32

「駄目です、まるで証拠がありません。パルムークス邸侵入、愚妻への攻撃等で罪に問うことはできますが、これだけでボニールンゲン男爵の罪を糾弾することはできないでしょう。軍人上がりのようで、こちらの尋問にもなかなか口を割ろうとはしませんし」


 パルムークス公の執務室は、常に美しく整頓されている。

 渋面を作るアレッセイに現状の報告しながら、ロイズは内心で苛立ちを隠せないでいた。

 パルムークス公都邸で行われていた十七公家の会合で侵入者による襲撃事件が起こったと聞いたのは、つい先ほどのことだった。召喚に応じてアレッセイの元に参じたロイズが聞いたのは、その被害者がティーナであったということだ。


「ワイズマン師団長、そう焦ることはない。ティーナは既に家人が家に送り届けたと聞いた。君が彼女を心配する気持ちはわかるが、私情を挟むのはやめてくれ」

「……申し訳、ありません。引き続き尋問は小官の立ち合いの元、副官が行います。ご覧になられますか」

「いや、聞きだせる情報もないのならすぐ留置所に送ってくれ。いきなり呼び立てて悪かった」


 何か取引できそうな価値もなく、かつ情報を喋らない人間ならば長くとどめておくだけ無駄と判断したのだろう。アレッセイはあっさりそう言い放つと、諸公への説明があると言って席を立った。

 二人がすれ違う瞬間、灰色の瞳が漆黒の瞳を射抜く。階級だけの貴族軍人とは思えないほど、その視線は凍てついていた。


「ロイズ、ボニールンゲン男爵はそう頭がいい男ではない。確実な証拠を掴めば、いずれ王太子殿下の御前で糾弾できるだろう」

「……アレッセイ、様」

「兄上の意見には私も全面的に賛成している。今まで君が集めた資料を、然るべき機会に上奏するぞ」


 武官にしては薄い掌が、ロイズの肩を叩いた。

 一瞬だけ呆けていたロイズであったが、直ぐに姿勢を正して最敬礼の形を取る。一人で父の失脚の為に動いていた時とは比べ物にならないほど、今のロイズには強固な後ろ盾がある。


(……いや、俺の後ろ盾では、ないな)


 アレッセイが出ていき、一人取り残された部屋の中でロイズは自分の足元を眺めていた。

 すべて、ティーナがもたらしてくれた縁だ。最初はそこに利害関係こそあったが、ティーナのおかげで随分と見方が増えたのも事実である。


 だからこそ、彼女を傷つける人間は許したくない。 

 それがたとえ自分と血の繋がった実の父親だったとしても、ロイズはそれを切り捨てることが出来るだろう。


(元から、親と思ったこともない)


 軍服を翻し、ロイズもまた執務室を後にした。そろそろ尋問に飽きたカインが犯人に自分に対する苦労や恨みつらみを聞かせているかもしれない。

 軍の留置所に収容するまでは、出来るだけティーナのことも考えないようにしておこう。



「本当に、お怪我はありませんのね!?」



 何度も確かめるリリアに、ティーナは辟易していた。

 怪我はないか、気分は悪くなっていないか、その他侵入者に何かされていないか。帰りの馬車でユリウスとトーマに嫌というほど聞かれたことを、家に帰ってきてはリリアとニンフェに問われている。

 大丈夫だと笑うティーナは丸っきり信用されておらず、つい先ほどは薬草を煮詰めた薬を用意させると出かけそうになったニンフェを止めたところだ。


「皆、大げさよ……」

「何をおっしゃいますお嬢様! 相手は愚かにもロスガロノフ公爵家、引いてはバルレンディア王国の十七公家に喧嘩を売ったのですよ? 国の中枢を担う公爵位の会合に侵入者があったとなれば、貴族院はもとより国政が揺れます」

「そ、そんなものなの?」

「えぇ。ですからパルムークス公爵様も、今は火消しに大わらわのはずですわ。幾ら彼の家が絶大な権力を誇っていても、不祥事が起こってしまった事実は消せませんもの」


 ティーナ自体はアーロンに守られて実害はなかったし、少々驚きはしたもののまったく無事だ。過保護とも言えるリリアたちの態度の方が、よっぽど疲れてしまう。


 ティーナもとにかくゆっくりしようとお茶を頼んだのだが、慌てたリリアがティーポットを間違えたりと落ち着きがない。


「今度から、ユリウス様かトーマ様のどちらかを護衛としてつけていただくよう、旦那様に進言しますわ。過保護な旦那様ですもの、お許しいただけるはず」

「ほ、本当に必要ないのに……ねえ、私は全く、少しも危ない目に遭っていないわ」

「ナイフを向けられること自体が危険なのです!」


 叱責されてしまえば、ティーナは何も言えない、しょぼんとしたままお茶を飲む彼女に、リリアは呆れたように肩を竦めた。


「会合には出席しなければなりませんが、しばらくの間他のパーティには出席できませんわね。私が対応しておきますから、ご安心ください」

「そう、ね。ありがとうリリア、お願いするわ」


 そこでティーナは考える。仮に、今回襲撃されたことがボニールンゲン男爵の仕業だとして、それで彼に何か利点はあるのだろうか。

 先日の夜会でのティーナの態度に対して怒りに任せた行動だとしても、あまりに考えがなさすぎる。夜会帰りの夜道での襲撃ならまだしも、パルムークス公都邸、衆人環視の中での犯行は浅慮にも程があるというものだ。


 或いは、男爵の仕業に見せかけて誰かがそう仕組んだのか。


 空になったティーカップを置いて、ティーナは目を閉じた。ボニールンゲン男爵を失脚させたいと考える人間が、ロイズやアイザックたちを除いて他にもいるとしたら。


「……ダメね、数が多すぎるわ」


 そもそもティーナは圧倒的に人を知らない。頭が良いわけでもなかったので、物語の中の探偵よろしく事件を解決、とはいかないのだ。

 現実は、ちょっぴり残酷だ。


「奥様、どうかしましたか? お気分悪いんですかっ?」

「あ、いえ大丈夫よニンフェ。やっぱり少し疲れたのかもしれないわ。旦那様が帰ってくるまで、休んでもいいかしら?」

「勿論ですっ! 旦那様が戻ってきたら、お呼びしますから……奥様、何かあったらすぐに私たちに言ってくださいませね?」


 心配そうに顔色をうかがうニンフェに見送られて、ティーナは寝室に戻っていった。最近、あまりにもいろいろありすぎたように思う。軽装のままベッドに横たわると、睡魔に誘われたのは割と直ぐだった。


 そしてその日、ティーナの元にロイズ帰還の知らせが入ることはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る