08
「七日後には休みが取れると思いますが、それまではしばらく軍部の方も忙しくて。ティーナには悪いが、先に寝てしまって構いません。休みになったら、美術館に行きましょう」
夕餉の席でのロイズの発言に、ティーナは二度ほどその大きな目を瞬かせた。
彼が一個師団の団長として膨大な人数の部下を率いているのはよくわかる。しかし、それにしたって七日の間まるっきり休みを取れないというのも、体を壊してしまうのではないかと心配になる。そう言えば、ロイズはゆっくりと首を横に振った。
「気遣いは嬉しいのですが、中々大きな作戦でして。指揮官の俺が席を外すわけにもいかないのです」
「それはその通りだと思いますけれど、どうかお体には十分気を付けて。美術館のことは気にしないでください。まずは体を休めていただくのが先です」
軍人として日々剣を振るっているロイズに、七日休みがないことなどはそう苦にならない。書類などは優秀な副官が取りまとめてくれるし、ロイズがすることと言えば全体の把握と大雑把な指示くらいだ。
「俺よりももっと働いてくれている部下がいますから。それに、七日後からは三日間丸々休みをもぎ取ってきましたので、美術館にも行けます」
武骨な手でティーナを撫でようとした手が、ハッと気づいたようにひっこめられる。この数日の結婚生活でロイズも最初のように顔を真っ赤にすることは少なくなったが、眠る時を含めこうして触れようとするときも、何処かためらいを見せるようになった。未だに、忙しいという理由で彼はティーナと別の部屋を寝室として使用しているのだ。
「そ、その。ですから俺は心配しなくても大丈夫ということを言いたくてですね」
誤魔化すように咳ばらいをしたロイズは、ティーナがしっかりと食事を食べ終えたことを確認すると、すぐ部屋に戻ってしまった。トーマたちの計らいで基本的に夕餉の時は給仕が終われば使用人は下がっていくのだが、それが逆にロイズとティーナの時間をぎこちないものにしていた。
ロイズもロイズなりに、ティーナとの約束を守ろうとしてくれているのだ。
そう思うことで時折感じる寂しさをうまく隠しながら、ティーナは宝物になった画集に思いを馳せた。
*
「それで、旦那様先に帰っちゃったんですかぁっ!?」
声を上げたのは、ニンフェだった。くるくると表情を変えながら、妻を置き去りにしたロイズを思ってか頬を膨らませている。
「でもきっとお疲れだったのね、軍部でのお仕事のことに私が口出ししたから、怒ってしまったのかも」
「そんなことないですよ! 旦那様が奥様のことを怒るだなんて、空と大地がひっくり返ってもありえません! そうですよね、リリア姉さま!」
そしてこれも変化の一つなのだが、ニンフェはリリアを姉と呼び慕うようになった。元々実家でも姉御肌で年下のメイドから慕われていたリリアだ。そう呼ばれて嫌な気はしないのか、ニンフェに向かってちょっと得意げに微笑む彼女の姿がたびたび目撃されている。
「そうですわよお嬢様。こんなことを言ったらまたトーマ様にお叱りを受けてしまうかもしれませんが、あの旦那様がお嬢様を嫌いになるだなんて有り得ないことです。本当は今にも休みをもぎ取ってきて二人の時間を過ごしたいと思っているに違いありませんわ。恋愛に関しては百戦錬磨、このリリアが言うのだから間違いありません」
あまりにもリリアがきっぱりとそう言ってのけるので、ティーナもそうなのかと頷くことしかできない。傍らでは、そんなリリアを見てニンフェがキラキラと目を輝かせていた。
「でも、何かと遠慮されているみたいで……お仕事のことになると私は何も知らないから、せめてそれ以外のことで旦那様に幸せになっていただきたいと思うのだけれど」
「簡単ですわ。お嬢様がちょっぴり露出度高めの夜着を着て、旦那様のベッドにもぐりこめばいいのです」
「リリリリ、リリア!?」
突然そんなことを言い出したリリアに、思わずティーナも素っ頓狂な声を上げてしまった。
幾らティーナが多少お転婆とはいえ、曲がりなりにも貴族の子女である。そうしたことには免疫がまるでなかったし、リリアの言葉もどこか素っ飛んでいて理解ができないもののように思えた。
「は、はしたないわリリア……そんな、えぇと、」
「まあ、これは冗談と致しましても、お嬢様も旦那様も奥手が過ぎますわ。アイザック様とリリアーナ様に早く孫の顔を見せて差し上げないとなりませんのに」
そう言われれば、ティーナとしては黙るしかない。
現在ロスガロノフ公爵家にティーナ以外の子供は存在しない。そもそも領地と家名が同一であるというのは王家並びに公爵家にしか許されない一種の特権である。公爵家が一つ潰れれば、ロスガロノフ領そのものが地図から名前が消えてしまう。それに公爵家の血をひかないロイズは、たとえティーナの夫であってもロスガロノフの名を継ぐことはできないのだ。
しかしティーナが嫁いでもその子供が生まれれば、ティーナが一時的に公爵位を継ぎ、その子供に家名と領地を譲り渡すことが出来た。友人のフィオエルナは女性の身で伯爵家を継いだが、ティーナの場合は少し勝手が違っている。そのことは、既にロイズもアイザックから聞かされているだろう。
「アイザック様は血筋などには拘らぬお方ですが、ロスガロノフの民の為、そして王の為に家名をお残しになるべきと考えておられます。お嬢様も旦那様も、そこのところはよく考えていただかないと」
普段の様子とは打って変わって、真剣に言葉を紡ぐリリアの様子はどこかトーマに似ていた。ティーナにしろロイズにしろ、そのことを理解したうえで結婚しているのだ。けれど顔を合わせるだけでろくすっぽ会話も続かない夫婦に子供など、夢のまた夢のような話でもある。
「うぅ、分かっているけれど……」
「旦那様もお嬢様のことが大切で大切で仕方がないといった風ですから、何も心配はしていませんわ。お嬢様だって、ロイズ様のこと、お嫌いではないでしょう」
なら心配することは何もないと、リリアはまた胸を張った。ティーナにない頼もしさは、何時だって彼女の背中を押してくれる。本邸と共に親しくしていた侍女たちを喪ったティーナに前を向けと叱り飛ばしてくれたのも、また彼女である。
「そう、そうね。夫婦だもの、少しずつ歩み寄っていければ」
「その意気ですわお嬢様。まずは七日後、美術館で旦那様に甘えてみてくださいませ」
「えぇ、甘えて……甘えて!?」
今度こそ、ティーナはひっくり返りそうになってしまった。リリアは自分の発する一言一言にきっちり反応する女主人が面白いのか、先程から笑みを絶やすことがない。メイドというよりはお伽噺の魔女のように、実はティーナをうまく操っているのだ。
「さあお嬢様。その時はばっちりおめかししましょうね! これからドレスを選んだって時間が足りるかどうか! ニンフェ、気合入れていきますわよ!」
「はいリリア姉さま! お屋敷のメイドみーんなで、奥様をもっと可愛らしくしてみせますっ!」
そんなことをする必要はないとティーナが声をあげそうになっても、その声が二人に届くことはないだろう。もうどうにでもなれと肩を落として、ティーナはお茶に口をつけた。
約束の日までは、まだ幾日も時間がある。
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