リベルの谷底

@Shino_Fuyuie

リベルの谷底



 管理人いわく、樹木は地に根付いているものらしい。

「ってことは、この谷にも底があるってことだよね」

 クナナギは木の枝から足場へと飛び降りた。ぎっ、と鈍い音が鳴る。

「だろうな。見たことは無いが」

「あー、また葉燃やして吸ってる」

「嫌いか?」

「何のためか分からない」

「落ち着くんだ。少しだけ、いやなことを忘れられる」

「暗いなあ」

「大人はみんな、昔ほど元気じゃないからな」

「やめてよ、子供にそういう事言うの」

 風が吹く。細い青空を、翼の蜥蜴とかげが飛んでいく。

「アラエは元気か」

「ああうん、ちょっと太ったよ」

「そうか」

 管理人は3日後、谷底に落下した。クナナギが知ったのは、その翌日だった。



「言った通り引っ掛けてくれた?」

 クナナギは腰に巻いた木鎖きぐさりを引っ張って、身体をとどめてくれる強度を持つことを確認する。

「ね、ねえ、本当にやるの?」アラエの声は震えている。

「しつこいなあ。ちょっと降りるだけじゃないか」

 管理人が消えた後に、クナナギは部屋に忍び込んだ。

 クナナギは日記を盗んで、読んだ。

「ど、どこまで降りる気なの?」アラエが爪を噛んでいる。不安の証拠。

「許す限り。大丈夫かどうか、見張っといてよ」

「こんなことで死んだら許さない」

「ははは、そん時は笑って送ってよ」

「笑えない。何にも」



 管理人は年長者らしく多くの事を知っていて、若いクナナギのことも良くしてくれていた。しかし自分の過去については、他人に明かさない人だった。

 日記はほとんど、同じ日付の内容を繰り返していた。

 地上から降りた日。管理人が1人の女性を、誤って底へ落とした日。

「それにしても、暗いよね、ここ」

「日が当たっても明るくならないことで有名なくらいだからね」日記には、自分への呪いだと書かれていた。「流石にそれは、谷の形状とかの偶然だよなあ」

「何?」

「なんでもないよ」

 現に、燈火とうかの届く範囲ならば十分見える。

 それでも底は闇のままだ。

 木鎖を掴みながら、岩壁の中にちょうどいい突起を探す。

 見つけた。

 そこをスタート地点として、梯子を降ろす。

 おそらくは、どこにも着地できない梯子。

「じゃあ、行ってみるよ」

「死なないでね」

「爪、大丈夫?」クナナギは苦笑する。

 ゆっくり、一段一段を確かめながら降りていく。

 腰の燈火が揺れる。暗闇の中で、丸い光の放出が、不安をたとえるみたいにゆらゆら揺れる。

「あ、」

 あった。



 あの日を忘れることはない。

 魑魅魍魎ちみもうりょうが溢れ出し、平穏が何にも基づかない物であると知り、光に満ちた地平を失った日。

 これはリベルの民が共有する文脈だ。

 管理人と呼ばれた彼にとっては、彼女を失った、と注釈されるべき日付。

「ねえ、」

 彼女の声が好きだった。その声が自分に向けられた記憶を、決して捨てることは無かった。

「また、こんな風になれたらいいね」

 その命を奪ったのは、自分だ。

 いつもそんな感覚を抱えて、目を覚ます。

 谷間から地上へと伸びる木々を管理したのも、新たな村の構築を主導したのも、全ては贖罪しょくざいの意識が源だった。

 だから、彼女が落ちた座標を、なんとか推定しようと尽力した。誰にも明かさずに、だ。

 村が成長し、その地点の真上まで足場が達する頃には、下へ降りられるほどの体力は残っていなかった。

 皮肉だ、と笑う自分と、これが罪だ、と訴える自分がいた。

 闇が深くなる。光が小さくなる。リベルの谷底へと落ちていく。

 どうせ死の間際ならば、もう少しマシな物を思い出せたらよかったな、と管理人は思う。



「よっ、と」

「ああもう、心配した! ばか!」

「大げさだなあ」

 クナナギは、ポケットから手に入れたものを取り出す。

「ペンダント?」

「ヒビ入っちゃってるけどね」

「でも、どうしてそんなものを?」

「んー、ものは試しってつもりで降りたんだけど……まあ、ラッキー……と言っていいのかな」

 丁度そこに、大人がやってくる。管理人の葬式を行うらしい。肉体の無い葬式だ。

「供えてあげられるものがあっただけ、報われるのかな」

「なに、なんか、らしくないよ、クナナギ」

「爪、噛みすぎだよ」

「心配させるやつが悪い」

 ごめんね、とクナナギはアラエの背中をぽんぽんと叩いた。



 あのペンダントは、衣を着た白骨が着けていた。

 クナナギは仰向けになって、思い返している。同じような死に方をした人間があまりにも多すぎるから、管理人の日記に書かれたその人なのかまでは、分からない。

 そうならいいな、と願ってみる。



 地上はもはや存在しないものとして扱われている。

 そこに住まう生物との格差が、あまりにも大きすぎる。到底敵う相手ではない。そう言われているし、それが事実なのだろう。

 この村は燈火を増やしながら、底へ底へと拡張を続けている。

 これまでも、これからも。

 光より遠ざかる旅路の果ては、いまだ見えていない。



  (閉幕)

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