07

 軍靴を鳴らしながら王宮内を歩くのは、王国軍第二師団師団長のロイズ・ワイズマンだった。つい先日、王国きっての大貴族ティーナ・ロスガロノフ公爵令嬢と婚姻を結んだが、その結婚式でいつもの「疫神」っぷりを発揮したことで、元々有名だった彼の名前はあっという間に王宮の話題の中心に据えられた。


「よおロイズ! 新婚生活はどうだい? 大貴族のお嬢様だ、あっちの方はアンタがきちんと手ほどきしてやれよ!」


 遠くから響く野次に軽く眉根を寄せながら、副官を連れ立って長い長い廊下をさらに進んでいく。隣では副団長のカインが書類片手に曖昧な笑顔を浮かべていた。


「団長、顔怖いよ。幸せ新婚生活送ってる人間の顔じゃないからソレ」

「うるさい。人の家のことはほっとけ」

「それ、さっきの馬鹿に言ってあげなよ。どうせ君の顔真正面から見てあんなこと言う勇気ないんだし」


 ロイズ・ワイズマンという名前は、王宮においてちょっとした肝試しの道具に使われる。若い士官たちがこぞって彼の前に躍り出て自己紹介をするという面妖な光景も、新人兵士の配属が行われた後や夏の暑い時期になるとちらほら見られる。

 曰く目を見ただけで呪われるだとか、その剣に触れると絶大な力を手にする代わりに末代まで魂を食らわれるだとか。


 ロイズに嫁いだティーナも社交界にはめったに顔を出さず、俗に「十七公家」と呼ばれる公爵位を持った人間たちの会合にも殆ど顔を出さないことから、ロスガロノフの秘蔵っ子として有名ではあった。けれど今、彼女について回るのは「疫神騎士の生贄に捧げられた深窓の姫君」という何とも眉唾物の称号だ。


「でも奥さんとうまくいってるんでしょ? 君のそのおっかない顔がそこまで緩むなんて、これじゃ明日は王都に嵐が来るね」

「おい、カイン……」

「冗談だよ。でも君が嬉しそうっていうのは第二師団の奴らならそれなりに見分けがつくし、王子様にからかわれたくなかったら少し自重したら?」


 ライトブラウンの瞳を細めて笑うカインを、上から睨み付けるようにしてロイズの黒い視線が降り注ぐ。非公式ではあるが、これから王太子との接見があるのだと自分に何度も言い聞かせて、ロイズは普段通り眉根をひそめ不機嫌そうな表情をつくった。こうしてみれば、なるほど自分は随分と緩み切った顔をしていたらしい。



「王国軍第二師団団長、ロイズ・ワイズマン。ただ今参上いたしました」

「同じく副団長、カイン・マクスウェル。参上いたしました」


 ひときわ重厚な扉の前で、ロイズとカインはそれぞれ声を張った。既に話は通っていたのか、扉の脇を固めていた侍従たちがそれを開く。赤地に金で縁取られた重い扉が開くと、慣れた様子で二人は中に入っていく。ただ一つ備え付けらえられた椅子の上では、優雅に足を組んだ金髪の青年が手を振って二人を迎えている。



「や、ロイズ、カイン。わざわざ悪かったね。どうしてもロイズに結婚のお祝いをしたくてね。ティーナの結婚式っていうこともあったし、僕も出席したかったんだけれど。代理で悪かったね」

「いえ、お気遣いありがとうございます王太子殿下」


 二人を出迎えたのは、バルレンディア王国王位継承権第一位、リーズバルド王太子だ。太陽の加護を受けたかのようにまぶしい金髪に利発そうな翠瞳を瞬かせて、王太子は侍従に用意させた椅子に座るようにと二人に勧めた。公式な謁見ならばまだしも、ここは彼の極プライベートな空間だ。


「その、殿下は妻とお会いになったことが?」

「もともとロスガロノフ家は王家の遠縁だからね。アイザックは若い頃僕の家庭教師だったし、リリアーナ公爵夫人とも会ったことがあるよ。最も僕も、最後に彼女に会ったのは何年も前だ。彼女が王都の女学校に通っていた時に、視察でね」


 絵に描いたように美しい王太子に、ロイズは押し黙ったまま何も言えなかった。もしも彼がそうと望めば、ティーナは王太子妃になることが出来るだけの家柄だ。他国の王族からの婚姻の申し出も、決してなかったわけではないだろう。そう思うとなぜか眉間に走る皺がまた一本刻まれて、ため息を堪えたくなる。


「お、嫉妬? ねえカイン、もしかしてロイズは僕に嫉妬しているのかな?」

「そ、そのような不敬――」

「えぇ、もうめっちゃくちゃに嫉妬してますね。団長、先日だって私に「女性が喜びそうなものは何か」って聞いてきたんですよ。まあ無難に花なんかをって言ったんですけど……あれ結局なに贈ったの?」


 第二師団の頭脳として常日頃ロイズを支えるカインだが、軍部から一歩外に出れば気安い友人の一人である。王太子の前であってもその態度には少しの変化も見られない。


「エ、エスター・ブリシュの画集だ。その、王都の若い婦女子に人気があると聞いて」

「へえ、それなら僕も持っているよ。なかなか目の付け所がいいじゃないか。ティーナは花や宝石よりも、薬草や本で喜ぶ子だろう?」


 そうさも当然のように言い当てられてしまって、思わずロイズは息を飲んだ。彼女が本が好きというのはアイザックから聞いていたが、どこかで彼女が喜ぶようなものを用意できるのは自分だけであると思っていたのだ。


「……えぇ、休日に美術館に行こうと提案したところ、非常に喜んでいたようです」


 ロイズ自身にはそんなつもりは毛頭なかったのだが、発した言葉には明らかに牽制の意味が込められていた。それに気づかないロイズに、カインは呆れたような溜息をついた。王太子がこれだけでロイズを不敬だと責め立てることは有り得ないが、もしも無意識でこんなことを他の貴族連中にされては第二師団そのものが王宮で爪弾きにされてしまう。

 軍部での「疫神騎士」は数多の武勇伝を持つ歴戦の猛者だが、若干26歳の青年は官位と家柄を重んじる貴族の間ではただ王太子に気に入られているだけの平民上がりである。何かと因縁をつけられることも少なくはなかったが、副団長としてカインも出来るだけ面倒事は抑えたかった。


「申し訳ありません殿下、ウチの団長恋愛経験皆無のくせに奥さんにべた惚れしてまして。不敬をお許しください」

「うーん、こんなロイズもなかなか見れないからね。いいよ、ティーナに免じて許す」


 冗談めかして笑っている二人に、当のロイズだけが何か無礼を働いたのかと深刻そうな顔をしている。それが更に王太子の気に召したらしい。上品さを損なわない仕種で一通り笑うと、両手を軽く合わせた。


「今度是非、ワイズマン邸にお邪魔したいものだね。綺麗になったティーナも見たいし、そうだな、ロイズを嫉妬させられるような贈り物を持っていくよ」

「殿下ぁっ!」


 疫神騎士も、こうなれば形無しである。ティーナを目の前にした時とはまた違う様子で顔を赤くしながらも、どうかそれは勘弁してくれと頭を抱え始めた。自分に自信を持てないわけではないが、相手がリーズバルド王太子ならば妻を掻っ攫っていってしまってもおかしくはない。


「殿下、どうかお考え直しを」

「そんな深刻そうな顔しなくても、ロイズの大切なティーナを奪ったりしないから。安心しなよ……で、僕が君たちを呼んだのはもっと別の理由があるんだけど」


 透き通った翠の瞳にほのかに鋭い光がともる。そこからは、気の置けない三人の友人同士の会話ではない。「王太子」リーズバルドとその臣下たちの空間で、漂う静寂を切り裂いたのはロイズの低い声だった。


「はい、殿下。こちらが例の資料でございます――カイン」


 頷いたカインが書類を手渡すと、その美しいかんばせに笑みを浮かべ、王太子は素直にロイズとカインの労をねぎらった。


「ありがとう。ロイズ達にはこれからも忙しく動いてもらうけれど、頼んだよ。……信頼している」


 その書類に連なる名前を確かめるようにして、リーズバルドは秀麗な顔に終始険しい表情を浮かべたまま時間を過ごした。

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