魔術師たちの昏き憧憬 #14


「どうしてそう判断したのか、教えてもらえるかしら?」


 トキヤの行動の意味をさっぱり理解していないらしいレイカがそう訊ねると、トキヤはややもったいぶった調子で顎を撫ぜ、「まず」と言葉を短く切った。


「ボクがなぜ同居人の有無を気にしていたかですが」

「それくらいは察しがつくわよ。私たち以外に、祖父が"自分の意志で"鍵を渡した、あるいはスペアのキーか何かを手に入れる機会があった人物がいるかもしれない。そう疑った」

「その通りです。ですが、その線はナシですね。マミヤ氏は独り暮らしだったはずです」

「そろそろ理由を聞かせてもらえる?」

「わかりました。――この屋敷の主要な施設は、リビング、キッチン、ダイニング、ベッドルーム、バスルーム。それから書斎です。その他の部屋は物置や空き部屋になっています。書斎はまだ詳しく調べていないので除外しますが、そのいずれにも強い生活感というものが見られない」

「つまり、どういうこと?」

「あなたたちは、この屋敷が汚いとは思いませんか?」

「…………?」


 トキヤの質問の意図が組めず、顔を見合わせる姉妹。


「どこもかしこも汚れているんです。掃除が全く行き届いていない。埃と、外から入り込んでくる煤や灰でドロドロだ」

「確かにそうね。エントランスはそうでもないけれど、どこの部屋も細かいところは結構汚れているように感じるわ。……でも、それが何か?」

「人が暮らしていれば、室内は汚れるものです。けれど、この屋敷の汚れは生活によって生じたものが少ない。放置の末、自然に汚れた箇所が圧倒的に多いのです」

「――あ」

「おそらく、マミヤ氏はそれぞれの施設が最低限機能する程度にしか掃除を行っていなかったのでしょうね。例えばキッチンなら水回りや食器、ベッドルームならベッドやクロゼットの周囲。リビングやダイニングに関しては、まったく使った形跡が見られませんでした。机の上も椅子の上も、埃や煤が溜まっている」

「それが同居人の居ない根拠になるの?」

「このような生活環境で暮らしてゆけたということは、気を遣う相手が居なかったからではないかと思われます。確実に、と言い切れるものではありませんが、まず同居人の存在はなかったと見てよいでしょう」

「さっきから何をやっているのかと思ったら、そんなことを考えていたのね。それで、進展は?」

「もちろんありましたよ。少なくとも現在、屋敷は痕跡が残りやすい状態になっています。例えばあなたたちやボクの歩き回った痕跡はこうしてくっきりと残っていますし、これを残らず消そうと思えば時間もかかるうえ、なにより"不自然に綺麗な箇所"が残ってしまう」

「つまり、屋敷には侵入者らしい侵入者はなかったとわかった?」

「まだそうとは言い切れませんが、少なくともボクたちのように、屋敷を満遍なく歩いて調べるようなことはしていないのでしょう」


 証拠が残らないようになんらかの工夫をしているのか、あるいは明確な目的を持ち、余計な証拠を残さないように行動しているのか。

 いずれにしろ書斎を除く屋敷の全域には、手がかりらしい手がかりは見られなかった。


「それでは、本命の書斎を見てみましょうか。たしか、東側の部屋でしたよね?」

「ええ、こっちよ。ついてきて」


 レイカについてエントランスの廊下を東側へと進む。一番奥側の扉が件の書斎ということであった。

 見た目には何も異常はない。扉も他の部屋と比べて変わったところはないが、取っ手は明らかに手垢で汚れている。これは他の部屋の扉には見られなかった特徴である。


 扉を開くと、真っ先に飛び込んできたのは紙の匂いだった。

 それほど広い部屋ではない。トキヤの事務所よりはやや広めといった程度の室内の壁面に、書架がずらりと並び立っている。その光景はトキヤにとっては慣れ親しんだものだが、じぶんの所有している書物よりも遥かに多量の書物がそこには存在していた。

 みっちりと書架に詰まった本。収まりきらなかったと思しき一部の本は、机や床に積み上げられている。

 いったいどうすればこのような数を個人が所有できるのだろう。昨今は西洋から発達した印刷技術が伝わってきたとはいえ、紙を精製するための原料が不足している現状のため、書物は庶民が数冊単位で購入できるほど安くはない。蔵書のほとんどが叔父から譲り受けたものであるトキヤは、かかった金額を想像して目眩をおぼえた。


「壮観ですね」

「すごいでしょう? 実家に居た頃からたくさんの書物を所有しているとは思っていたけど、まさかこれほどにまでなってるなんて思いもしなかったわ」

「マミヤ氏は、オカルト関連の資料を収集するのが趣味の一部だったと仰ってましたね」

「見てみた感じ、その関連のものは多いわよ。そればっかりというわけじゃないけれど」

「この部屋の物を外に持ちだしたり、掃除をしたことは?」

「まだないわ」

「なるほど、それは好都合です」


 廊下から姉妹が見守る中、トキヤは書斎の中心まで歩いてゆき、そこから周辺を見回してみる。


(……明らかに他の部屋とは違う。生活感があるな)


 先に調べるまでもなく、トキヤはショウダイの生活の中心がこの書斎であることを見抜いていた。

 他の施設は利用こそされているものの、まるで「必要だから使っている」と言わんばかりに、住人の愛着が一切感じられなかった。

 しかし、この書斎はそれらの様子とは全く違っている。ショウダイ・マミヤという人間の人格を、ようやくうかがい知る事が出来そうだ。


(机の上にブランデーの瓶と、砂糖のポット。使用したまま片付けるのを忘れていたと思われる陶器のカップ。内側の汚れはコーヒー―― いや、紅茶のものか。確かキッチンの棚に茶葉が残っていたはず。……この部屋で頻繁に飲食も行っていたのかもしれないな)


 視線を革張りのソファと、アンティーク調のローテーブルへと移す。


(二人がけのソファ。畳んでおいてあるブランケット。クッションには多量の白髪交じりの毛髪が付着している。この部屋で眠ることも多かったみたいだな。ちょうど頭の位置にはオイルランプ。テーブルの下には何冊かの本が積み上げられたまま。夜に寝転がりながら本を読む習慣でもあったのだろうか)


 どうやら、ショウダイ・マミヤという男は大変な濫読家であったらしい。

 レイカの言ったとおり、地方伝承やら土着の宗教についての本などから、黒魔術についての本。他には史書や料理についての本、蒸気機関についての本、言語学についての本―― とにかくありとあらゆるジャンルの本が、綺麗に整頓されて書架に収まっている。


(子供向けの絵本まであるな。……民間伝承をアレンジメントした内容のようだ。資料として役に立たないこともないのだろうけど、こんなものまで揃えていったい何をしていたのだろう)


 念の為に呪術や黒魔術など、危ういジャンルの本を手に取りパラパラとめくっているが、どれも確信には迫っておらず、本物の魔術師ではない著者の憶測を交え、洗練されていない古代の形式的な儀式などについてしか書かれていないようなものばかりだ。これを読んだところで真なる魔術に目覚めることはまずないだろう。

 ひとまずあからさまな魔術の痕跡が見つからず安心といったところだが、ショウダイがこの部屋にこもりきりになってまでやっていた"何か"は相変わらず見当もつかなかった。


(レイカさんはマミヤ氏が研究の真似事をしていたと言っていたが――)


 一口に研究と言っても、形は様々だ。

 新たな発見にすべてを賭ける者があれば、単純に自身の知識欲を満たすことを研究と呼ぶ者もいる。


(アカギリの家を出たマミヤ氏には、資金的な後ろ盾はなかったはずだ。なのにあのような鉄の扉を設置し、蔵書量はむしろ増えているという。……どうも異常だな。ただの濫読家というわけではあるまい)


 一見して、書斎内からショウダイの本の嗜好は見えてこない。多岐にわたるジャンルの本をただ濫読して智識を溜め込んでいただけのようにも思えるが、どうにも引っかかる。


(彼が具体的にどのような研究をしていたのかを知ることが出来れば、彼が何に巻き込まれたのかを知る手がかりになるかもしれない。何か手がかりは――)


 部屋の中心で視線を巡らせる。

 ――と、書架でうめつくされた壁の一角に、ふと目が止まった。


(ん、暖炉があるのか。珍しいな)


 別のことに気を取られていた所為か、妙に存在感のあるそれに、その時まで気づかなかった。

 暖炉は蒸気機関が発達し出す以前の時代では主流の暖房装置だった。本場王国では未だに使われているところもあるという話を聞くが、殊シュトにおいては見かけること自体稀である。スロートの開け閉めが自在にできるとはいえ、シュトの現環境では部屋の汚れの一員となり得るからだ。昨今では手軽な蒸気暖房装置が開発されたため、需要をそちらに取られたというのもある。

 物珍しさに近寄ってみれば、トキヤにはその暖炉が単なる装飾目的の模造品であることがすぐにわかった。

 面積が小さく、火除のための金網がない。もしもこのまま使用したら、周囲に火が移ってしまう危険性がある。おそらくは元々この家を建てたものの趣味だったのだろう。


 しかし、妙な点がある。薪を燃やすようにはできていない小さな炉の中に、わずかに何かを燃やしたような痕跡が残っているのだ。


(まさか、イミテーションとは知らずに使おうとした? ……いや、どうもそうじゃないな)


 内部を覗き込んでみる。暖炉は当然実用性のない装飾目的のものであるので、燃焼ガスの通り道が存在しない。凹凸のない炉の"天井"には、黒い煤が多量に付着していた。


(どういうつもりかは知らないが、どうやら実際にここで何かを燃やしていたみたいだ。それも一度や二度ではないな。使うたびにきちんと掃除はしていたようだが、ここまでは意識が向かなかったか)


 燃やしていたのは薪ではない、と思う。

 暖を取るためなどではなく、何かを"燃やすため"にそのスペースを利用していたと考えるのが妥当だろう。


(一体何を燃やしていた? そもそも、なぜ外で燃やさなかった。こんな偽物の暖炉では、下手をすれば周囲に火が移る。そんなリスクを冒してまで、何故――)


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