魔術師たちの昏き憧憬 #20
「それで、今のは結局なんだったの?」
ややあってまともに口がきけるだけの落ち着きを取り戻すと、レイカはとたんに目の前で起こった現象に懐疑的な態度をとり始めた。トキヤはそれをある種の「強がり」と感じたが、ここで言い返すような言葉はない。レイカの反応はある程度予想の範疇であった。
魔術による現象を目の当たりにし、それが超常的な力によるものだと説明された時、人間の反応は大まかに分けて二通りである。「信じる」か「信じようとしない」かだ。
レイカは後者だろう。今回の場合、魔術自体が派手な結果を生むものではなかった。納得せざるを得ない結果が出ているなら別だが、この程度の魔術であれば、たとえ現象を説明するすべをもたなくとも認めないと開き直ってしまうのは簡単だ。
やはり結果を示す必要がある。
トキヤはレイカに対する答えを保留し、床や壁面に重点を置き、丹念に室内を調べ続けた。
結果――。
「――見つけた。ここです」
壁に埋め込まれている書架を軽く押したり引いたりして調べていると、そのうちのひとつに"反応"があった。
中身が飛び出してしまわぬよう、慎重に全体を抱えるようにし、足を大きく動かして引っ張る。するとさながら大きな扉のように書架が"開いた"。それなりに力が要る作業である。体全体を使って隠された扉を開くトキヤの背後で、姉妹が息を呑む気配がした。
「嘘。こんなふうに開くなんて。全然気づかなかった」
「おそらく、気付いていてもどうしようもなかったでしょうね。コレを見てください」
人が入り込めるほど開いた書架の裏側を見てみると、開閉部分を固定し、動かなくするための巨大な留め金のようなものが取り付けられている。それを動かすためには相応の動力を要するように思われるが、肝心の「うごかすため」の装置がどこにも見当たらない。つまり、この機構を外側から動かすことは、常識的な手段では「不可能」なのだ。
「さっきの音は、この留め金が外れた時の音だとでも言うの?」
「これほど大きくて頑丈そうな代物ですからね。相応の音がすると思いますが、どうでしょうか」
「その、魔法で……? 手も触れていないのにこれを動かしたって……?」
「そういうふうに"仕込まれて"いたのです。ボクは魔法を発動させたに過ぎません」
「信じられないわ。だいたい、誰がそんなことを……」
「このようなことをしてまで"何か"を隠す必要があった。そういう人物は今回のケースの場合、一人しか思い当たりません」
「…………まさか」
「そう、あなたがたのお祖父様、ショウダイ・マミヤ氏です」
トキヤは最後まで考え込んでいたことのうち、ひとつに決着をつけた。
間違いなく、ショウダイ・マミヤは魔術との関り合いを持っている。あるいは、彼自身が魔術師であるという可能性もある。少なくとも、この難解かつ回りくどい仕掛けをこの隠し扉に施したのはショウダイであるはずだった。
扉の裏側の機構は作りこそ頑丈であるが、さほど複雑な構造はしておらず、取り付け方も丁寧ではあるものの、職人技とは言いがたい。そして何より劣化がほとんど見られないのだ。
(この本も、"装丁だけが"いやに真新しい。おそらく元々紙束をまとめただけの資料集のようなものに、わざわざ装丁を施したんだろう)
今やすっかり光を失った本。内容の紙はいかにも古めかしく黄ばんでいたが、表紙は妙に真新しく綺麗だった。それもまた違和感のひとつだったのだ。山羊革は上部で時間が経つごとに味を増していくと言われている代物だが、経年によってまったく特徴が変わらないというわけではない。
「このお屋敷は、元々マミヤ氏のものではなかったようですね。おそらく、この隠し扉自体は建てた人間の趣向で最初から存在したものなのでしょう。ただ、このような仕掛けを施したのはマミヤ氏で間違いありません。彼はこの隠し扉が"思わぬ人物"に発見されぬよう、保険をかけたのです」
「あなたにそんなふうに思わせる根拠は?」
「コレを見てください」
トキヤは件の本を手に取ると、書き込みがされているページを開き、姉妹に見せた。
「『――月は強き光を受けてこそ輝く。忘れるな』、か」
「これ、間違いない。おじいちゃんの、字。わたし、覚えてる…… です」
本を受け取って睥睨しているレイカの肩口からひょいと顔を出したフウカが、書き込みを見るなりそう証言した。
トキヤもフウカと同じ意見だった。トキヤが目にしたショウダイの字といえば、地図の走り書きのみであるが、字の跳ね方に似たようなクセを認めていたのである。
「あなたは、コレを見てこの本に光を当てていたの?」
「はい、そのとおりです。その最後のヒントは、あなたがたなくしては発見できなかったものです」
「つまり、祖父は私達だけに伝わるよう、このメッセージを残した?」
「少なくとも、ボクはあなたがたの話を聞いていなかったら、この仕掛を見つけるのに相当な時間を要していたことでしょう。この書架に詰まっている本を残らずひっくり返す勢いで調べなければなりませんからね。……状況的に見て、件の侵入者にはそれほどの時間をかける余裕はなかったことでしょう。だからこそむやみな探索による発見を免れ、こうしてボクたちの手によって暴くことができた」
「私達が居たからこそ、か。……でも、それはあなたも同じことだわ」
「ボクが、ですか?」
自分のことなどすっかり頭から抜け落ちていたトキヤは、そこでふっと熱が冷めたような感覚を味わった。
「だってそうでしょう? もしも私たちがあなたがやったように、小さな頃の思い出をヒントにこの本を調べたとする。祖父の書き置きを見つけたとする。……だとしても、今みたいなことが、"貴方がやったことと同じこと"ができるとは到底思えないわ」
「それは……」
続けて考えもしていなかったことを指摘され、初めてトキヤが意図せず言葉を詰まらせた。
「魔法だかなんだか知らないけれど、とにかくあなたはこの不可思議な仕掛けに造詣があるのよね? だからこそこの扉を見つけることができたんだわ。私たちにはそんなもの、ないもの」
たとえヒントを見つけられても、それを生かせなかれば意味が無い。
今までトキヤが見てきて判断したとおり、アカギリ姉妹にはまったく魔術に対する知識がない。そんな人間に魔術による仕掛けを解かせるというのは、博打が過ぎようというものだ。
(言われてみれば確かに妙だ。魔術による隠蔽は秘匿性こそ高いが、今回のケースではただ隠すだけでは意味が無い。なぜマミヤ氏はそんなリスクを―― 考える暇がなかっただけか?)
腑に落ちない。ショウダイは明らかにそれなりの時間をかけ、隠し扉の隠蔽を行っている。
留め金を取り付け、本を装丁しなおし、テーブルの彫り込みに魔法陣を仕込む。それだけの作業をわざわざやってのけた。咄嗟の仕事ではない。
(魔術による隠蔽を暴かせる前提だったとすれば、話は大分違ってくる。……マミヤ氏はほんとうに"レイカさんたちに秘密を暴かせるつもりだった"のだろうか。その前提さえ疑いだしたら―― クソっ)
魔術の知識をもつあまり、それが「不自然なこと」であることを忘れていた自分に苛立つ。思わず吐き出したため息は、乱暴なものだった。
「どうやら、ボクたちは相当な"奇跡"を起こしてしまったようですね」
トキヤはこんがらがった思考を放棄するかのごとく、そう呟いた。
ショウダイという人間の情報を持っていたアカギリ姉妹と、魔術に対する造詣を持っていたトキヤ。彼らが一同に介したからこそ、見つけることが出来た秘密だ。ショウダイがトキヤというイレギュラーさえも想定していたというなら、それこそ"魔法めいた"話である。
「このめぐり合わせも魔法のうちなのかしら?」
「わかりません。ですが、こうしてボクが秘密の一片を暴き出すことが出来たことについて、すべてが偶然であったとは思えません」
「どうかしら。私にはわからないわ。もうなにがなんだかさっぱりよ」
「ボクもいろんなことがいっぺんにわからなくなってしまいました」
「私、今日でいろんなことがわかってきたような気がしていたのだけれど、今まで見えていないものが多すぎたのね。……でもまあ、偶然でも魔法でも、ひとつの結果は出たわ」
レイカはそう言って、隠し扉の向こう側を指差す。
まったくの暗闇に閉ざされたデット・スペースには、かすかに地下へと伸びるはしごの姿が認められた。どうやら地下室が存在するようである。
「ねえ、探偵さん。私たち今、『五里霧中』という感じだけれど。あの奥にいくらか霧を晴らすすべはあるのかしら」
「せめて五里が一里か二里くらいになってくれればよいのですが。――少なくとも、いまだかつてない情報が眠っていることは確かです。マミヤ氏が本当のところどういうつもりであったにしろ、必死に隠していたわけですからね」
「ここでしゃべっていても仕方がないわ。とにかく、ここまで来たら調べてみましょう。時間もそれほど残ってはいないわ」
時計を確認すれば、すでに十七時に差し掛かっている。もう一時間もここに居いることは出来ない。
トキヤはレイカの提案に首を縦に振った。
「そうしましょう。……まずはボクが明かりを持って先行します。危険がなければお呼びしますので、くれぐれも慎重に行動してください。いいですね?」
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