魔術師たちの昏き憧憬 #6



「はーい、これで終わりっ、災難だったねえ。他に怪我はない?」

「ありがとう。もう大丈夫よ」


 どうにか騒ぎの大きくなり始めていた場を治め、帰宅。

 時刻はすでに十四時にさしかかろうとしている。姉妹の面倒を路上で"ハッタリを叫んだ女"に任せ、トキヤは体裁を整えると、茶の準備を始めた。


 ティーカップは三つ。そこに来客用に奮発して買い込んでおいた、少し高めの茶葉を用いた紅茶を注いでいく。本場王国の喫茶習慣に凝っていた叔父に仕込まれたトキヤの手際は、自分でも呆れてしまうほどに良い。叔父の元を去ってからも、習慣として身についているのだ。


「手当は終わったよ。道具はどこにおいておけばいーい?」

「ああ、その辺りの邪魔にならないようなところにおいておいてください。あとでボクが片付けますから」


 総髪を揺らしながらキッチン・スペースに顔を出した女―― ナナオ・キリュウ。機転を利かせてトキヤと姉妹の窮地を救ったこの女は、血縁上トキヤの従妹にあたる。

 女性にしては背が高く、切れ長の瞳と洗練された服装も相まって「先進的な知的女性」―― ちかごろはそういう「男性的な」性格を持ち合わせる女性が増えた―― のイメージが強いナナオだが、素の性格は活発で屈託がなく、敢えて悪いように言えば気安い女だ。

 無論、軽薄な女というわけではない。商売柄相手の懐に入り込むのが得意なだけであって、その本質はどのようなものであるかは、それなりに付き合いの長いトキヤでも計り知ることが出来ない。


 そのナナオはなにやらトキヤを面白いものでも見つめるかのような目つきで見やり、意地の悪い笑みをこぼす。トキヤはその表情を目に、自然とため息をこぼしていた。この従妹のことは嫌いではないが、苦手に思っていることは事実だ。このような表情を彼女がしている時は屈辱的な気分を味わうはめになると相場が決まっているのだ。


「いや、しかしビックリしたよ。ちょっと用事があって近くまで来たから寄って行こうとしたら、妙なことに巻き込まれてるんだもん」


 からかうような口調に、思わず視線を逸らす。

 それ、始まったぞ、と。


「あの時は助かりました。ボクにはああいう切り抜け方は思いもつかなかったもので」

「にーちゃんは事前にあれこれ動いて策を巡らせるくせに、想定外の事態には弱いよねー。あとツメも甘い」

「……面目ありません」


 経験という点では、ナナオに一日の長がある。それだけに言い返す言葉もない。

 トキヤは無能な男ではないが、未だ仕事に恵まれず経験不足が否めない。すでに自分の商売を持っているナナオに公私両面的に助けらることは少なくなく、それが余計にこの年下の従妹に頭が上がらない原因ともなっている。

 ヘタに言い訳をしようものならば傷口をほじくられるだけであることは明白なので、トキヤはそれ以上のエサを与えないように努めて淡白に振る舞うと、古くなって音がやかましい湯沸し器のスイッチをひっぱたいた。湯沸し器はピッ、ピと間の抜けた音とともに蒸気を吐き出すと、うんともすんとも言わなくなった。


「それで? あの子たちの話を聞くんだよね?」

「ええ、そのつもりですが……」

「にーちゃんへの仕事の依頼なんだよね。それじゃ、アタシは席を外しておいた方がいい?」


 好奇心の塊と言っても過言ではないナナオのことである。さきほど自分で助けた姉妹が持ち込んだ「面倒事」にも興味津々のようで、口では「席を外す」と言っていても、顔には「一緒に話を聞きたい」と書いてあった。


「ええ、そうしてください」


 トキヤはその言外の訴えを敢えて無視し、首を縦に振った。ナナオがここで得た「情報」をどうこうするとは思えないが、探偵には依頼人の秘密を守る義務がある。


 ――実のところそればかりが理由ではないのだが、ともかくトキヤは依頼の子細をナナオに聞かれることに抵抗があった。今回のところは物分りの良い従妹を演じてもらうことにする。


「――ちぇっ」

「ナナオ」

「わーかってるって。今日のところはこれで退散するよ!」


 最後にケチッ、と詰ると、ナナオは思い切り良くその場から出て行った。表情とはよそに、動作には一切の迷いがない。カップの数を見た時から自分が邪魔者であることは察していたのであろう。

 トキヤは微苦笑を湛えて従妹の背中を見送ったあと、喫茶店のお下がりで手に入れた古びたトレイにカップを三つ乗せ、応接スペースへと向かった。


「おまたせして申し訳ありません。こちら大したものではありませんが、体が温まるでしょう」


 書架に圧迫された事務所の隅。応接用のソファに身を寄せあって座る二人の少女の目の前に丁重にティーカップを置き、トキヤはゆっくりとした動作で向かい側の椅子に腰掛ける。

 姉妹が給された茶に手を付けるべきか否か迷っているようなそぶりを見せるので、自分でまず一口啜って見せながら「どうぞ」と促す。そこでようやくカップに手を伸ばした姉妹は、カップ越しに伝わってくるぬくもりにそれぞれほうっとため息を吐いた。


「――さっそくで申し訳ないのですが、さきほどのお話を詳しくお聞かせ願えないでしょうか」


 二人が人心地ついたと判断したトキヤは、おだやかな口調のまま、鋭く探るような言葉を投げかける。

 さきほどの話というのは、ここに至るまでに姉妹から聞き出した「依頼」についてに他ならない。どういう因果か、この姉妹はそもそもトキヤの元を訪れるためにやくざ者が多いこの地域を訪れたのだという。


 意を決したように頷き合うと、まず姉のほうが口を開いた。


「まずは軽く自己紹介をさせてもらうわね。――私はレイカ・アカギリ。こっちは妹のフウカよ」


 レイカ・アカギリと名乗った姉は、隣で黙りこくっている妹の肩に手を置いた。

 妹のフウカは何か言おうと口をモゴモゴとさせているが、それがなかなか音にならない。そんな妹の様子にレイカが小さくため息を吐いたことを見逃さなかったトキヤは、この場でどちらに話を振るべきかを瞬時に悟った。

 レイカに視線をしぼり、声のトーンを落として語りかける。


「レイカさん、フウカさんとお呼びしても?」

「構わないわ。……それで、依頼についてなのだけど。私達、あるすじから推薦を受けて、あなたにひとつ調査を頼みたくてここに来たの」


 茶を一口啜るレイカ。その所作の一つ一つをトキヤは観察する。

 さきほどは外套に隠れて見えなかったが、姉妹の服装は個性的であった。

 レイカはシャツにブラック・ベストと丈の短いパンツとブーツ。対するフウカはトキヤの故郷の民族衣装にも似た、ブラウスとボディス。丈の長いスカート。

 それぞれの好みが反映された服装は、シュトの一般的な階級―― 庶民にはそぐわない。

 仕事のために日中の外出を余儀なくされる彼らは、丈夫で汚れに強い服装を好む。そういった衣類は往々にして画一的なデザインをしているため、個性は発揮されにくいのだ。

 服の品質も上質で、所作も洗練されている。――となれば、それらが表すことはひとつ。彼女らは上流階級に位置する人間だ。

 そんな令嬢たちが新米の探偵であるトキヤに依頼、それも他人からの推薦であるという旨の発言に、トキヤは内心の動揺を隠すのに精一杯であった。


「調査、ですか。さきほどもそのようなことを仰られていましたね。内容を聞かせていただいても?」

「そのまえにひとつ確認しておきたいのだけど、いいかしら?」

「どうぞ」

「あなたが今回の依頼を受ける受けないに関わらず―― もしくは依頼の成否に拘らず、私の口から語られた内容を口外しない。……誓える?」

「無論です。依頼人の秘密を漏らすようでは探偵を名乗れません」


 その念の入れように、トキヤの動悸は強まるばかりだ。


「……いいわ。信じましょ。気を悪くしないでね。こう前置きでもしておかないと、今からしゃべること、自分でも馬鹿らしく思えてきてしまって」


 盛大に嘆息し、レイカは言う。


「単刀直入に言うわね。今回あなたに請け負って欲しいのは、【怪異の調査】なのよ」


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