09/02/08:00――希い

 最初さいしょ意識いしきしたのは、白色しろいろだった。それはどこかまぶしさをはらみ、であればこそ穂乃花ほのかひらくかどうかの逡巡しゅんじゅんいだく。そこで、ちいさなおとともひかりうすくなった――カーテンをいたのだとづいて、右目みぎめからゆっくりとひらいた。

 白色しろいろ世界せかいひろがっている――いな

 病室びょうしつかと、いままでのながれをつなぎ、左目ひだりめひらく。

きたか」

 頭上ずじょうからこえをかけられ、穂乃花ほのか呼吸こきゅう意識いしきしながら、ゆっくりと焦点しょうてんをそちらへとわせる。

不知火しらぬいくん……?」

「ほかのだれかと間違まちがえるようなら、べつ医者いしゃ手配てはいしていたところだ」

「あはは」

 ちいさくわらうが、しかし、ルイはわらわず。

「いいか天来てんらい――」

 つづきをおうとして、一度いちどくちつぐみ、なにおもったのかかおゆがませて、それでも。

「――問題もんだいがあるなら、おれえ。いいな?」

「は、はい……」

 気迫きはくけたよううなずけば、そのままごつんとひたいをぶつけられた。何事なにごとかとおもえば、そのままくちわれる。

「ん――」

 三秒さんびょう

 はなれたルイは、ちかくにあっただろう椅子いすすわって。

「はあ……さすがに、つかれた」

 そうって、穂乃花ほのか足元あしもとたおれるよう上半身じょうはんしんせると、すうすうと寝息ねいきはじめてしまった。

 なになにやら、さっぱりわからない――と。

「あ、そういえば……」

 たれてから、いたみにえつつも、なにか、冗談じょうだんじりにったようながする。それのおかえしだろうか。

 ふと、いきけば、左肩ひだりかた違和いわがある。ければ包帯ほうたいがきつくかれているし、右脚みぎあしられた状態じょうたいだった。おそらくいためがいているのだろうけれど、それがはやくなくなってくれとおもうのは、むかしからそうだ。

 いたみがあったほうが、現実げんじつ視認しにんしやすい。いかりや憎悪ぞうおをためんだほうが、れる。

「あー……」

 それでも、この寝顔ねがおていれば、それでいいや、なんておもいもかんできた。今度こんどはちゃんとキスしてしいなあ、なんて――余韻よいんひたりたかったが、だれかがはいってきたことでわる。

 そこでようやく、ここが個室こしつであることに気付きづいた。というか、来客用らいきゃくよう椅子いす革張かわばりのソファになっていて、テーブルもみょうおもそうなものが鎮座ちんざしている。どこの執務室しつむしつだ、ここは。

「おー、きたかー」

「あ……兎仔とこちゃん」

「へえ、ルイはてんのか。めずらしいことだが、まあ仕方しかたがないな」

 あるいてちかづいてきた兎仔とこは、寝顔ねがおさら自分じぶん来訪らいほうにすら気付きづかないルイにたいし、どこかうれしそうに微笑ほほえんだ。

おこられちゃいました。問題もんだいがあるならえって」

「――そのとき、どんなツラしてた」

不知火しらぬいくんですか? なんか……かおゆがめて、わらいそうな、でもわらえないような、そんなかおでしたけど」

「はは、そうか。いや、わるいことじゃねーよ。たんにそいつは、あたしがルイにめいじた言葉ことばそのものだったって、ただそれだけのはなし。そっかー、ルイもだれかに、えるようになったか……」

「……安心あんしんしましたか?」

「まだまだ、はなせない部下ぶかだよ。さて、本日ほんじつ九月くがつ二日ふつか○八一六マルハチヒトロクだ。術後じゅつごからいままできなかったおまえを、ルイはずっとてたからなー」

「そうだったんですか……」

「ま、いくらきることが九割きゅうわり確定かくていしていたところで、あの状況じょうきょう一度いちどでもちまえば、悪夢あくむってるのはわかりきってる。おまえのためってわけじゃねーから、にするなよ」

三日みっかくらいですかあ」

一応いちおうにしてやったから、左目ひだりめ異常いじょうはないはずだ」

「あ、はい」

 かたかれると、衝撃しょうげきみみをやられる場合ばあいがある。それがきゅうミリであってもおなじことだ。

「あの、ここは?」

「ん? 懇意こんいにしてるぐん病院びょういんだ。にかけをひろってここにれて、そのまま海兵隊マリナーズながすなんてことも、あたしの仕事しごとじょう、あるからな。それより、状況じょうきょうはきちんと把握はあくできてるんだろうな?」

襲撃者しゅうげきしゃ三名さんめいかお名前なまえってます。怨恨えんこんせんですねー、逆恨さかうらみですけど。来訪らいほう一番いちばんかたかれました。つぎうごきであしです。まずいっておもったときにはもう、瑞江みずえちゃんがやっちゃってまして……」

「おまえ間抜まぬけをさらしたのがわるい」

「そうなんですけどねー、ああまで突発的とっぱつてきだと準備じゅんびもできませんし」

「そのためのルイだろうが……あたしなら、りょうはいってくるまえかたづけてるぞ」

「そりゃ兎仔とこちゃんはアレですから」

「アレってなんだ、アレって。だから、わるいのはおまえだ――ってことで、さら全部ぜんぶ片付かたづけておいたからな」

「……はい?」

「あ? 襲撃しゅうげきから三日みっかだ、おまえ経歴けいれきあらって怨恨えんこんせん手繰たぐって、あーこっち連中れんちゅうふくめて九人きゅうにん? 全部ぜんぶあたしのほう処理しょりしといたから。文句もんくうなよ。いままではおまえ意志いし重視じゅうししてをつけなかったが、こうなっちまえばはなしべつだ」

三日みっかしかってないですよ……?」

「そんだけありゃ充分じゅうぶんだ。ああ、りょう問題もんだいねーよ。金代かなしろにはこっちから連絡れんらくしてやったし、りょうまかせてある。おまえ退院たいいんまでさきがあるし、すぐくだろ。連中れんちゅうだって、突発的とっぱつてき事態じたい混乱こんらんくらいするが、しんつよい」

「そうですねー」

「あと、桜庭さくらばだっけ? あいつの〝師匠ししょう〟ってやつと、あたしはいだったから、連絡れんらくれておいた。今日きょうあたりにってるはずだ。……ご愁傷しゅうしょうさま、としかえないけどな」

「いろんないがいますねえ……と」

「ベッドよこ、あー右手みぎてがわにボタンがあるだろ。それせば、上半身じょうはんしんこせるぜ。点滴てんてきれてるが、みずくらいなら用意よういしてやる」

「あ、おねがいします」

 手探てさぐりでボタンをさがしてせば、ゆっくりとベッドがうごく。足元あしもとのルイはきなかった。よほどふかねむりにはいってしまっているらしい。

穂乃花ほのか担当たんとうさせた医者いしゃな、おんなだけどやりだぞ。医学界いがくかい吹雪ふぶきって名前なまえってるか?」

「あ、はい……というか、吹雪ふぶきさんなら、それこそ世界せかいでトップレベルの医者いしゃですし、ってるひとほうおおいとおもいますけど」

「あたしらの年代ねんだいだと、むすめほうちかいんだけど――その吹雪ふぶき愛弟子まなでしだよ。あたしのいでもあるし、世話せわんなったこともある。ま、いてたって理由りゆうもあったんだが……」

 けば、どうやらその医者いしゃ仕事しごとをしたくないらしく――なんだそれは――そもそも患者かんじゃおおらないらしい。面倒めんどうはとっととまして昼寝ひるねでもする、そのためにうでみがいたんだと、平然へいぜんとそんなことを女性じょせいらしかった。

「ま、正直しょうじきって、あたしとしては穂乃花ほのかよりも、ルイのほう心配しんぱいしてた」

「ああ……」

「あいつは一度いちどつぶれてる。もしも〝つぎ〟があったら、あたしでもげる自信じしんはない」

「――、以前いぜんに?」

くか?」

「はい」

 そうだなと、兎仔とこおもす。

「ありゃうちの組織そしきいて、二ヶ月にかげつってところか……。顔合かおあわせはしたが、まあそれだけで、あたしのほうもそれなりに仕事しごとがあったわけだが――そのとき仕事しごとでな、ルイは失敗しっぱいした。つっても、結果けっかしたんだけどなー」

 結果けっかしたが、過程かてい失敗しっぱいこした。リカバリはできていたし、その結果けっか駄目だめだったわけではない。

からっぽになった人間にんげんってのを、はじめて仲間内なかまうちた。たとえばそとはしらせたって、ありゃ駄目だめだ。機械的きかいてき――こころんでるから、あたま使つかわない。それこそ、条件じょうけん反射はんしゃうごいてるだけの人形にんぎょうのように、あたしのにはうつった」

「……どうしたんですか?」

荒療治あらりょうじだなー。宿舎しゅくしゃまでれてて、まずやったのは形見かたみならべて、全員ぜんいんはなしをさせた。いやに形見かたみおおかった理由りゆうもそれでわかったし、ルイのあやうさをったのもそんときだ。あたしはそのはなしった」

 なが時間じかんだったが、つらくはなかった。じれば、その光景こうけいかぶくらい、おぼえている。

 全員ぜんいんはなしえてから、兎仔とこった。



 ――そいつらがおまえゆるしたか?



おどしだよなー」

「それで、どうにかなったんですか……?」

「いんや、駄目だめだよ。けどはいった。過去かこからつなげて、げて――」


 そのときだ。


現在いまかおけさせた」


 兎仔とこもまた、はじめて、その言葉ことば使つかったのだ。


「――てめーのいのちは、あたしがあずかる。おまえときは、あたしがぬか、いのちかえしたときだけだって厳命げんめいした。そこからだなー、あたしがちゃんと、あいつをそだはじめたの」

「それで……いまの、不知火しらぬいくんなんですね」

「できるだけかしてやりてーと、そうおもうのはたりまえだろ。それでもやっぱり、ぎりぎりだ。こればっかは、穂乃花ほのかまかせるとはくちけてもえねーよ」

「それが上官じょうかんとしてのつとめ、ですね。わたしもちょっと、それをあずかるにはおもいですよー」

 その事実じじつくやしくもあるけれど、仕方しかたのないことだ。

はなせねーとはいえ、ガキあつかいってわけじゃねーからな。おい穂乃花ほのか、わかってるか? てめーが面倒めんどうこさなけりゃ、のんびりやすませてやれたって文句もんくってんだぞ」

「あはは、ごめんなさい。一応いちおう、これはわたしの――最後さいご仕事しごとだと、そうおもっていたんです」

「その結果けっかがこれじゃ、間抜まぬけもいいところだな」

きびしいですねー」

「あたしの部下ぶかがいたんだ、当然とうぜんだろ」

「そうですね……」

「――、なんだおまえ、ルイにかれてんのか?」

「あー、どうでしょう。わたしはだいぶきになっちゃってますけど、ぎりぎりのところで、本当ほんとうにいいのかなーと、ブレーキをかけてる状態じょうたいですねー」

「こいつはおんなあまいし、めりゃとせるとはおもうぞ」

「それ、北上きたかみくんとハコさんもおなじことってました。そうですかね?」

「ははは、あいつらだってよくてるさ――ルイとおなじように、他人ひとをよくてる。あたしらの場合ばあい、そんなのは基本きほん技能ぎのうなんだけどな。ただルイは、おんなあつかいはっていても、――自分じぶんおんななんてのは、しがってねーよ」

「ですよね。なんでしょう、だれかをきになるとか、愛情あいじょうとか、そういうものをってないがします」

「そのとおりだ。わるくせっつーか……ルイの場合ばあい、どんな他人ひとであれ、のこしていく連中れんちゅうだとおもってる。さきぬのは自分じぶんだとうたがってねーんだよ」


 それは。


 そうでなくてはならないと、兎仔とこ誘導ゆうどうした部分ぶぶんでもある。


 だから、おまえきているうちは、なないのだと、なか暗示あんじのように、一年いちねん以上いじょう時間じかんをかけておもませ――いや。


 そういうおもりをつけた。くさりからめた。


 そのくらいのことをしないと、あっさりとえそうだったから。


「だから、深入ふかいりはしねーんだ。もちろんあたしとしては、それでも、深入ふかいりするくらいせいにしがみつけと、いたいんだけどなー……」

わたしとしては、乱暴らんぼうかれてもいいなーと、そうおもってるんですけどね……?」

「んなことは、ルイに直接ちょくせつえよ。すくなくともけがにん趣味しゅみはねーだろうけど」

「あー、それはたしかに。というか、ながくかかりますかね?」

弾丸タマけてたかたきずのこらねーよ。いま皮膚ひふ再生さいせい技術ぎじゅつたかいし、かね糸目いとめをつけないぐん病院びょういんだしな。みぎふとももはきゅうミリの摘出てきしゅつおこなったから、時間じかんがかかる。日常にちじょう生活せいかつへの復帰ふっきは――ま、このあたりは担当医たんとういはなしてくれるだろ。懸念けねんされてたみみへの影響えいきょうは、いまのところなさそうだぞ」

りょうのみんなが心配しんぱいですよー」

まえときおもったけど、穂乃花ほのかはすっかり寮母りょうぼになっちまったなあ……」

「それはそうですけど、おかしいですか?」

「あの〝アイス〟がとおもえばわらえるはなしじゃねーか」

「あー……それはそのう、むかしのことですからね、はい」

わるいことじゃねーよ。むしろよろこばしいことだぞ。あたしらみたいにかたえられねー連中れんちゅうからりゃ、そうであってしいともおもう」

「……うらやましいですか?」

嫉妬しっとはねーよ。となりしばあおいなんてことは、よくわかってる。――ま、もうつぎはねーから、安心あんしんしろ」

「ご迷惑めいわくをおかけかしました。もうくんですか?」

「これでも、いろいろと仕事しごとがあるんだよ。つーか、あたしの場合ばあい狩人ハンターおなじで、もう生活せいかつになっちまってる。明日あした献立こんだてのために食材しょくざいうように、つぎ仕事しごとかんがえながら、いま仕事しごとかるってわけだ。うらやましいか?」

「とんでもない! あたしにはできませんよう」

「あたしにも寮母りょうぼなんて真似まねはできねーってことだ。ああ、個室こしつやらなにやらのかねにするなよ? ルイが軍属ぐんぞく時代じだいつくったかねなかで、組織そしき未払みばらいのかたちをとってた部分ぶぶんから上手うま流用りゅうようした。こういうときのための裏金うらがねだ」

金額きんがくはちょっときたくないので、はい、ご厚意こういとしてっておきます」

「おう。それと、ルイのことをたのむ」

「はい」

「ちなみに? こいつは――襲撃しゅうげきした連中れんちゅうつながりをつぶすよりも、おまえそばにいることをえらんだ。そこんとこは理解りかいしてやれよ。じゃーな、穂乃花ほのか。またさけでももう」

「あ、はい。兎仔とこちゃんもお元気げんきで。またいましょう」

 結局けっきょく――。

 これは自分じぶん仕事しごとだとおもっていたのに、迷惑めいわくをかけてしまった。そのうえでこのていたらく、ふか反省はんせいしなくては。

 ただ、不幸中ふこうちゅうさいわいは、被害ひがいったのが自分じぶんだけという事実じじつ。きっと穂乃花ほのかは、りょうだれかがたれていたら、また軍人ぐんじんもどっていただろう。そうでない現実げんじつには安堵あんどおぼえる。

 それに。

 ルイには、随分ずいぶん心配しんぱいさせてしまったようだ。

うれしいっておもったら、駄目だめなんでしょうねー……」

 そばにいてくれたことを、感謝かんしゃしたい。けれど、それをえらんだルイの心境しんきょうおもんぱかれば、感謝かんしゃくちにすることはできないだろうし、きっとってはくれないはず。

 だけど、そんなところもふくめて、もうかれてしまっている。

 理由りゆう理屈りくつ必要ひつようない。ただ、一緒いっしょにいたい。

「どうなんでしょうねー」

 あいだのこいだのと、気持きもちに名前なまえをつけるほどわかくはない。ずっとそばにいてしいとおもうほどの独占欲どくせんよくはないけれど――ただ。


 ねがう。

 それはいのりにもおもいで。

 自分じぶんとなりかならかえってきてくれるのならば、それでいいとこいねがう。


 そのための努力どりょくをするために、とっとときずなおしてりょうもどろう――そんな決意けついいだき、ノックとともかおせた女性じょせい医師いしに、穂乃花ほのかみをせた。


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