03

「お帰りなさいませ、旦那様、奥様。私ワイズマン家バトラーのユリウス・ベルリッツと申します」


 恭しく一礼をしたのは、黒いテイルコートを着た若い男だった。ロイズが今年二十六だが、それよりは少し年上かもしれない。王都での結婚式を終えたティーナを気遣うように微笑みながらもロイズに不在時の報告を行っている。ティーナが実家から連れてきた使用人はバトラーのトーマとメイドのリリアだけだが、ワイズマン家の使用人はユリウスを含め十数名存在しているようだった。



「それは素晴らしい結婚式だったとお聞きしました。奥様、どうぞ今後とも末永く旦那様をお願い申し上げます」


 ティーナも生まれてからそう多くのバトラーを見てきたわけではないが、ユリウスの微笑みはトーマやレイチェルのバトラーであるセバスのそれよりもいっそう輝いて見える。顔の造りはどちらかと言えば男性的なのだが、瞬間瞬間で見せる仕草は粗野な男のそれとは格段に違う。


「えぇと、ユリウスさん? こちらこそ、まだまだ至らないところも沢山ありますけれどよろしくお願いします。ロイズ様の妻として恥ずかしくないよう精一杯努力しますけれど、なにぶん田舎者で」


 絵に描いたかのように温和な執事の微笑みにやや照れながらも、ティーナはぺこりと頭を下げた。それに続いて、後ろに控えていたリリアやトーマも頭を下げる。


「やぁだお姫様が田舎者って言ったらウチの大将どうするのよぉ……っあ、し、失礼」


 と、咳払いの後に訪れたのは数拍の沈黙である。



「ユ、ユリウスさん?」

「……バ、バトラーの方とメイドの方には、私から部屋の説明と警備関係のお話をさせていただきます。奥様のお部屋にはメイドのニンフェがご案内いたしますので、どうぞ今夜はごゆっくりお休みくださいませ」


 一瞬聞こえた声は一体なんだったのか。ティーナは混乱しながらも、ため息をついたロイズの背中を眺めた。すぐにそれまでユリウスの陰に隠れていたメイドが躍り出て一礼をする。年はティーナと同じくらいか、少し下くらいだろう。空色の大きな瞳が、好奇心にきらめいていた。



「私、奥様付きのメイドのニンフェと申します! リリアさんと一緒にお仕えしますので、どうぞよろしくお願いしますね! 今日はもうお疲れでしょうから、寝室にご案内します。旦那様も戻られますか?」


 満面の笑顔と可愛らしい声音でそう言ったニンフェは、それから自分の言ったことに真っ赤になって頭を抱えた。


「あぁっ! そうですよね、お二人とも新婚なんですものね! ごめんなさい旦那様、奥様」


 一人でくるくると回りながらそんなことを言っているニンフェを見て、またロイズは溜息をついた。


「すいません、ニンフェは明るいのですがまだまだ子供でして……無作法を許してやってください」

「元気なことはいいことですよ。きっとリリアとも仲良くなれますし、私も沢山お話したいです。実家の皆は、殆ど私より歳上でしたから」


 そう言えば、幾らかロイズはホッとした表情を見せた。静かな口調でニンフェを窘めながら、重苦しい飾りのついた礼服を脱ぐ。その下に着込んでいたのは、王国軍の一般的な軍服だ。


「ニンフェ、俺は今から軍部の詰所に戻る。ティーナを寝室に案内してやってくれ」


 静かな命令に、ニンフェがきょとんとした顔でロイズを見上げた。新婚の夫が今から軍部の詰所に戻るとは一体どういうことか。


「ティーナ、申し訳ありませんが昼間の一件のことがまだ片付いていませんので……暖かくして眠ってください。分からないことは、何でもユリウスやニンフェたちに聞いて」


 遠慮がちにそう微笑むと、ロイズはすぐに自邸を後にした。ティーナが遠ざかる蹄の音に耳を傾けていると、およそ屋敷の構造を聞き終えたリリアが口をとがらせている。



「なんですか、あの態度は! いくらロイズ様がお嬢様の夫とはいえ、結婚初夜に花嫁おいて軍の詰所!? 普通はさっさと寝所にしけこむってもんでしょうが!」


 いきなり叫び出したリリアに、トーマが目をむいた。普段は姉御肌で周囲の使用人にも慕われていた彼女のそんな言動に驚いたのは、トーマだけではない。ティーナも目をまん丸く見開きながら、リリアを宥めようとする。


「だって、悔しくありませんかお嬢様! お、男だらけのむさ苦しい詰所に恋人でも囲ってんじゃないの!?」


 声高に叫ぶリリアを、トーマが押さえつけていた。公爵家の使用人としての品位が欠片も感じられない――まさか結婚式を挙げたその日に、ワイズマン家との仲が険悪になることだけは避けなければならない。流石のティーナもハラハラしながらユリウスやニンフェの顔色を覗き見たが、二人とも申し訳ないと言って頭を下げているだけだ。



「すいません、ウチの旦那様とんだ唐変朴で……ただ、あれもひとえに奥様のことが心配だからなんです。結婚式でのことは聞き及んでおりますが、恐らくそれの調査でしょう。だからと言って、奥様に心細い思いをさせるというのも考えものですが」


 ユリウスが申し訳なさそうに深々と頭を下げる。謝らなければならないのはむしろこちらの方だとティーナも頭を下げようとしたのを、トーマが止める。


「謝らなければならないのはリリア、お前の方だ。お前はお嬢様の顔に、ひいてはロスガロノフ公爵家の名前に泥を塗るつもりか。使用人として出過ぎた真似は控えろとあれほど言い聞かせたのに、まだわからないのか」



 氷の冷たさで言い放ったトーマが、改めて謝罪を口にする。一瞬だけ張りつめた空気が、ユリウスの苦笑で持ち直した。


「いえ、やっぱり悪いのは旦那様ですから。あぁ、奥様申し訳ありません。お疲れのところを長々と話し込んでしまい――ニンフェ、頼むよ」

「はぁいユリウス様。奥様、こっちです!」


 玄関ホールでなおトーマに叱られているリリアを横目に見つつ、背を押されるようにしてティーナは屋敷に案内された。夫婦の寝室として用意されていたのは、広くこそはないが小ざっぱりとした部屋である。



「あの、ニンフェさん。リリアのこと、嫌わないであげてください。普段はとっても頼りになるんです。屋敷の庭に鼠が出た時は、いつも退治してくれたりして」


 本来名誉ある貴族の家の庭に鼠など出るはずもないが、農村に近いロスガロノフ家で鼠退治など日常茶飯事であった。そんなことを思い出していると、ニンフェがまた明るい声を出す。


「私がリリアさんを? どうして嫌うんですか? だって、奥様が信頼して連れてきてくださった方だもん、嫌うはずないですよぉ! お屋敷にはメイドだって少ないし、私たちずーっと奥様達が来てくださるのを楽しみにしてたんですから!」

「そ、そうなの?」

「はい! だって旦那様浮いた噂一つもないし、お屋敷に連れてくるのは筋肉ムキムキの軍人さんたちばっかり! 女の方がいないからドレスとかも見る機会がなくって……あ、それと私たちに敬語はダメですよ。「さん」もいらないです!」


 キラキラとした笑顔でネグリジェを着せようとするニンフェは、本心からそう言ってくれているようだった。


「奥様こそ、旦那様のことを嫌わないで上げてください……顔はおっかないしビックリするくらい不幸体質ですけど、すごくいい人ですから、仲良くしてあげて下さい!」


「旦那様は、お忙しい方なんでしょう? それに、素敵な方だっていうのも知ってるわ。私こそ、ずぼらだしあまり器量がいいとは言えないけれど、捨てられないように努力するから、どうぞよろしくね」


 そう広くない寝室でもやはり一人寝には広すぎるようだったが、ティーナはその日夢の中で軍靴の音を聞いた。硬質だがどこか優しい響きを含んだその音を聞きながら、彼女は結婚初日の夜をぐっすり寝て過ごすことが出来たのだった。

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