魔術師たちの昏き憧憬 #10


 相変わらずトキヤの顔は見ようともしないが、姉に促されるでもなく、フウカがようやく自身の意思で発言した。たったそれきりの返答であるにも拘らず、艶やかに伸ばされた黒髪から覗く耳は真っ赤に染まっている。俯いているせいで表情は伺えないが、声や肩の震えから相当無理をしていることが伺えた。トキヤは責苦を強いているわけでもないのに、何かとんでもなく悪いことをしているような気分にさせられていた。この手の内向的な性格の人間の扱いに、慣れていないのである。


「レイカさんが気付けず、フウカさんは気づくことが出来た。それはなぜですか?」

「…………」

「この子、とんでもなく記憶力が良いのよ」


 一言で臨界点に達したらしいフウカを庇い、レイカが応えた。


「記憶力が?」

「ええ。昔からそうなの。一度見たものは忘れたくても忘れられないらしくて、ほんの少し見ただけの風景をそのまま絵に描けるくらい」

「それは…… すごいですね」


 完全記憶能力。あるいは瞬間記憶能力。トキヤの脳裏によぎったのは、いくらか前に何かの書籍で目にした言葉だった。

 今から遡ること百年前、とある男が国教の経典をまるごと記憶し、内容を逆から諳んじてみせるという離れ業を成してみせたという記録が残っている。フウカもまた、その超人的な能力を有しているのかもしれない。


「つまり、部屋のモノが勝手に動いているという現象は、フウカさんの記憶の食い違いを根拠としているわけですね」

「今更疑うのかしら?」

「いいえ、そういうわけではありませんよ。そもそも、モノが勝手に動いた証拠をもってこいと言われても無理が――」


「わたし、描けます!」


 突然狭い事務所に響いた、調子の外れた大声。

 驚きに思わず身を固くするトキヤとレイカ。声の発信源であるフウカは、加減を間違えたとばかりに口元を手で覆ってあわあわとしている。


「ぁ、あの、すみません。えっと……」

「アンタ、ちょっと緊張のしすぎよ」


 驚きから開放されたレイカに背中を擦られ、フウカは余裕のない呼吸を繰り返した。


「ごめんなさい。この子、この通り重度の人見知りでね。……今日は特別ひどいけれど、勘弁していただける?」

「ボクは気にしていませんが。……大丈夫なんでしょうか」

「無理に急かしたりしなきゃ平気よ。……こうなるから全部わたしが話したかったんだけど、そこまで言及されちゃ仕方ないわね」

「面目ありません。なんだか追い詰めたようなかたちになってしまって」

「――さ、少し落ち着いた?」

「う、うん」


 レイカはこの国の女性にしては気が強いが、フウカに対しては随分と甘い。

 いくらか呼吸の調子が戻ったフウカは、姉のベストの裾を掴んだまま、おそるおそるといった調子で視線を上げる。


 ちらり、ちらりと。

 挙動不審な視線がトキヤの顔を盗み見るように動く。悪いことをして咎められている子供のような仕草だ。

 トキヤはどのような表情を選ぶべきか迷いつつ、助けを乞うようにレイカを見る。奇妙な構図だった。


 レイカはトキヤの意図を察して嘆息すると、


「焦んなくてもいいから、話して。描けるってどういうこと?」

「わたし、最後に見た部屋と、その前の部屋、憶えてるから描ける。……です」

「…………つまり、「モノが動く前の部屋」と「モノが動いた後の部屋」の光景を実際に描き分けることが出来る、ということでしょうか、もしくは実際に、その説明ができると?」


 フウカの途切れがちな言葉を噛み砕いたトキヤが聞き返すと、フウカは黙って頷いた。

 もし本当にそんなことが出来るのであれば、明確な証拠には成り得ないが、視覚的な手がかりにはなるだろう。変化の程度も耳で聞くよりはわかりやすい。


「それは大変興味深い申し出なのですが、あいにくと画材のたぐいはここにはありませんし、時間もかかるのではありませんか?」


 しかし、この場で求めるものとしてはいささか取り回しが悪いのも事実だ。手間を考えれば、現場の様子を知るには別の手段をとったほうが良いだろう。むしろトキヤにとっては、フウカのような性格の持ち主が、自身の記憶に自信を持っているという態度が見れたことが収穫だった。


「ウチに帰れば画材はあるけど…… フウカ、あんたそれ、どのくらいで描き上げられそうなの?」

「は、半日くらい。たぶん……」

「半日、か。明日に仕切りなおしになるわね。それだとちょっと、都合が悪いわ」

「……やはり、あまり時間をかけてはいられないようですね」


 状況は逼迫している。

 レイカは時間について言及していなかったが、今まで出てきた情報を取りまとめれば、おのずと猶予がないことがわかってしまう。


「ええ。祖父は所在が確認できるようなものは何一つ持ってはいなかったし、私たちが口を噤んでいるから、家族や会社の人間も祖父の屋敷の場所は知らない。けれど市警もそう無能じゃないわ。いずれ祖父の屋敷の場所を調べあげて、調査に入るでしょう?」

「そうなれば自分たちでお祖父様の足跡をたどることができなくなる、と?」

「そういうこと。なんとかそれまでには、あの屋敷に纏わる諸々の謎を解き明かしてしまいたいのよ」

「それが本命なんですね。ボクの予想は間違ってはいなかった」

「……お見通し、か。流石にシュト一の探偵の甥にして弟子というだけのことはあるわね」

「叔父はなんと言っていましたか?」

「『こういうことに関しては私よりも遥かに鼻が利く男です』って紹介されたわ」

「なるほど。ずいぶんと買い被られたものだ」


 叔父の皮肉に少々の苛立ちを覚えつつ、トキヤは今回の依頼についての結論を口にすることにした。


「話を本筋に戻しましょう。最後の確認事項です。――レイカさん。正直にボクが感じたことを述べさせていただきますと、今回のボクに対する依頼内容が単なる「怪異の調査と解明」だとは思えなくなりました。あなたがボクに求めているのは、本当にそれだけなんでしょうか」


 鋭い言葉を突きつけてみれば、レイカはすまし顔で肩を竦めてみせる。もはや答えはそこまで出かかっているというのに。どうやら建前を完全に崩してみせろということらしい。


「なら、私が何を求めているっていうの?」

「あなたは極めて現実的な思考の持ち主であるとお見受けしました。先ほど確認したとおり、この件に関して第三者の関与をほぼ確信しており、超常的な力に対しては懐疑的。屋敷で起こっている怪異が超常現象ではなく、"何者か"による人為的なものである可能性を捨て切ってはいない」

「それで?」

「屋敷での出来事が人の手によるものであると仮定しましょう。その場合、"何者か"はあなたがたしか出入りできないはずの屋敷に出入りしていることになる。なぜ屋敷に立ち入ることができるのかはこの際棚に上げておきますが、このタイミングでお祖父様の家に入り込むような人間が、お祖父様が亡くなられた件に関与していないとは思えません」


 そもそも、持ち込まれた依頼の概要が曖昧すぎたのである。おかげでトキヤは、依頼者本人から"なんのために怪異の正体を暴きたいのか"を聞き出す手間を取らされた。


「あなたはモノが勝手に動く現象そのものには興味が無い。……あなたにとって重要なのは、それがあなたの探している"手がかり"に繋がる道標となるか否かです。違いますか?」


 書斎の怪異の原因となった人間が居たとすれば、それは"生ける証拠"だ。

 その人物そのものはもちろん、関係者が屋敷に出入りしているとなれば、なんらかの手がかりが残されている可能性が浮上する。それこそが今回の依頼の肝であり、レイカがトキヤに本当に探し出してほしいモノなのだろう。


 大した行動力と胆力だ。自分たちに危害が及ぶか否か―― 実際さきほど妙な連中に襲われたにも関わらず―― ではなく、書斎に働きかけているかもしれない"何者かの意志"が、自分にとって有益である可能性を模索しようというのである。

 視線を注ぐ。逸らされる心配はなかった。なぜなら、この茶番をしかけてきたのは、ほかならぬレイカ自身であるからだ。トキヤには確信があった。彼は試されたのだ。


 ここまでの話を取りまとめるだけの能力さえあれば、今回の一件が「単なる怪異の調査と解明」では済まないことは十分理解できるはずだ。依頼者であるレイカが何を知りたがっているのか、その本質を見抜いているか否か。そしてそこに敢えて踏み入っていくかどうかが評価の分かれ目であろうか。

 レイカはしばらくトキヤの目を見据えたあと、大げさに肩を竦めた。


「…………降参よ。これでも【赤桐】の跡取りとして、腹芸を鍛えてきたつもりだったのだけれどね」

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