魔術師たちの昏き憧憬 #7
怪異。それはすなはち、「証明することの出来ない現象」のことである。
技術革新によって、それまで超常のものと捉えられてきた現象の多くが「現実に起こりうるもの」と証明されてきたが、それでも常識ではあり得べからざる現象が起こることがある。
ヒトはそういった人智が及ばぬものを、総じて「怪異」だとか「怪異現象」と呼ぶのだ。
「怪異、というのは……?」
恐る恐る、トキヤはレイカに訊ねた。
トキヤの知る限り、俗に怪異と呼ばれるものには二通りがある。
タネがあるか、ないか。
たとえどんな単純な
怪異の正体がこちらのケースであった場合、対応の仕方は単純だ。
なんらかの手段を用い、現象に説明をつけてしまえば良い。誰もが納得する形で現象が「現実に起こり得るもの」だと証明すれば、それでカタがつく。――だが。
「それがね、ほんとうに大したことじゃないのだけれど、私たちじゃどうしても説明がつけられなくて」
トキヤは知っている。
この世には現在の常識では"絶対に証明できない理不尽な現象"が存在しているということを。
そちらのケースであった場合、怪異の解明は極めて困難なものとなる。よしんばトキヤが真実にたどり着くことが出来たとしても、それを"常識の世界"で生きる人々に説明する手立てがない。
常識的な見識の持ち主では、どのような手段をぶつけても証明できない現象。それが"タネなし"の怪異というものだ。
――現実的な手段で片付く問題ならいいが。
ほとんど祈るような気持ちで、トキヤは依頼人の言葉を待った。
内容を話すとは言ったものの、レイカは続きをなかなか口にしようとしない。その視線は時折妹のほうに意味ありげに逸れるが、肝心のフウカはさきほどからずっとうつむき加減でいるため、姉のしぐさがまったく目に入っていないようだった。
(……なんだか妙な感じだ)
トキヤは黙って姉妹の動向を見守りながら、そこに少々の違和感をおぼえた。
姉妹のこれまでのやりとりから察するに、トキヤのもとに話を持ち込む流れを作ったのはレイカなのだろう。しかし、彼女はどうも依頼内容に対してのスタンスが曖昧だ。
自ら「怪異の調査を依頼したい」と言っておきながら、言葉の節々に自分たちが体験した現象に対して懐疑的な態度が見受けられた。――まるでその現象自体、"現実に起こったこと"ではないと思っているかのような。
(これはどうも、厄介なことになりそうだ)
依頼人の手前、滅多な態度は取れない。
落ち着かない気持ちを押さえつけ、トキヤは辛抱強く待った。やがて――。
「……密室でモノが勝手に動くのよ。私たちはなんにもしていないのに」
トキヤに対して説明するというよりは、小さく吐き捨てるかのように。レイカがそう言った。
「つまり、
「ポルター、ガイスト?」
「ご存知ありませんでしたか、失礼。ボクの故郷の言葉です。簡単に言ってしまえば、人間が手を触れていないのに、モノが移動したり、大きな音が鳴ったりする怪異のことですね」
「えーと、それに近い、と思う。派手なことはないの。ただモノが微妙に移動しているだけ。音は鳴ったりしない。……もっとも、音が鳴ったとしても私たちには確かめようもないのだけど」
(……やはり、何か妙だ。要領を得ない)
ここはもっと踏み込むべきところだろう。このままでは拉致があかない。
そう判断したトキヤは上体を少し倒し、まっすぐレイカの双眸を見つめた。
「モノが動く怪異というのはわかりました。ですが、状況がいまいち不明瞭ですね。できればもっと詳しくお話を伺いたいのですが」
「……ハァ、やっぱりそうよね。話さないワケにはいかないか」
トキヤの視線から逃れるように上体を逸らしたレイカは、ベルトに固定されたポーチの中から、手探りで「何か」を取り出し、テーブルの上に置いた。
"それら"は懐中時計と、大きな鍵だった。
トキヤがそれに対して質問をぶつける前に、レイカは自分で取り出したばかりの品々を手で覆って隠すような仕草をした。
どのような
トキヤが動向をうかがおうと視線を動かすと、挑むようなレイカの視線とかち合った。
「訊かれたことには答えるつもりでいる。……けれどその前に、さっきの約束のことを確認させて」
これから話すことについて、どうやら個人的な事情以外のものが絡んでいるらしい。レイカは情報の扱いに慎重だ。それでも「そちらの態度次第で話す気はある」という姿勢を見せるあたり、「信用」というものをよく心得ているといえるだろう。
「了解しています。依頼人の秘密は守ります。特に、今回はご実家にも関わりがあることなのでしょう?」
「……気づいていたの?」
レイカの柳眉が僅かにひそめられる。トキヤは鷹揚に頷き、答えた。
「ええ。お二人の服装からして、一定以上の階級出身であることはわかりますし、それに――」
「アカギリの社号、か」
「貿易会社【赤桐】は有名ですからね。……あらゆる意味で」
「そう、ね……」
トキヤの脳裏に浮かんだのは、レイカの実家が営む貿易会社【赤桐】が数年前に引き起こした"海難事故"だった。【赤桐】はこの極東の産業革命の黎明期を支えた会社としても有名だが、その社号は近年起こった事故によっても、人々の記憶に強く刻みつけられている。
事故に対して思うことがあるのだろう。トキヤの含みのある言葉に、レイカは探偵事務所にやってきて初めて、混じりけのない感情を露わにした表情を浮かべた。だが、レイカは自分の心境を敢えて言葉にするつもりはないらしい。どうやらアカギリ一族に纏わる大事故の記録は、今回の件とはまったく無関係であるようだ。
「気づいていたのなら話が早いわね。……私はその【赤桐】宗家の長女。妙な言い草だけれど、世間的には"跡継ぎ娘"。そういう認識で間違ってないわ」
レイカの改まった告白に、トキヤはほうと感嘆したかのような溜息を漏らす。
「まさか直系のご息女だったとは。……驚きですね」
「そうかしら? 私の目にはちっとも驚いてなんかいないように見えるんだけど?」
実際、トキヤはそれほど驚いてはいなかった。
レイカの言葉遣いは名家のお嬢様然とはしていないが、その態度には揺るぎない矜持が透けて見える。さきほどから見え隠れしている女性には珍しい現実的な思考回路も、彼女が【女傑族】と渾名されるアカギリ一族の血を色濃く受け継いでいる証左のように思えた。
「驚いていますよ。……このような弱小探偵社にあなたのような未来の大物が依頼人としてやってくるだなんて、思ってもみませんでしたから」
「食えない男ね、あなた。……ま、いいわ。
堂に入った所作で前髪を払うと、艶やかに微笑む。
吸い込まれてしまいそうな魅力を発する微笑みは、彼女の武器なのだろう。表向きは余裕に見えるが、これは商談であって商談ではない。内心を繕うその態度には、レイカの揺らぎ、疑念―― 件の怪異に対する複雑な感情が垣間見える。
(……ただ話を聞き出すだけではダメそうだな。
茶を啜るフリをして、トキヤはさきほどから一言も発していない、もう一人の人物の様子を盗み見る。
フフカ・アカギリ。レイカの言葉を全面的に信用するならば、アカギリ宗家の次女。彼女はトキヤとレイカの話し合いに一切口出しをしようとしない。すべてを姉に委ねている。
(ボクの見立てが正しければ、むしろ今回の件のカギを握っているのはこの子のほうだ)
怪異の概要を聞き出すだけならば、レイカと話をすれば済む。
まだ迷いはあるようだが、彼女は他人と交渉したり等、話術には長けているはず。そのうえ曖昧な表現や遠回しな言い草は"本来好んでいない"と見える。長々と策を弄するよりは、一気に畳み掛けてしまう
そのレイカが、なぜ怪異に関して妙に歯切れ悪く、言葉を濁しているのか。それに関して、トキヤのなかには確信に至らずともある"推測"が成り立っていた。それが真実だとすれば、レイカに話を聞くだけにとどめてはならない、ということになる。――なんとしてもフウカ自身に話を聞かなければならない。
(……さて、どうしたものか。簡単には喋ってくれなさそうだ)
フウカはさきほどから、一度もトキヤと顔を合わせようとしない。出会った時の態度からも察せられたことだが、どうやら度を過ぎた人見知りのようだ。いきなり切り出してもマトモな会話は望めないだろう。
(仕方ない。……まずは彼女たちの言う怪異がどんなものか。それを知ることから始めよう)
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