魔術師たちの昏き憧憬 #15


「その暖炉が気になるの?」


 暖炉を見ながら唸り始めたトキヤに、レイカが声をかけてきた。


「ええ。この暖炉はイミテーションですが、何かを燃やしたような形跡が見られるので」

「私もその辺りを調べてみたけど、燃え残った紙の切れ端みたいなものしか見つからなかったわよ」

「紙の切れ端……?」


 トキヤの眼の色が変わる。場合によっては、重要な手がかりになるかもしれない。


「その紙片は今どこに?」

「あ、ごめんなさい。掃除はしてないとは言ったけど、特に重要なものだと思わなかったから捨ててしまったわ。まずかったかしら」


 レイカの答えに大きな落胆がトキヤを支配するが、努めて表情に出さずに努め、


「それは残念です。重要なものだとは思わなかったということですが、何も特徴はありませんでしたか?」

「そうねえ。少しだけインクの染みがついていたくらいかしら。特に何かが書かれていたというわけでもなかったわ。本当に紙の切れ端という感じだったし」

「紙はここにあるものと同一のものでしたか」

「詳しく見ていないから断言できないけど、たぶんそれと同じものだったように思うわ」


 部屋の奥に鎮座している、執務机に近づく。

 机の上にはインク瓶と羽根ペン。何枚かの紙が無造作に放られている。


(ここで何かを執筆していたような形跡はあるが……)


 ショウダイの行動がこの部屋の中だけで完結していたのだと仮定した場合、彼が自分で作成した何らかの書面を暖炉で焼き捨てた、という推測が成り立つ。


(問題はその内容と、なぜそんなことをしなければならなかったか、だ)


 わざわざそのような行動をとる以上、そこに理由はあったはずだ。

 天井を仰いで思考を巡らせるトキヤであったが、どうにも空回りをしている感触が拭えない。


(現状ではまだ手がかりが少ない。これではまだ明確な結論が出せそうにないな)


 疑問や憶測は尽きないが、現段階のトキヤの手札では、これ以上ショウダイの謎に迫ることは出来そうにない。もどかしい気持ちをどうにか撫で付け、トキヤは自身の手帳に簡潔なメモを残した。

 トキヤの手帳には、こういった思考や情報の断片がいくつも記されている。真実に至る情報が順序良く手に入るわけではない。あとで考えを取りまとめるには、こうして文面にしておくのが便利なのだ。


(――次に調べるべきは本命の"怪異"についてか)


 この書斎にて起こっている異変について。

 手帳を閉じて思考を切り替え、ショウダイではない"何か"の痕跡を探るための目線を走らせる。

 室内は荒れているというふうではない。姉妹もさほど派手に部屋をひっくり返したりはしていないようで、見渡しただけでは目立つ痕跡はどこにも見当たらない。


「フウカさん。少々訊ねたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」

「……は、はい」


 部屋の外からフウカが答える。その微妙な距離感に複雑な心境を抱きつつ、トキヤは続けた。


「あなたはこの部屋でモノが動いたことについて仔細に記憶しているということですが、具体的にどのような動きがあったのかを教えていただけますか」

「あー、えっと」


 ためらいを見せつつ、部屋へと入ってくるフウカ。

 見守る姉の横を過ぎ、トキヤを大きく避けて迂回し―― 執務机のそばまでやってきた。


「この机の上のものが、主に。あとはソファとテーブルの位置が少しだけズレてたり、じゅうたんの端がほんのちょっぴりまくれ上がってたりとか。毎回違うけど、だいたいそんな感じ。……です」

「他に動いたものはありませんか? 例えば本棚の本の位置が変わっているだとか」

「なかったと思う。……ます。目に見える範囲は、それだけ」


 上ずった声ででそう締めると、フウカは役目を終えたとばかりに黙りこんだ。


(――大した観察眼と記憶力だな)


 全面的にフウカの記憶力を信用していたわけではないトキヤは、内心で舌を巻いた。思わぬ細かな異変についてまで話が聞けたのは、大変な収穫だ。


「そうですね。……この抽斗ひきだしの中を検めたことはありますか?」

「はい。何度かある。……です」


 トキヤはフウカの目に見えるように、ゆっくりと執務机についている抽斗を引いた。中には雑多に小物がつめ込まれている。


「よく見てください。この中身はどうですか。あなたが最後に見た時と、何かが変わっていますか?」


 フウカは目を見開き、少し驚いているようだった。


「……中身、入ってるものは同じだけど、位置とか…… めちゃくちゃになってる」

「結構です。ありがとうございました」


 トキヤは笑みを浮かべて礼を言うと、静かに抽斗を閉めた。


(……これではっきりしたな。この部屋に起こった小さな変化は、決して超常的な現象によるものじゃない。大方の予想通り、この書斎には"何者か"が入り込んでいる。そして――)


 何かを探している。それもおそらく、ショウダイ・マミヤによって"隠された何か"を。


(厄介だな。相手はそれなりに慎重で、たぶんレイカさんたちでは知り得なかった情報を持っている。――これはあらゆる意味で、時間をかけてはいられないな)


 トキヤの中で、緊張感が一気に高まっていた。最初から楽観していたわけではないが、憶測が確信に変わった事で、考えるべきことや注意するべきことが増えたと言えるだろう。


(レイカさんたちの行動は監視されているのかもしれない。ここに至るまでの道中ではそのような気配はなかったが、絶対に有り得ないとは言い切れない。……ボクがここに入りこんだことが"刺激"になる恐れは十分にある。――となると)


 今日、残された時間のみでこの部屋に隠された"何か"を暴き立てるのが理想だ。

 部屋の異変が続いているということは、侵入者もまたレイカたちのように、まだ何も見つけ出せては居ないはず。派手な動きはないことから、相手は姉妹がこの屋敷を訪れていることには気がついているようだが、自分の痕跡もまた察知されてしまっていることには気がついていないと考えても良いだろう。フウカが優れた記憶力と観察力を有していることは、相手にとって予想し得ないことだ。

 情報を多く持っている分、自分に利がある。相手がそう思い込んでいるからこそ保たれている危ういバランスを、トキヤの存在が崩しかねない。姉妹が探偵を雇ったのだと何かのきっかけで知られてしまえば、相手の動きに変化が起こる。専門家は警戒されて当然だ。


(正直、すぐにでも市警にこの場所のことを話してしまったほうがいいんだろう―― が、そうすると、彼女たちが知りたがっている真実を追うことが難しくなる。さて、どうするべきか)


 しばらく考えこんだあと、室内の時計に目を走らせる。

 午後十六時過ぎ。タイムリミットは着実に迫りつつあった。


(引受けると言って実際ここまで来た以上、そもそも退くなどという選択肢はない、か。やれやれ、こういう状況に陥ることは予想できたはずなのに)


 様子見をしているような時間はなかったとはいえ、いざという状況で思い悩む自分に自嘲めいた気分が湧き上がってくる。

 立ち止まっているヒマはない。元の状況が元の状況だけに、リスクは承知の上だった。そう自らの背中を叩き、顔を上げる。どれだけ悩もうとも状況は変わらない。姉妹からの依頼を達成するための手がかりは、もはやこの部屋に纏わる謎くらいしか残されていないのだ。


(今まで得てきたいとぐちをつなげる事ができるのは、おそらくここに隠された情報だけだ。意地でも探りだすとして、残る問題は――)


 手持ち無沙汰なのか、室内をうろついては書架の中身やサイドボードの上の小物などを手にとって調べているレイカと、姉の行動をぼうっと眺めているフウカ。

 二人にそれほど緊張感はない。さきほどの出来事を忘れたわけではないのだろうが、そうそう何度も自分の身に危険が振りかかるなどとは思ってもみないのだろう。実際、実家である【赤桐】の庇護下では滅多なことは起こらない。

 二人だけで行動するなと釘は刺したが、仮にトキヤが真実を探りだすことに成功したとき、姉妹―― 特にレイカが無茶な行動に移る恐れがあるというのが、トキヤの危惧であった。

 今更姉妹だけを帰して、自分だけで調べに来るような余裕はない。情報の共有は不可避であるし、依頼者である姉妹に何かを問われた時、トキヤには説明をする義務がある。

 事実を多少捻じ曲げるか、それとも自分の考えをありのまま伝えるか。

 レイカとフウカの印象を鑑み、しばしの逡巡のあと、トキヤは思い切って口を開いた。

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