魔術師たちの昏き憧憬 #16


「お二人とも、よろしいですか?」

「何かしら」


 室内でぼうっと過ごしていた二人の視線が、トキヤに集まる。

 ふと「これでよいものか」というような雑念が脳裏をよぎるが、トキヤはそれを振り払う。

 おそらく、状況は最善のものではない。トキヤの一連の判断には間違いも含まれているであろう。

 それでも自身の最善は尽くさなくてはならない。間違ったからといって、考えることを放棄するのは最悪の手である。


「まだ推測の段階ですが、この部屋で起こった【怪異】の正体がわかりました」

「――嘘!?」


 レイカの口から、悲鳴のような声が漏れる。

 思わず出てきた言葉なのだろうが、「嘘」はないだろう。苦笑を湛え、トキヤは続ける。


「レイカさんは初めから【怪異】などとは思っても居なかったようですが、調査の結果、改めてこの部屋にあなたがた以外の人為が働いている恐れがあると判断しました」

「私たちや祖父のほかに、この屋敷に入り込んだ人間が居ると?」

「ええ、そのようです」

「それが誰かは?」

「まだわかりません。特定に至るような証拠が残されていませんので。……ただ、侵入者について、ある程度推察することが出来ます。まず――」



 侵入者は明確な目的を持っており、それなりに慎重な人物であるということ。

 侵入者の目的はあくまでも書斎にあり、屋敷の他の場所には近寄りもしていない。屋敷は掃除が行き届いておらず、足跡などの証拠が極めて残りやすい環境にあった。

 姉妹の足跡と思われるものは屋敷内で散見されたが、それ以外は何も見つかっていない。エントランスや書斎へ至る廊下はある程度清潔に保たれているし、姉妹が何度も行き来をしているので、別種の足跡が残っているかどうかを見分けるのは至難の業だ。

 以上のことから、侵入者が足を踏み入れた可能性がある箇所は、エントランスから書斎に絞られる。それ以外の場所に一切の証拠が残っていないことから、明確に書斎に用事があったと考えられるだろう。

 書斎には何かを探しているような形跡が随所に見られた。しかも、彼らの目的のものは常識的なところを探して見つかるものではないらしい。ソファやテーブルを動かし、わざわざじゅうたんをまくりあげてまでも探さなければいけないもののようである。



「それらの行為を証拠をなるべく残さずに行っていたのには、もうひとつ理由があります」

「それは?」

「あなたがたに勘付かれないようにするためですよ。侵入者とて無用なトラブルは起こしたくなかった、ということです」

「私たちに? ――ということは、相手は私たちがこの屋敷に出入りしていることに気付いていたというの!?」

「隠す必要さえなければ、必要以上に慎重に行動する必要はありませんからね」


 今の段階では憶測でしかないが、おそらく先に屋敷に入ったのは姉妹の方だろう。そのため、侵入者側は慎重な行動を余儀なくされたのだ。


「侵入者側にとっては、フウカさんの記憶力と観察力は完全に想定外だったことでしょう。普通、多少物を動かしたところで、きちんと元の位置に戻しさえすれば気づかれることはありません」

「相手は私たちのことに気がついていたけれど、自分たちも同じように気づかれる可能性は考えていなかったのね。……でも、そうよ。わからないことがあるわ」

「なんでしょうか」

「肝心なことよ。その"誰か"がどうやってこの屋敷に出入りしているのか。鍵は私が持っているし、それ以外の人間が鍵を持っている可能性は、さっきあなたが自分で否定したでしょう?」

「そうですね。……でも、お忘れではないですか?」

「何を?」

「鍵があなたの持っているそれひとつきりであったはずがありません。……マミヤ氏が"自分が使うために持っていた鍵"があったはずなんです」

「祖父の、鍵?」

「ええ、そうです。遺体が発見された時、マミヤ氏は「身分の証明に繋がるもの」を何ひとつ所持していなかったとのことですが、"家の鍵"はどうだったのでしょうか。市警の検分であの鍵が見つかっていたとしたら、捜査には進展があったはずです。なにしろ特注品ですから」

「鍵は見つからなかった?」

「そう考えるのがいいでしょう。市警は無能ではありません。組織力をもってすれば、職人を探しだすことくらい容易だ」

「つまりあなたはこう言いたいの……? 祖父は殺され、持っていたはずの鍵を奪われたのだ、と」

「今のところ、そう考えなくては、この屋敷で起こったことを証明できません」

「――――ッ」


 レイカが、フウカが息を呑む。

 それはレイカに最初に鍵を見せられ、ショウダイが亡くなった時の状況を聞かされた時から、トキヤのなかにあった仮説であった。今でこそ「ひとつきりであったはずがない」と言い切ったが、話を聞いた段階ではショウダイが自分の死期を悟り、自分専用に持っていたものをレイカに送った可能性が残されていた。

 しかし、実際に屋敷を訪れた結果、エントランス以外から内部へ侵入する手立てがなく、鉄の扉が専用の鍵以外で開けられるものではないということが確認され、書斎では何者かの行動の痕跡が見つかった。

 書斎の異変が鍵の所持者であるレイカたちの仕業ではないのなら、少なくとも鍵はもうひとつ存在するということになる。そうでなければ、屋敷の中の痕跡を証明することが出来ない。


 ならその"もうひとつの鍵"はなぜ侵入者の手に渡ったのか。考えうる顛末には限りがある。


「……誰かが、私たち以外の誰かがこの部屋を荒らしていて…… そいつが祖父の仇……?」

「もしくはその関係者でしょう。その鍵がいくつも複製されていたとは考えにくいですし」


 レイカの端正なつくりの顔に、怒りと困惑、緊張感の混じった表情が生まれていた。

 ある意味、今の状況はレイカが待ち望んだものだ。屋敷への侵入者とショウダイの死がおぼろげながら繋がりを見せたのである。ここで尻尾をつかむことが出来れば、ショウダイの不幸の真実を浮き彫りにできるかもしれない。だが、楽観できる状況でもない。彼女はそれに気付いたのだ。


「もしかしなくても、私たちは今、かなり危ない橋を渡っているのではなくて?」

「まさしく。あなたがたの話を取りまとめた上できちんと準備をして、ボク一人でここの調査に訪れることが理想でした。……ですが、今回はあらゆる意味で"時間がない"」


 迅速に純度の高い情報を得るためには、現場を知っている人間の五感を利用するほかはなかった。

 話を聞いただけではどうしても情報に「にごり」が生じる。実際、フウカをこの場所に連れて来ていなければ、得られなかった情報は多い。今のところリスクに見合った収穫はあったと言えるだろう。


「いつ市警がここにたどりつくかわかったものではないし、その"誰か"がこの書斎に隠されている"何か"を先に見つけてしまえば、私たちが真実を知る機会が永久に失われるかもしれない、と言うのでしょう?」

「ええ、そうです。侵入者はその"何か"のために行動を起こした可能性が高いですからね。それに、あなたがたの行動は監視されている可能性が高い。ボクが雇われたことが知られれば、彼ないし彼女らの行動に変化があることでしょう」

「それじゃあやっぱり、昼間のアレは……」

「ああ、あの四人組は―― おそらく今回のこととなんの関わりもない、と思われます」


 歯切れ悪く答え、トキヤは頬を掻いた。


「どうして? タイミングのことを考えれば、あなたに相談されることを嫌って――」

「ボクとの接触を阻むために行動を起こしたというのであれば、それはおそらくありえないことです。時間が惜しいので仔細は省きますが、あの四人組が今回の一件と関わりがあるとした場合、行動のタイミングが明らかに不自然だ」

「私もずいぶんと勉強して質の良い脳味噌あたまを備えるようになったと自負していたけど、元が違うとこんなにも思考のスピードに差異が出るものなのね?」

「申し訳ありません。説明の義務は果たしますよ、必ずね。……ですが、今は依頼が達成できるかできないかの瀬戸際なのです。ご容赦いただけませんか」

「失敗する恐れを考慮しているの?」

「普段はなるべく考えないようにしているのですが、今回に至っては仕方がありません。ボクは今から全力を持ってこの部屋の謎を探りだすことにしますが、そのまえにお二人には約束してほしいことがあります」

「聞くだけ聞こうかしら」

「万が一ボクが時間までにこの部屋の謎を探りきれなかった場合、以降はこの件に関わらずに、しばらくは実家の庇護下で目立った行動を控えるようにしてください」

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