20
「ねえ団長さあ、ソレ、奥さんにも発動するの?」
「俺のせいじゃない。突然雨が降ってきただけだ。俺に非があるならそれを認めるが、これは天候によるものだ」
「とうとう団長の疫病神様も、天気まで操れるようになったんだね……ティーナさん、私たちは外にいますから、どうぞ着替えてください。男ものしか服がなくて申し訳ありませんが、すぐに用意させますので」
ティーナは濡れていた。濡れ鼠もいいところだった。
外は晴れ渡っているというロイズの言葉を信じて意気揚々と外に出たところ、通り雨に見舞われたのだ。第二師団の庁舎までロイズに抱えられて走ったが、濡れるものは濡れる。
最近なりを潜めていたらしいロイズの「疫神」に、たまたま二人を発見した副官のカインが呆れたように溜息を吐いた。そしてすぐさま、ティーナの為に浴場に湯を張ってくれたのだ。
「団長は慣れてるでしょ。私が見張っとくから着替えてきなよ」
「だが、」
「いいから、少しは信用してよ。私のことを心配してるなら余計なお世話だからね。私、年上が好きなんだ」
ティーナは浴場の脱衣所からその会話を聞いていたのだが、カイン・マクスウェルという人間は彼女が想像したよりもずっと若い男だった。師団長のロイズが26歳であるのだから当たり前と言えば当たり前なのだろうが、見た目だけなら自分とそう変わりはない。それで軍籍に属しこの地位に立つのだから、夫の言う通り相当頭が切れるのだろう――ティーナは温かいお湯を頭から被りながら、ほうっと溜息をついた。
冷え切った体が外側から温まっていく。震えるようだった思考が、少しずつ落ち着いていく気がした。
湯浴みを終えて脱衣所に戻ると、いつの間にか新しい服が用意してある。男ものしかないと言っていたのである程度覚悟はしていたのだが、そこにあったのは先程までティーナが着ていたドレスとそう変わりないものだ。
「あ、出ました? 団長は執務室にいるんで、案内しますよ」
浴場から出たティーナに、カインが人好きのする笑顔を向けた。不愛想なロイズとは、まるで正反対の人柄と言えるだろう。
「自己紹介、まだでしたよね。王国軍第二師団副師団長の、カイン・マクスウェルです。団長にはいつもお世話になってます」
「あっ、ティーナ・ワイズマンです。こちらこそ、お噂はかねがね」
「噂? なんだろ、気になるなぁ。どうせ団長のことだから、なんか酷い事言ってたんでしょ」
ロイズの執務室に向かうまではそう距離はなかったが、お互いの自己紹介くらいはできた。抜き身の刀剣のようなロイズの視線とは正反対に、カインのそれは優しく穏やかだ。彼が言うように、彼が頭脳派というのが分かる気がした。
「頭がいいから助かるって、仰っていましたよ」
「あら、意外だなあ。団長から褒められることなんてそうそうないのに……だからティーナさん、雨に当たったんじゃない?」
頭の切れるロイズの懐刀は、冗談まで得意らしい。思わず吹き出してしまったティーナに執務室の扉を開けながら、その笑顔は欠片も崩れてはいない。
むしろ、表情の仮面が崩れているのはロイズの方だった。
「団長、ティーナさん着替え終わって――どうしたの、眉間のしわがすごいことになってるけど」
「悪いが俺は元からこの顔だ」
「またそういう可愛げないことを」
「男に可愛げがあってたまるか」
渋面を作るロイズは、取りあえずティーナが着替えたことに安堵したようだった。
不機嫌そうにカインの方を一瞥すると、執務用の椅子から立ち上がって妻の前に立つ。その様子に、有能な副官は肩を震わせた。
嫉妬しているのだ。「疫神騎士」、地方軍部で最強と言われた男が、こんなか弱い妻一人の為に、長く信頼しあってきた副官の自分に嫉妬している。カインはロイズのそんな様子を見るのが愉快で仕方がなかった。どれもこれも、地方を転々としていた頃には微塵も見ることが出来なかった変化である。
「だーから、私年上専門なの。団長みたいに見た目犯罪みたいな取り合わせはしないし、人妻にも興味ないんだ」
「見た目犯罪とはどういうことだ! カイン、そこに直れ!」
「あーもう、折角奥さんのことこっちに連れてきたのに叫ぶなよ。ただ私のこと紹介しに、雨の中走ってきたわけじゃないだろう?」
声を張り上げたロイズを煩わしそうに睨み付けて、カインは肩を竦めた。ティーナからすれば、軍人としての夫を見たのはほとんど初めてである。普段聞かないような大声にも驚いたが、家の中では常に落ち着いているロイズが、ここまで感情をあらわにしたということにも驚いていた。
ここは、第二師団庁舎。つまりは軍部で、女性のティーナはまず入ることが出来ない場所だ。バルレンディアでは女性官吏制度は採用されているが、女性兵士の制度は採用されていない。
「……その事だがカイン。お前、経済や領地経営、歴史に関する知識はあるか」
「経済って、まあ、難しい事じゃなければそれなりに。どうしたの? とうとう団長、爵位貰うの?」
「俺じゃない。ティーナがお前に教えを請いたいと言っているんだ」
「ティーナさんが? なんでまた」
話を振られたティーナは、思わず飛び上がった。
イーオネイアとの話を盛り上げるためには多少の教養が必要だという旨を伝えれば、彼は納得したようにうなずいた。教養高いかの姫君の噂は、情報通のカインの耳にも入っていたらしい。
「なるほどなるほど、またティーナさんも重大なお役目を仰せつかったんだね。私でよければ色々お教えするけど、例えばどんなことが知りたい?」
「た、例えばですか? えぇと――暑さに強い作物とか、ルブグラドの王政について、とか」
「ルブグラドの王政……? あぁ、そうか。うん」
少し考えてから、カインは羊皮紙とペンをロイズの机から引っ張ってきた。数行何かを書くと、それをティーナの手に握らせる。
書かれていたのは、本のタイトルと幾つかの質問だった。
「とりあえず、その本なら団長も持ってると思う。一度読んで、その質問の答えを用意して。あと、出来れば感想も聞きたいなぁ。まずはそこから始めよう」
「えぇと、」
「私が上からあれこれ言ってもなかなか頭に入るものじゃないからね。その本だと語り口もやさしいし、うってつけ」
指を一本立てたカインが、優しく微笑んだ。
てっきりティーナは家庭教師のようなものを想像していたのだが、よく考えれば現役軍人の彼にそんな時間が取れるはずがない。素直にそれを了解すると、すぐさまロイズの手が彼女とカインを引き離す。
するとそのすぐ後に、乱暴な仕草で執務室のドアを開けた。あまりに大きな音がするので、何か彼の気に障ることをしたのかとティーナが立ち竦む。
「貴様ら、先程からこそこそと何をしていた? そんなに大量に押しかけて来て、俺が気づかないとでも思ったのか」
「だ、団長……!」
「いや、オレたちはその、団長の奥方様に庁舎内を案内して差し上げようとですね」
外からなだれ込んできたのは、屈強な体格の男たちだ。恐らく、ロイズの部下だろう。
控えめに頭を下げたティーナだったが、その後に巻き起こった野太い歓声にまた身が竦む。だが彼らのその歓声が、今度こそロイズの堪忍袋の緒を引きちぎってしまったらしい。
「貴様ら午後の訓練はどうした! 鼻の下伸ばしてる暇があったら剣を振れ馬鹿者ども!」
地に轟く雷のような怒鳴り声に、今度こそティーナの体が飛び上がった。怯える彼女に申し訳ないと謝ったのは、カインの方だ。
怒号の後蜘蛛の子を散らしたかのように居なくなった部下たちに、ティーナは軍人としてのロイズの新しい一面を見たような気がしたのだった。
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