19
イーオネイアとティーナはそれからぽつぽつと自分の実家のことについて話した。
特にイーオネイアが興味を持ったのは、ロスガロノフ領の機軸産業である農業についてだ。研究者が暑さに強い穀物をいくつか開発したと伝えれば、彼女は身を乗り出してその話に聞き入っていた。
「ねえティーナ、それって、乾燥に強く改良することはできて? 砂漠地帯はどうしようもなくても、ルブグラドの農地でも育てられるような」
「時間はかかると思いますが、以前お父様も同じようなことを言っていましたし……恐らく、可能じゃないかと」
「本当?」
一方でティーナはと言えば、イーオネイアが見せる見識の深さにほとんど言葉を返せないでいた。かろうじて作物のことは会話に乗ることが出来ても、政治や経済についてはとんと話が分からない。
学んでこなかったというのはもっともな理由だが、恐らくそれは逃げだろう。ティーナもイーオネイアも、年はそう変わらない。斜陽公家と一国の王族とはいえ、立ち位置だってそう格段に違うわけでもないだろう。
そうしてここで、ティーナは初めて自分の無知に気付かされた。
「そうねぇ、私が正式に輿入れしたら、ぜひ農業の専門家ともお話させてもらいたいわ。リィドがなんていうかはわからないけれど、こういうのは実際に話を聞かないとねぇ」
「アイル様は、ルブグラドでもそこまで精力的にご活動なさっていたんですか?」
「真ん中の兄様二人には止められたわ。王家の姫がはしたないって。でも、それっておかしくなくて? ルブグラドには女性の官吏もたくさんいるのに、私だけ駄目って不公平じゃない」
さも当然のように、イーオネイアは肩を竦める。新しい紅茶を淹れようと席を立った彼女の背中を、ティーナは漠然と眺めていた。
行動的とお転婆は違う。嫌というほどその意味を突きつけられたような気がして、何も言えないままイーオネイアが戻ってくるのを待つだけしかできなかった。
「姫様、そろそろお時間です」
助け舟が出たのはその時だった。何処から現れたのか、控えめな声がティーナのすぐ後ろから聞こえる。振り向けば、恐らくイーオネイア付きとみられる侍女がそこに立っていた。
「あら、もう少し駄目? 折角ティーナと仲良くなれたのに」
「既に午後からは予定が入っております。ワイズマン夫人、申し訳ありませんが」
ティーナに向かって申し訳なさそうに頭を下げる侍女に問題はないと返しながらも、気になるのは不機嫌そうに頬を膨らませるイーオネイアの方である。
「あの、アイル様……?」
「仕方ないわ、私が断ればまたリィドに迷惑がかかるんでしょう。ねえティーナ、ぜひまたいらしてね。今度はあなたが作った朝露柑のジャムも添えてお茶会しましょう!」
「ジャム、ですか」
茶化すようにそう微笑んだイーオネイアに曖昧な返事を返しながら、ティーナは席を立つ。最初よりは随分距離も縮まったように思うが、次に会う時までには彼女の話についていけるように勉強をしておかねばならないだろう。
「絶対よ、来ないならこっちから呼びつけるわ」
「ア、アイル様のお時間があるときでしたら私はいつでも大丈夫ですから……」
「そう、ありがとうティーナ!」
飛び切りの笑顔を見せるイーオネイアに、侍女は若干面食らったような顔をした。恐らく、彼女がこの表情を見せることは今までなかったのだろう。丁寧に礼を述べられたティーナは、先に言われたようにロイズを呼んでほしいと頼んだ。
「あぁ、ワイズマン師団長でしたら先ほどから外でお待ちですよ」
「え、外で?」
「幾ら師団長とはいえ、イーオネイア姫様の元に許可なしに立ち入ることはできません」
ひらひらと手を振るイーオネイアに頭を下げて部屋を辞すると、確かに見慣れた軍服姿が視界に飛び込んでくる。護衛と思われる兵士と何かを話しているようだったが、ティーナの姿に気づくとすぐにそちらに向かって歩いてきた。
「すいません、お待たせしてしまって……」
「いえ、こちらも仕事が早く終わったので。イーオネイア姫とお話は出来ましたか?」
「その、自分の勉強不足を実感させられました」
ティーナが恥ずかしそうに俯くと、ロイズはどういう意味だと首を傾げた。また外に出る長い廊下を歩きながら、彼女はイーオネイアの見識の深さについての話をし始めた。
「お恥ずかしい話ですが、アイル様が仰っていることの半分も分からなくて――これまで領地でお父様のお仕事を手伝ったりしたこともあるけれど、本当に触りだけで何も知らなかったんだって、思い知らされました」
「なるほど、そういうことが……俺もその話は意外ですね。そもそも姫君のことはまだ公表される前ですから、軍部にもこれといった情報は流れてこないので」
「えぇ、とても聡明な方でした。だから次にお会いするときまでには、もう少し勉強しておきたくて」
そこまで話したところで、ロイズはつるりとした顎を撫でて何か考える仕草をした。その少し後でティーナの方を見ると、ゆっくりと二回ほど瞬きをする。どんな言葉が返ってくるのかと次の句を待つティーナに、彼は一つ提案を持ち掛けた。
「一人そういう事に詳しい男を知っていますが……一度会ってみますか」
「え?」
「カイン・マクスウェル。俺の副官、つまり第二師団の副師団長です」
「マクスウェル、様?」
「カインと呼んだ方が本人は喜ぶでしょうね。本当に頭の切れる男ですよ」
何度か、ロイズとの会話で出てきたことのある人名だ。彼が絶大な信頼を寄せる、第二師団副師団長。彼が言うのだから、悪い人物ではないのだろう。ティーナが一も二もなく頷くと、ロイズは少しだけ嬉しそうな顔をした。
「では今日会ってみますか? 第二師団の庁舎まではそうかかりませんし、少し歩きましょう。外は晴れていたし」
「そうですね、またご案内、お願いします」
ティーナが笑うと、ロイズが目を逸らす。最近は慣れてきたのか、彼がその表情を見せるのは久しぶりだった。
長い廊下を二人で連れ立って歩く。多忙なロイズとここまで時間を共有したのは、もしかしてあの美術館の時以来かも知れない――ティーナはそう思うとますます嬉しくなって、数歩前を行く背中を必死で追いかけた。もう、朝の疑念はすっかり晴れてしまっている。
「ティーナ?」
「え、はい」
「どうかしたのか」
おもむろに振り返ったロイズが首を傾げるが、ティーナは何も言わない。別に、言うようなことでもないだろう。
「なんでもないです。カイン様に会えるの、楽しみにしていますね」
きょとんとしたまま動きを止めたロイズの横をすり抜けて、ティーナ久し振りに満面の笑みを浮かべることが出来た。
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