魔術師たちの昏き憧憬 #19


「――え、あ…… は?」


 なんの脈絡もなく放たれたトキヤの言葉に、姉妹は呆気にとられたようだった。

 レイカは呆けたような声を漏らし、フウカは目をぱちくりとさせながら、黙ってトキヤを見つめていた。

 二人の反応はもっともなものだろう。時間にして三十分程度。姉妹の目には、トキヤがなにか特別なことをしていたようには見えないはずだった。

 テーブルを調べ、書架をあさり、そのうちの一冊を読み始めたかと思えば、突然「驚くべきことが起こるかもしれない」ときたものだ。混乱するのにも無理はない。

 普段のトキヤであれば、今から彼がとろうとしている行動に関して思考を重ね、悩みぬいた末に決断を下していたことだろう。あとでこの時の出来事を思い返した時、彼はこの時の自分が冷静ではなかったと感じるに違いない。

 興奮していた。ようやく見つけ出した緒(いとぐち)に、魔術に関する忌まわしい記憶さえも忘れ、それから手繰り寄せられるであろう真実だけを見つめていた。


「突然何を言い出すの? 何が起こるって?」

「それはこれからご覧に入れます。ボクが今口で説明したとしても、理解することはかなわないでしょう」

「……どうやら、私たちにはわからなくても、"あなたにはわかること"がわかったようね?」


 トキヤの言い草を、レイカは皮肉の類と受け取ったようであった。無論、トキヤにはそんなつもりなどは一切ない。本当に口で説明しても理解されないであろうことが、これから起ころうとしているのだ。


「その通りです。ですが、あなたたちを軽んじているわけではありませんよ。百聞は一見にしかずと言うでしょう? とにかくこれからボクがやることを見逃さないでください。この件が落ち着いたら、いくつでも質問に答えましょう。ボクはあなたがたへの説明の義務を放棄するつもりはありません」


 まずはそれが紛れもない現実であると認識させること。何も知らぬ者に魔術を認めさせるということ。

 それが第一歩だ。この過程がなければ、どれだけ語り手の魔術の知識が信頼に足りるものであっても、決して理解されるものではない。

 もっとも、一般人にとっては魔術の知識そのものが毒である。伝えなくて済むことならば伝えないほうが良いに決っているし、必要に迫られて伝えるにしても、時と場合、人を選ばなければならない。この時のトキヤには、そのあたりのことを煮詰めている余裕がなかった。

 この後、トキヤはアカギリ姉妹を半端に超常の世界に引きずり込んでしまったことを後悔することになるのだが、この時の彼にはそれを知るすべはない。


「……約束よ?」

「この業界は信用が命です。ボクの知っていることなら、全部話しましょう」


 さて、と小さくつぶやき、下唇を舐める。

 まず必要なのは、「強き光」の元だ。その前のやりとりのこともあって、太陽を強く想起させるが、部屋の窓から差し込む光は、シュトの上空にまとわりつく暗雲のような排煙の塊によって遮られ、いかにも弱々しい。試しにとばかりに窓際に移動してみるが、手に持った本はまったく反応を示さなかった。


(やはり条件が足りないみたいだ)


 太陽光では反応を示さなかった以上、それを上回る「光」を用意しなければならない。

 トキヤが目をつけたのは、テーブルの上に置いたままにされているオイルランプだった。部屋の中にはそれ以外に光源になるようなものはない。

 取り上げて調べてみれば、まだ燃料がいくらか残されていた。部屋の主が日常的に使用していたようなので、状態も悪くはない。

 ホヤを取り外し、抽斗の中から拝借したマッチでもって着火する。小さく爆ぜるような音が鳴り、橙色の炎が腕を振り乱すようにして揺らめいた。


「何をするつもりなの?」


 耐え切れないとばかりに、レイカが質問をした。トキヤはそれに対して小さな子供にやるように、立てた人差し指を口元に当てて、


「じきにわかります。それと先程は言い忘れてしまいましたが、もう一つ約束していただきたいことがありまして――」


 絞りを調整し、おとなしくガラスの内側に収まった炎を取り上げ、山羊革の本へと近づけていく。

 薄暗い部屋を優しい円状の光が切り取る。太陽光よりも幾分か強い「光」が表紙を照らし、そして――。


「あなたがたが誰かに話すとは到底思えませんが、ここで見たことはくれぐれも、口外しないようにお願い致します。そうでなければ、ボクはあなたがたへの責任を果たすことが出来ない」


 橙色の光を押し返すように、本の表紙が青白く輝き始めたのである。

 それは驚くべき反応だった。トキヤの手の中で妖しく光り始めた本を目にして、姉妹の瞳孔は開いてゆく。


(――当たりだ)


 トキヤはといえば、自分の欲した反応を本が見せていることに喜びを隠さず、笑みすらも浮かべていた。

 本はただ輝いているだけではない。光に反応し、トキヤの指先から魔術の根源である"呪力を吸い上げて"いる。

 魔術を発動させるには、相応の代償(リソース)が不可欠である。その中でも特に普遍的で、欠かすことが出来ないものが、才能ある人間が体内に持っている、【呪力】と呼ばれるエネルギーである。

 仔細を言えば「才能がない人間が呪力を持たない」というわけではないが、魔術を扱うには、少なくとも"魔術師的に一般的な"量の呪力を有していることが必要条件となっている。


 トキヤは魔術師ではないが、奇しくも"一般的ではない"ほどの呪力をその体内に湛える逸材であった。


 本はトキヤから魔術の発動の準備に必要な量の呪力を喰(は)むと、光を段々と収束させていった。そこらじゅうに撒き散らしていた青い光は静脈を思わせるような輝く文様となり、表面に浮かび上がる。

 そうしてほとんど無地であった本の表紙に現れたのは、中心にテーブルのものと同じ「円と半円月」を中心として構成された図形。周囲の幾何学的な図形も、すべてがテーブルのものと一致している。

 トキヤはランプを傍らに置くと、ごく慎重に本をテーブルの上に置いた。表紙に現れた文様がテーブルの細工と一致するように。


「これで―― 何が起こる?」


 一拍置き、変化が起きた。

 文様を青い光がテーブルの意匠へと伝播し始めたのである。

 さながら液体のごとく。溢れだした光は迷路をたどるように、テーブル上に"正しい図形"の輪郭を表していく。長方形のテーブルに隠されていた円形の方陣。トキヤが感じた漠然とした違和感の正体が、ついに姿を表したのである。

 そうして方陣が一際強い、立ち上るオーラのごとき光を発したかと思えば、ガラリと何かが大きく回転するような音が鳴った。

 呆けたように事態の推移を見守っていた姉妹が、突然の音に驚き、猫のように小さく跳ねさせ、体を丸めて警戒態勢をとった。

 予想外に重い音だったが、トキヤにはそれが留め金の外れたような音であるように思えた。


(【駆動】の魔術か……? この部屋の何処かで何かが動いたはずだ)


 【駆動】の魔術は、離れた場所にあるものを、まるでで生命が宿ったかのように独りでに動かしてやるというものだ。初歩的な魔術であり、硬貨はそれほど高くはなく、本来は方陣を用いるようなものですらないが、魔術それ自体を仕込んだものの手ではなく、"本という鍵に呪力を注いだ者"が魔術を発動できるように、わざわざワンクッションを置いているものと見えた。

 部屋のからくりの構造を最初から知っていれば、この大掛かりな"装置"に頼らずとも、【駆動】の魔術さえ使えればよいという寸法である。秘密は暴かれるためにあるとはよく言ったもので、第三者による発見がなされることを前提とした造りだった。ほんとうにすべてを秘密にしておきたかったなら、からくりの位置が知られるように造るべきではない。

 音のした場所を探してうろつき始めたトキヤに、未だ緊張の抜け切らない様子のレイカが語りかけた。


「ね、ねえ。今のはなんだったの? いきなり光って、音が出て―― わけがわからないわ」


 フウカも同意見のようだった。縋るような目つきに僅かな詰問めいた色が含まれている。


「魔法ですよ」


 逡巡もすることなく、トキヤはそう答えた。

 あえて「魔法」という言葉を遣ったのには理由がある。語感というのは案外大切なもので、魔術後s機のない人間が魔術的な現象に遭遇した時、「魔法」という言葉を用いて説明したほうが、「自分の常識では計り知れないものに遭遇した」という実感が湧きやすい。

 実際、トキヤに初めて魔術を見せてくれた人間は、幼い彼に「これは魔法だよ」と言って聞かせた。その時の淡い記憶が、トキヤに迷いを抱かせなかった。


「ま、魔法? 今のが、お伽話に出てくるような…… そんな」

「魔法……」


 レイカは動揺しているようだった。

 魔術に触れたことがあるトキヤには大した光景ではなかったが、レイカにとってはそうではなかったに違いない。彼女の常識範疇では本もテーブルも突然光を放つだなんてことはありえなかっただろう。彼女が存在を信じず、トキヤに依頼を持ち込むきっかけとなった【怪異】が今まさに、目の前で起こったようなものだ。心を乱すには充分な出来事だろう。

 反面、意外にもフウカは冷静だった。――否、それはおそらく正しい表現ではない。彼女が落ち着いたふうに見えるのは、驚きや呆れから一時、現実と幻想の間に迷い込んでいることに依る。あるいは、もうしばらくしたら取り乱した様子を見せるかもしれなかった。


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