魔術師たちの昏き憧憬 #8
「それではお伺いします。あなた方の言う怪異とは、どの場所でどのような時間に、どのような状況で起こったのか。知る限り詳しく話していただけませんか」
「知る限り詳しく、ね。……わかったわ。場所は私の祖父の家の書斎。私たちが知らない間にモノが勝手に動いているのよ。ただそれだけの話なんだけれど、家の中には私たち以外は入れないはず。つまり、密室の状態なワケ」
「なるほど。あなた方が動かしたのでなければ、他の誰も動かしようがない。確かに妙な話ですが」
「私たちが祖父の家に滞在しているのは、ここ一週間毎日午後三時から五時半くらいまでの間だけ。それ以外は無人になるから、音や気配があっても気づくことは出来ないわ。……だから、詳しい時間帯はわからないの」
「それはまた―― ずいぶんと特殊な状況のようですね。お祖父様の家に滞在している間に、何か気づかれたことは?」
「……ないわね。念の為に言っておくけれど、私とフウカは一緒に行動していたし、どちらかが黙ってモノを動かしたという事実はないわよ?」
「承知しています。……失礼ですが、家主であるお祖父様はその間何を?」
「…………亡くなったわ。二週間前にね。だから家には居ないの。本当に、私たちだけ。今でもあの家に出入りしているのは。そのはずなんだけれど」
「申し訳ございません。無神経でした」
「いいのよ。伝えていなかったのは私たちのほうだしね」
(つまり、彼女たちは家主のいなくなった家に出入りしているわけか)
レイカの話がすべて本当ならば、書斎の中の状況は半日以上誰にもわからなかった、ということになる。現状ではその間に「何者か」が侵入した可能性も捨てきれないが、姉妹が屋敷がきちんと施錠されていたと証言している以上、確かにこの一件は「怪異」足りえると言えるだろう。……なんらかの見落としさえなければ、であるが。
(……空白の時間が多い。聞く限り人の手が入るような状況じゃないが、条件によっては何か方法があったのかもしれない。現場も見てみたいが、まずは――)
踏み込むべきか、踏み込まざるべきか。
逡巡の後、トキヤは前者を選択した。彼女たちが自分から話すことを待つというのは、卑怯な気がした。
「参考までにお訊きしますが、お二人がお祖父様―― 家主のいなくなったお屋敷に出入りしているのは何故なのですか? しかも、ここ一週間毎日とおっしゃっていましたよね?」
引き出せる情報は引き出しておく。
レイカは個人や家に関する情報をあまり話したくはないようだが、依頼人であり証人でもある二人の行動や、その理由については知っておきたかった。
「やっぱり気になるわよねえ。単なる遺品整理のため―― じゃないことはもうわかってるんでしょう?」
「ええ。そもそもあなたがわざわざ"祖父の家の書斎"と話していた時点で、少々の違和感は感じていました」
レイカは自称・跡取り娘である。つまり、アカギリ一族のなかでもっとも重要な
そのレイカとレイカの実の祖父であるという人物が"別々の場所で暮らしているかのように語られていた"時点で、トキヤはこの一件を取り巻く環境がある程度複雑であるということを察していた。
「改めて確認するまでもありませんが、あなた方とお祖父様は別居なさっていた。間違いありませんね?」
「そのとおりよ」
肩を竦め、やれやれとかぶりを振るレイカ。
「身内の醜聞だからあまり聞かせたくはなかったのだけど、今回のこととは無関係、とは言い切れないから正直に話すわ。――祖父は今から十年ほど前に、アカギリの家を出たのよ。それからは消息不明。連絡のひとつもなかった。……つい二週間ほど前まではね」
「二週間ほど前、といいますと、お祖父様が亡くなられた時期と合致しますが……?」
「そう。ちょうどそのころに届いたのよ。私宛に手紙と、この二つのモノが」
指し示されたのは、さきほどレイカが取り出した懐中時計と鍵だった。
「見せていただいても?」
「どうぞ」
レイカの許可を得、念の為に手袋をはめてから、二つの品に手を伸ばす。
まずは鍵を手にとった。材質はごくありふれた真鍮製。大きさは手のひらに収まるほどで、その形状はいまだかつて目にしたことがないようなものだった。
ブレード部分が一般的な鍵とは一線を画している。突起や彫り込みのかわりに、奇妙な形状のブレード付きのハンドル状機構が先端にくっついているだけというもの。形だけ見れば実にシンプルな作りだが、この鍵で開く扉というものがまったく想像できない。
「それが祖父の家の鍵よ」
「これが、ですか?」
「私も実際使ってみるまでは半信半疑だったけれど、間違いないわ。実際にそれを使って出入りしているんだもの」
「ずいぶんと変わった形状ですよね。その…… 扉のほうはいったいどのような?」
「そうねえ。今までに見たことがないような分厚い金属製の扉、としか。それを差し込んでぐるぐる回すと、中の機構だかが動いて開くようになるのよ。仕組みはよくわからない」
(分厚い金属の扉、か)
レイカの話に耳を傾けながら、トキヤは手元の奇妙な鍵に目を落とす。
鍵は防犯用に存在するものだ。近年では空き巣のたぐいも増えているし、中産階級以上の人間が鍵を特注のものにするケースも少なくはない。しかし、今目の前にしているものは明らかに異質だ。
レイカの祖父の屋敷の鍵だというそれは、単なる「扉の鍵」ではなく、「扉を開ける機構を動かすための鍵」であるらしい。その事実を知らなければ鍵職人の手による複製もままならないだろうし、強引なピッキングも不可能であろう。
(ここまでのものを用意してまで盗人を警戒していた、か……?)
盗人どころか自分以外の存在を拒むかのような、分厚い金属製の扉。そんなものまで用意して、いったい"何を守ろうとしていた"のか。
(……怪異の解明だけで済む話なんだろうか、これは。雲行きが怪しくなってきたぞ)
胸中に暗雲が立ち込める。しかし、トキヤに寄せられた依頼はあくまでも「モノが勝手に動く怪異の調査」であって、「依頼人の祖父の秘密を暴くこと」ではない。少なくとも"今は"それだけのはずだ。あれこれと質問をしたい衝動を抑えこみ、次の品を手にとった。
「……これは、所謂銀時計ですね」
手にとった懐中時計。隅々まで眺めたトキヤが感嘆の息を漏らす。
紛うかたなき高級品だ。時計を持っているのが当たり前、という風潮のこの地ににおいても、限られた有産階級の人間が所持を許されるモノのひとつが銀時計である。
最近身の回りの時計が壊れてばかりのトキヤは必要以上に慎重に手を這わすと、ハンターケースを指で弾いて文字盤を露出させる。
――果たして施された意匠は、奇妙なものだった。
トキヤは美術品に造詣があるわけではない。しかしその意匠が、緻密でありながらも奇妙なものであるということは理解できた。少なくとも一般的な美的センスに訴えるものではないだろう。
一部むき出しとなった機構。構成している歯車は噛み合っているのが不思議なほど捻くれた不自然な形をしており、文字盤にはには見慣れた数字の他に無数の意味の通らない文様なものが刻み込まれていて、どこか儀式的な雰囲気を漂わせていた。
さきほど目の当たりにしたトキトウ工房の品々に通ずるものがあるが、これは純粋な装飾などではない。
眼の奥を焦がすかのような不快感。本能的に感じ取った「危うさ」に息を呑む。
トキヤはその感覚を知っていた。出来れば二度と味わいたくなかったものである。
(これは、間違いない。……【魔術】に関する代物だ)
魔術。神秘、あるいは奇跡。
この世において「あり得べからざること」を引き起こす、唯一無二の手段にして"理不尽"の塊。
尋常には隠され続けてきたこの魔術が世の中に干渉して生まれるのが、本物の「怪異」であると言えるだろう。
魔術というタネがありながら、尋常ではそれが証明できない―― つまり"タネなし"の怪異。トキヤが恐れているのは、このタネなしの怪異が身に降りかかることであった。
確かに世の中におけるタネなしの怪異には、"それをそれとして認識できる"人間しか対抗することができない。しかし、タネを明かしたところでそれが伝わらなければ意味が無い。特にトキヤのように依頼人に対する説明責任がある商売に就いている者にとっては、その点が大問題に繋がるのである。
――叔父だ。
レイカは「あるすじ」としか語らなかったが、トキヤは確信を抱いた。
今回トキヤにこの仕事を回して寄越したのは、間違いなく叔父のスメラ・カンザキであろう、と。
(おそらく、叔父もこの銀時計を見たんだろう。……そしてボクにわざわざ仕事を押し付けた)
レイカ、フウカは名家の息女である。探偵などという商売とほぼ無縁だった彼女らが「探偵」という言葉のみから導き出す人物―― シュトにおいてその名を知らぬ人間のほうが少ないであろう【探偵卿】、スメラ・カンザキ。不自然ではない。
姉妹が最初にこの件を相談しに行ったのは、シュト一の探偵と名高いトキヤの叔父、スメラ・カンザキだった。そこで怪異の概要とそれに纏わる品々を見せられたスメラは、魔術の関与を疑い、自分よりもなお"深みに居る"甥に仕事を押し付けたのだ。
その判断は正しい―― と言わざるを得ないが。
実際に押し付けられる方としては堪ったものではない。こうして魔術に纏わると思われる品が出てきてしまった以上、今回の件に魔術が一切関係していないとは考えづらくなった。
後々の説明の文句に今から頭を悩ませながら、トキヤは話を進めることにした。
「この時計について、なにかご存知のことは?」
「何も。鍵もその時計も、私の元に届いて始めて見たものよ。以前に祖父が所持していたというような記憶もないわ。ただ―― 祖父にとってこの時計は重要なものだったんじゃないかしら」
一瞬考えこむようなしぐさを見せてから、レイカは続けた。
「さっきも言ったけれど、それらと一緒に手紙が届いたのよ。詳しく言えば、地図と一行だけの文句」
「一行だけ、ですか?」
「ええ、ひどいものでしょ? 十年間も会ってない孫娘に対して一言、しかも私達を気遣うでもない言葉が…… ごめんなさい。話が逸れたわね」
「いえ。それで、その内容というのは」
――あとのことは、くれぐれも頼む。
「あとのことは、くれぐれも……」
レイカが口にした一言に、トキヤは言葉を失った。
言葉自体が問題なのではない。これを記した本人―― レイカたちの祖父が、その言葉を記さなければいけない状況に"自らが置かれているということを知っていた"ということが問題なのだ。
(自分の死期を悟っていた、のか)
手紙とともに品々が送られてきたのが二週間前。件の人物が亡くなったのも二週間前。そしてこの、自らが最期を迎えることを覚悟したかのような文言。偶然の一致とは思えない。
(……これはいろいろな意味で、一筋縄ではいかなそうだ。依頼の内容についても依頼者に揺さぶりをかける必要があるな)
今はまだ独立したものでしかない情報の断片。ただ「知らぬ間にモノが動くだけの怪異」の調査のはずが、背景事情を知るたびに、その全容を包む闇が体積を増していく。
いったいどのような
ほんのわずかな好奇心と未知への畏怖が、トキヤの心を打ち震わせた。
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