9月8日(火)その①
九月八日
「や、やっと終わった……」
翌日の放課後、私は生徒会室への道のりを、砂漠で遭難した旅行者のような気分で進んでいた。
あぁ……目の前の景色がぐらつく、足に力が入らない……何よりもまずお腹が減った……。
文化祭間近ということもあって、廊下はかなりにぎやかだ。新聞紙の上で看板にイラスト描いてる子がいたり、花紙が詰め込まれたダンボールが山積みになっていたりで、歩きにくいことこの上ない。おっと危ない、魔女のコスプレした女の子とぶつかりそうになっちゃった。
私がなんでこんなに疲労困憊になっているのか、まぁそれには色々と複雑な事情があるもんでして、知ってのとおり私の役職は文化祭実行委員長でありまして、その役目はといいますと『文化祭の企画・運営に関する全ての決定・決裁を行う』(文化祭実行委員会規則第十九条第一項)ことなのですが、字面上は何かスゴイ、又はカッコよさそうにみえてしまいますが、その実は只の雑用係、目立たない地味な仕事のワリに責任だけはかかってくるという、ちょっと貧乏くじな役職なわけであります。
で具体的に何をするかといえば、さっきみたいにステージ発表の練習の順番を巡ってトラブルが起きた場合なんかに、仲裁に駆り出されるわけ。
それにしても順番くらいちゃんと確認しときなさいよ全く……バンドの練習時間、変更したって伝えたじゃん……。
そんなことをブツブツ呟きながら、生徒会室へ向かっているときだった。
「ナナミ」
と、軽快なアルトが私の名を呼んだ。振り返った先にいたのは一人の女生徒。その後ろには二、三人の男女が付き従うように控えている、おそらく生徒会の役員たちだろう。その女生徒は長いストレートの黒髪に、見事なまでの卵型の顔、高貴さと優雅さを同時にそなえた目で、私を見ている。緊張のあまり、私の心臓がどくんと跳ね上がる。
「あ、おはようございます宮本先輩」
「おはよう、ナナミ」
私のあいさつに宮本先輩も笑顔で返す。その笑みは一国の王女様のような高尚さだ。ええい、落ち着かんか私の心臓、人間の一生の拍動回数は決まっているという話を聞いたことがある。私の心臓は、それを今ここで使い切るつもりだろうか。
宮本アスカ先輩は、私の一年先輩で菊川高校生徒会長を務めている。ということは文化祭実行委員長である私の直属の上役にあたる。
「文化祭の準備はどう? 順調にすすんでいるかしら?」
宮本先輩は女の私もゾクッとするような妖艶な笑みを浮かべて言う。
「は、はい! 今のところ何の問題もなく進んでいます」
私は先程の舞台でのトラブルのことを必死に悟られないように答える。
「そう、それは重畳ね」
先輩はふぅと溜息をつく。
「あなたも知ってのとおり、文化祭は我が校最大のイベント。特に今年は開校八十周年記念の重要な年にあたるわ。OBや地元の名士の方々も沢山お見えになるので必ず成功させましょうね」
「はい!」
ニッコリと笑う先輩。しかし、その笑みが私に一トンの鉄球を担がされたかのように感じる。『開校八十周年の重要な年』逆に言えば、そんなメモリアルな年の文化祭で粗相があったときは、実行委員長である私の責任になるということですか先輩。もう正直言って、この場で頭抱え込みたい気分です。
「それともう一つ」
私の心労を気にもせずに、先輩は二の句を継ぐ。……しかし、その口調は先程のものとはうって変わって、どこか憂いの色を帯びていた。
「妹があなたに会いたがっていたわ」
「……ヤヨイがですか?」
「また二人でお話ししましょうって。あの娘、あなたのこと心配してるわよ。ナナミはなんでも一人で抱え込みすぎるからって。ま、今は忙しいから無理だろうけれど、文化祭が終わったらまたウチに遊びに来なさいな。おいしいお菓子と紅茶を用意して待ってるわ」
そう言い残すと、宮本先輩は踵をかえし、他の役員たちと共に人ごみの中に消えていった。
あぁー緊張した。
宮本先輩と私は、生徒会長と実行委員長という間柄でありながら、尚且つ部活での先輩と後輩という関係でもあるのだ。いや、正確に言えば『あった』というべきだろう。
私は以前は弓道部に所属していたのだが、そこで二年生ながら主将を務めていたのが宮本先輩だったのだ。というよりも私が弓道部に入ったきっかけが、部活紹介で弓を射る宮本先輩の姿に憧れたからなのだ。まぁ部にいるときは先輩には何かお世話になった。どちらかと言うと褒められているよりも、叱られている方が多かった気がするけれど、それでも弓道をしていたのは私にとっていい経験だった。それから紆余曲折あって私は弓道部を辞めてしまった。本当なはそこで私と宮本先輩との縁は切れてしまったはずなのだが、先輩は私を生徒会活動に誘ってくれた。
「内申点にプラスになるよ」
そんな甘い言葉に誘われて私は生徒会に入った。生徒会の仕事は楽しかったが、二年になってすぐ、宮本先輩は何を思ったか、文化祭実行委員長の大任に私を指名したのだ。
「ナナミ、貴女を文化祭実行委員長に指名します」
その言葉を聞いたとき、はっきり言って先輩はとち狂ってしまったのかと思った。しかしそれから約八か月、何のかんの言いながらも実行委員長を務めてしまっているのだから、先輩は慧眼だったと言わざるをえないだろう。
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