08/20/21:30――酒の席の昔話・今の話

 三度さんどのノックがこえ、金代かなしろ二代ふたよくわ煙草たばこのまま椅子いすもたれをきしませるようにしてかえった。のせいかともおもったが、小型こがたスピーカーにつながれているアンプでボリュームをしぼれば、ロック調ちょう音楽おんがくうすくなり、ふたたびノックのおとこえた。

 来訪者らいほうしゃめずらしい。そもそもかおせる人物じんぶつかぎられるのだ。金代かなしろ教員きょういんである以上いじょう生徒せいとはプライベイトであってもるべきではない――そうおしえてはいないが、そういうものとして、かれらは来訪らいほうをするさいも、食事しょくじ時間じかんなどに、はなしがあるから時間じかんってくれと、そうもうるのが慣例かんれいだ。

 時計とけいれば、そろそろ風呂ふろえてパジャマトークの時間じかんだろうにと、そんなことをおもいながらこえげる。

「あいよ」

「こんばんは」

 ひょいと、とびらからかおせた天来てんらい穂乃花ほのか姿すがたに、おやとまるくする。手元てもとのノートがた端末たんまつとして、それほどいそ仕事しごとじゃないのを再確認さいかくにんしてから、ぱたりとじるとびらおとふたたかおけて。

「どうした?」

「ちょっと――、みませんか?」

 穂乃花ほのか微笑ほほえんで、ってきたボトルとちいさなふたつのグラスをかかげてせた。いそがしい仕事しごとがないことはっていたし――乱雑らんざつとした部屋へやは、掃除そうじ意識いしき刺激しげきさせられるが、かつての仕事場しごとば彷彿ほうふつとさせられ、なつかしみもあった。

 その様子ようすなにかんがえたのか、椅子いすごとくるりときをえた二代ふたよは、かお苦笑くしょうきざんだ。

「まあためずらしいな……いいけど、一本いっぽんじゃりないぞ?」

「たくさんむわけではないですから」

 書類しょるいらばったテーブルを丁寧ていねいかたづけ、そこにボトルをいても、二代ふたよ椅子いすからりようとしないし、穂乃花ほのかにせずにせんけた。

「――なんだ、それ」

いたことありませんか? キジェッチ・ファクトリーのつくっている、唯一ゆいいつのおさけで、はフリーランス」

「〝傭兵フリーランス〟だって?」

名前なまえだけはってたんですけど、このまえ旅行りょこう発見はっけんして、おもわずってしまいました。はいどうぞ、二代ふたよちゃん」

「おう。……かおりがいいな」

 さけたいする態度たいど相変あいかわらずで、くすりとちいさくわらった穂乃花ほのかさきめるようにくちにすれば――。

美味うまい……」

「どれ――って、なんだこりゃ。えらくからうえに、度数どすうたかいじゃねえか」

「あはは、ラムほどじゃないですよ」

度数どすうはな。おまえって、むかしから辛口からくちきだよなあ」

「ええまあ」

 しばらく、二人ふたり無言むごんでグラスをけ、二杯目にはいめそそぐ。そのさい穂乃花ほのか微笑ほほえみをかおかべながらも、二代ふたよていないことに気付きづいて。

「――なんだ穂乃花ほのかむかしでもおもしてんのかよ」

「ええ、まあ、……そうなんですよね」

 それ自体じたいは、不幸ふこう事故じこだったとしかいようがない。

 地下鉄ちかてつ自爆じばくテロ――仕事しごと都合つごう国外こくがいていた穂乃花ほのか両親りょうしんは、その爆発ばくはつまれてくなった。それをったのは、わせをしていた馴染なじみの料理店りょうりてんで、女性じょせい店長てんちょうはなしをしていたときだ。


 ――どうして。


 穂乃花ほのかいた。おそらく、一生分いっしょうぶんをそのときいたとおもう。何故なぜならば穂乃花ほのかは、あれ以来いらいくことがなかったから。

 そして。

 穂乃花ほのかにくしみをいだいた。

 てつ容易たやすかすほどの熱意ねついを、すべにくしみへとえた。

 いのってももどらない現実げんじつに、かみにくんだ。

 テロをこしたものにくんだ。

 ふせぎきれなかったものにくんだ。

 なにもできなかったおのれすらにくしみの対象たいしょうにした。

 そんな子供こどもだったのだ、孤児院こじいんだとて世話せわをしきれない。のつけようのない子供こどもならば――軍門ぐんもんたたく、充分じゅうぶん理由りゆうになる。

 はっきりとえば、られたのだ。そして、穂乃花ほのか自身じしんられることをみとめて、士官しかん学校がっこうはいった。

はじめてったのは、士官しかん学校がっこうで、同室どうしつでしたね」

「まあ――そうだなあ」

 以前いぜんたしか、そんなはなしをしたようにおもうけれど、いつだったのかを二代ふたよおもせない。けれど、そんな昔話むかしばなしをするのは、何度なんどだっていだろう。すくなくとも二代ふたよにとっては、わるくないおもだし、穂乃花ほのかにとっても、きっとそうだ。

一目ひとめて、こいつとは相容あいいれないとおもったね」

「あはは、ですよね」

 なにしろ、にくしみという熱量ねつりょうをすべておのれなかしとどめ、こおりという仮面かめんけていたのだ。こころおもむくままに行動こうどうし、はな二代ふたよには、馬鹿ばかおもえたかもしれない。

「でも、途中とちゅうからはよくはなしましたね」

「おまえの〝憎悪ぞうお〟を垣間かいまたからな……わたし同様どうように、きちんと理由りゆうって、なにかをそうとしていると、そうおもえたんだ。はは、理由りゆうね。まったく、わかかったな。なにかがせると、そうおもえてたんだから」

間違まちがいじゃ、なかったですよ」

「まあな。結局けっきょく、あれからおまえ情報部じょうほうぶうつって、みょう組織そしきかれても、いはつづいてる。いまもまだ、そうだ。わりたくはないね」

「ありがとうございます」

「ふん。ぐんけるまえ穂乃花ほのかかおせりゃ、風祭かざまつりならいきんで直立ちょくりつするぜ。おしえてやったらどうだ、三佐さんさ殿どの?」

「もうわすれましたよ、准尉じゅんい殿どの

 そうだ。

 穂乃花ほのかなかで、憎悪ぞうおんだ。いや、最初さいしょからたいしてつよのこっていたわけではないのだ――くしてはならないと、わすれてはならないと。

 そうやって、憎悪ぞうおいだかなければ、穂乃花ほのかきてけなかっただけ。

 いまちがう。ぐんけるまえくらいには、もう、っていた。ひとはただ、明日あしたつくらずとも、明日あしたて、今日きょうねむるのだと、っていたのだ。

 きるなんてのは、ただ、それだけでいのだと。

「ったく……不知火しらぬいのことだろ」

「……はい」

温泉おんせんたのしんできたらしいじゃないか、問題もんだいはなかったんだろ」

問題もんだいは、ありませんでした」

「でも――むかしおもすくらいには、不知火しらぬいちかづいたってことか。けどありゃあ、わたしらとはちがうだろ」

「そうですねえ。じつは、もと忠犬ちゅうけんひとにも、ったんですよ。二人ふたりいました」

「へえ? そりゃまた、めずらしいというか……どうだった?」

「〝軍人ぐんじん〟には、まったくえませんでした。けれど、不知火しらぬいくんのように、なにかをかかえている様子ようすもありませんでしたし、そんな不知火しらぬいくんを心配しんぱいする様子ようすも、一切いっさいなかったです。それはきっと、信頼しんらいのカタチなんでしょうね」

「おまえ……まさか、嫉妬しっとしたとかわないだろうな」

「そういうかたもあるんだなあ、とはおもいましたけど……嫉妬しっとしてるんでしょうかね」

わたしくな、らん。というか、あー……旅行りょこうなにかあったのか?」

「あったというか、なにもなかったというか。となりだれかがいるってことのありがたみを、再認識さいにんしきした――ってくらいだと、わたしおもってますけど」

「まあた面倒めんどう相談そうだんだなあ、おい」

相談そうだんってわけでもないんですけどね。……でも、わたしには不知火しらぬいくんをすくうことはできません」

「そりゃだれだってそうだ。すくうことができるのは、いつだって本人ほんにんだけだろ。もどかしいはなしだけどな……。それに、わかってんだろうけど、わたしもおまえも、あいつとはちかしい。わかったになれちまう」

おなあなむじな、ですか」

「そういうことだ。んで、そりゃになるだけで――やっぱ、わかんねえよ。忠犬ちゅうけんだろうがなんだろうが……かつて」

 そうだ、かつては。

わたしが、おまえたいしてそうだったように」

「そのせつ大変たいへん迷惑めいわくを?」

「そりゃわたし勝手かって右往うおう左往さおうしてただけ、だけどなあ。個人的こじんてきに、不知火しらぬいのことなら、一緒いっしょにいてやることが、いま生活せいかつつづけることが、多少たしょうすくいにはなるだろうとも、おもうけどな」

「でも、不知火しらぬいくんはそれをのぞんでいますか?」

「それは」

わたしには、ぎゃくめられることをのぞんでいるようにもえてしまいます。くるしみがもっとあればと、つらくなくてはならないと……」

「……そうじゃなきゃ、自分じぶんたもてないんだろ」

 自分じぶんには一体いったいなにができるんだと、かんがえない軍人ぐんじんはいない。そして、できるなにかをつけて、それをいだきながらあしまえすすめる。

 そう、なにかがなければ、駄目だめなのだ。

からっぽになったヤツは、退役たいえきするか戦場せんじょうるのがさだめだ。そのまえ気付きづいてやるのが上官じょうかんつとめだろう。……だったら、朝霧あさぎりはどうだったんだろうな」

部下ぶかかしたいと、そうおもわない上官じょうかんもまた、いません……」

 たとえそれが、どんな方法ほうほうでも、なせたいとはおもわない。

正直しょうじきって、不知火しらぬいくんのかかえている荷物にもつは、わかるがしても――理解りかいはできません」

わたしだっておなじだ」

士官しかん学校がっこうているからといっても、最低さいていでも四ヶ月よんかげつ現場げんば研修けんしゅう必須ひっすです。二代ふたよちゃんだって、仲間なかまれましたよね」

いやだが、だれだって経験けいけんするさ……」

 はじめての仲間なかまは、穂乃花ほのかなかにあった憎悪ぞうおえるほどのいかりと、かなしみがあふれた。そして、ふたつがざりった結果けっかとしての〝くやしさ〟だったはずで。

「だが――」

「そうなんですよね。たとえば、部隊ぶたい全滅ぜんめつしたとしても、れるのはせいぜい二人ふたりまでです。戦場せんじょうではツーマン・ワンセルでの行動こうどう基本きほんで、部隊ぶたい行動こうどうをしていても、となりだれかがんだとしても――」

「ほかの連中れんちゅうにまで、とどかない」

 それをかされたとき絶望感ぜつぼうかんっている。状況じょうきょうによっては部隊ぶたいからはなれていたとき仲間なかまたちが窮地きゅうちったのならば、たった一人ひとりでもむかえにくんだと意気込いきごんだこともあった。であればこそ――全滅ぜんめつしたと、そう言葉ことばげかけられれば、ひざからくずちる。

「けれど不知火しらぬいくんは、ちかくで看取みとったひとほうおおいんでしょうね……」

「そうだとはわないが、わたしたちよりも痛烈つうれつなにかをかんじたんだろうな」

 仲間なかまとは、喪失そうしつだ。それこそ、ぽっかりとあなく。手渡てわたされた形見かたみけだけで、そのあなめることはできない。

「それでも――普通ふつうなら、いつまでぐだぐだとなやんでいやがると、怒鳴どならせばはなしだ」

「でしょうね。けれど、怒鳴どなって、それをめさせたら? 不知火しらぬいくんには、なにのこるんでしょうか」

「さあな。すくなくともわたしには、きる〝理由りゆう〟がすべてなくなると、そうかんじてる」

 ひとは、理由りゆうなんてもとめなくてもきられる。

 けれど、理由りゆうってきているものは、それをうしなったときなにもできなくなる。

よるに、随分ずいぶんうなされていました……」

めずらしいことじゃないだろ」

「そうだったんですけどね。さすがに、ていられませんでした」

 ちいさなグラスをけて、三杯目さんばいめそそげば、二代ふたよのこりをしてグラスをこちらへけたので、そそいでやる。琥珀色こはくいろ液体えきたいからく、それが話題わだいった雰囲気ふんいきつくってくれているようで。

 おもわず、穂乃花ほのか苦笑くしょうかべた。

「あそこまでうなされれば、途中とちゅうきるとおもうんですけど……そうでもなくて。まるでゆめなかとらわれているような錯覚さっかくすらありました。まあぼけてたんですけどね、わたし

「おまえって、変則へんそく時間じかん寝起ねおきが極端きょくたんわるいからな……まあ、ちゃんとそのときのことをおぼえてるから、問題もんだいにゃならなかったっけ」

「あはは、そうですね。――わたしには、なにができるんでしょうか」

「できるなにかはあるんだろうさ」

「わかっています。でも、……いえ、どうなんでしょうねえ」

きにやりゃいいだろ、穂乃花ほのか気遣きづかいがぎる」

「ほかの忠犬ちゅうけんたちは、とにかくめろってアドバイスをくれましたけどねー」

「……それはどうなんだ?」

「どうでしょう。あっさりかわされる未来みらいしかえなかったんで、くびかしげたものですけど」

「――で?」

「はい?」

穂乃花ほのかはどうなんだ。できるかどうかじゃない、――なにかをしたいと、そうおもってんのか?」

 それは――。

 視線しせんわずかにとして、手元てもとのグラスをて。

「はい、たぶんそうおもってます。わたし不知火しらぬいくんにかれています」

「いやまあ、確認かくにんするまでもなく、わかってたけどな。しかし、どうしたってあんな面倒めんどうなガキを?」

不知火しらぬいくんが両手りょうて視線しせんとしてるところ、たことありませんか?」

「いや」

うなされてきたときとか、ほかにもたまに、やってるのをかけたんです。――れた幻視げんしするとっていました。それがえれば、いた証拠しょうこだと」

「……ころした相手あいてかえじゃなく、仲間なかま看取みとったときについた、か?」

「はい。それをいたときに、確信かくしんしました。それをどうにかするのは無理むりです。もう不知火しらぬいくんの一部いちぶですから。そして――不知火しらぬいくんは、らくになりたがってます」

にたがりはのこれないのが戦場せんじょうなんだけどな……」

「それ以上いじょうに、うしなったものを背負せおってきたんでしょう」

 きなくてはとおもみ、その奥底おくそこんでらくになりたいとおもっている。

 そんな矛盾むじゅんも、ひととしては持《》ちうるものだ。

て――いられません」

 穂乃花ほのかは、視線しせんとしたまませる。

「それが必要ひつようだったとか、そういうのは全部ぜんぶ棚上たなあげして、そうでなくてはならない不知火しらぬいくんをていると、わたしほうきたくなります……」

 かつて、そらけてえた言葉ことばおもす。


 ――どうして。


「そこまでしなくてもいいのにと――いたくなります」

「だからって穂乃花ほのか

「わかっています。それだけは、絶対ぜったい駄目だめです。わたしはやりません」

 そうだ、絶対ぜったいに。


らくに――しては、駄目だめなんです」


 どうあっても。

 ころしてやるわけには、いかないのだ。

「わかってりゃいいけどな……きずめあいはめとけよ?」

「わかってます。めるならべつのところがいいです」

うねえ。けどまあ、朝霧あさぎりなんかもそういうことだろう」

兎仔とこちゃんも、そうなんでしょうね。わたしのように、こんなになやまなかったかもしれませんけど――いえ、あのひとなら、きっとなやみましたね。けど、それはかおさない」

「おまえだって、こういう弱音よわねみたいなはなしは、わたしにしかしないだろ」

「それはもちろん、寮母りょうぼですから」

いたについてきたよな」

「それをうなら二代ふたよちゃんだって、ちゃんと先生せんせいをやってますよ」

 じゃなかったら、こんなに書類しょるい部屋へやみだれない。

不知火しらぬいにもおなじことをわれたよ。もっと自分じぶんめてやれってな……」

「ふふ、なんだかんだて、ちゃんとひとてますからね、不知火しらぬいくんは」

「なんで穂乃花ほのかうれしそうなんだ?」

「いえいえ。でもどうでしょう二代ふたよちゃん、不知火しらぬいくんなら教師きょうしになれるとはおもいませんか?」

「あいつがいやがるだろ」

「でしょうねえ」

「ま、どうであれ、穂乃花ほのか自分じぶんの〝問題もんだい〟がまだのこってるだろ」

「そうなんですよねえー。一応いちおう五人ごにんまでは把握はあくしてるんですけど」

退役たいえきしてからかたづけるのも、問題もんだいだな」

さき処理しょりしたから、退役たいえきでも、五人ごにんくらいにとどめられたんですよ」

「そりゃたしかに。……ん」

 グラスをされ、それにそそぎつつ、微笑ほほえみながら穂乃花ほのかう。

「これでわりですよ?」

「は? こんなちっこいグラスで四杯よんはいだけか? なんだそりゃ」

たかいおさけですしねー、のこりはわたしがちびちびみます」

「いくらだよ」

 気軽きがるうて、穂乃花ほのかくちから金額きんがく二代ふたよあたまかかえた。

「……つぎからは、安酒やすざけ二十本にじゅっぽんくらいってきてくれ」

「あははは」

 だが、値段ねだん相応そうおうあじである。そして、話題わだい相応そうおうからみであった。


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