る術だけである。


 職業軍人であるカインからの言葉だからこそ、重みがあった。


「気分を害してしまったかもしれないけれど、あなたを守るためなんだ。団長や公爵閣下も、今回は明らかにティーナさんを狙っていたんだろうと予想してる。もちろんずっと張り付いているわけじゃないけれど、パルムークス公の都邸に何人か、こちらの人員も配置してもらうんだ」


 一つ一つゆっくりとティーナに説明していくカインは、軍人というより優秀な教師に見えた。護衛の必要性、今回ティーナが襲われたことがどれだけ大事だったかを噛み砕く様に教えてくれる。


 話が一段落したころ、もう一度カインはティーナに問いを投げかけた。


「それで、どうだろう。了承してもらえるとありがたいんだけど」


 あくまで許可という形を取ってはいるが、恐らくそれは軍部ですでに決まっていることなのだろう。こういう時に一切揺らがない視線は、ロイズと同じだ。


「旦那様は、そうするように仰ったんですね?」

「同意はしたみたいだ。あとはあなたの意見次第だってことで、私が派遣されたんだけど」

「勿論、了解いたします。旦那様がそうした方がいいと判断したなら、そうなのでしょう。それにカイン様も、旦那様とお考えが一緒なのでしょう?」

「まあね、色々想定して考えてみたけれど、それが一番安全だ。それに」


 カインはユリウスと同じように、ぱちりと片目を閉じた。

 彼もまた、ウインクが似合う人間であるらしい。


「そうしたら団長が合法的にあなたの傍にいられるからね。あなたと上手くいったときの団長、機嫌がいいんだ」

「なっ、」


 顔を赤くしたティーナに、カインがからかう様な笑顔を見せた。


 次の会合は、二日後に迫っている。

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