第八話 真実
佐藤俊夫、またの名を大魔王クレアモンが病院の個室で頭を悩ませていると、ドアが大きく開け放たれた。
二人組の男が部屋に入ってくる。その姿を見てクレアモンは驚いた。
「お前達、なんでここにいるんだ?」
「なんでって、随分な言い方じゃないか」
温泉ですっかり身を清めたらしいオルフェが、上機嫌な顔で言った。
「昨日は大変だったんだぜ。なにしろアブサンドラが群馬県吹き飛ばしそうになっているし、そこのお嬢ちゃんはお前にくっついて全然離れない。流石に血塗れは不味いからと説得して、洗い流して着替えまではさせたけどよ。速攻で旦那のところに帰りたがる。いやもう、宥めようがなくてさ。結局こうなった。それで俺達は様子を見に来た。お前じゃないぞ、お嬢ちゃんのだぞ」
「それは申し訳ない。有り難う。でも、聞きたいのはそこじゃない」
「もっと前か。まあ、そうだよな」
オルフェは神様のほうを見ながら言った。
「元はと言えばこいつが悪いんだよ。こっちの世界に遊びに来たいもんだから、向こうの世界とこっちの世界に通路を作って、それを皆に黙っていたんだ。そして自分だけ、随分前からこっちの世界に遊びに来てたんだよ。しかも、都会じゃバレるから群馬県の山奥に作ったんだけどさ。それが温泉の庭に繋がってやんの。本当の山奥だと獣が出そうで嫌だったんだろうね。別に一瞬で好きなところにいけるのに。しかも、その時間が欲しいから唯一絶対神だったのに下請けの神様まで粗製乱造して。おかげで転生勇者が多くなり過ぎて、そこを旦那につけこまれるんだよ。ちゃんと仕事しろよな。もう必要ないからって、小うるさいエノキヅさんを転生させている場合じゃないだろ」
「うるさいなあ」
神様は不貞腐れたように言った。彼も温泉にゆっくりとつかったらしい。学生服が心なしかつやつやしていた。
「旅館の人に来たけどさ。幽霊旅館って噂されていたんだって? 恐らく、それは目立たないように夜中にやってきたこいつのせい。こいつがすべての元凶」
「申し訳ないとは思っているよ」
「そして、旦那がこの間俺に負けた時、その通路を使ってこっちに避難したわけ。自分で気がつかなかったの?」
「気がついたから記憶を封印した。なにしろ身体が回復するのに時間がかかりそうだったんでね。だいたい本調子まで戻ったところだ」
「そうかい。それは仕方ないな。こっちの世界だと下手に旦那が力を使ったら、群馬県じゃすまないからな。それに一旦、すべてを忘れて治療に専念したい気持ち、俺にはよく分かるわ。なにしろ、旦那が記憶を消してくれたお陰で、久し振りに楽しい人間生活を送ることができたからね。ミルンに後でこっぴどく怒られたけど。いまだに夫婦喧嘩で『あの時、貴方はすっかり私のことを忘れていた』って泣かれるのは、正直堪える」
「四十年以上も前の話を持ち出すなよ」
「はいはい。そんでもって、旦那のいない向こうの世界は今大変なことになっているんだよ。息子が魔獣化して大暴れの真っ最中。流石に今回は育っちゃって、娘さん勇者とマモの姉御が頑張っているけど、世界が崩壊しかけてる。いい加減、女と遊んでいないで帰って来いと言ってたぜ。マモの姉御、なんで旦那がこっちの世界にいるの知ってるんだろうね。ばれてるぜ、浮気」
「そうだったんですか、浮気だったんですか――」
その声に三人が仰天する中、静子が悲しそうな顔で上体を起こした。
「記憶が戻った時、そんなこともあるかもしれないと覚悟はしていました。でも、実際にそうなってみると、とても悲しいですね」
静子は笑いながら、静かに涙を流し始める。
オルフェは慌てた。急に彼の周囲だけ息苦しくなっている。
「待て、待て、クレアモン。今のは俺が悪かった。謝るから病院ごと吹き飛ばすのは勘弁してくれ」
「そんなことするものか。女将さんが危ないだろう?」
クレアモン=俊夫がそう言ったので、静子は驚いた顔をした。俊夫は彼女に微笑む。
「何を驚いているんですか。約束しましたよね。何も言わずにいなくなったりしないって。俺はまだここにいるんですよ」
「ああ、そう、ですよね。すっかり知らない別の人になってしまったと思っていました」
「そんなことはありません。記憶はすっかり戻りましたが、女将さんのことは全然忘れていません。約束だって覚えています」
「良かった……」
静子は俊夫の腰のところに頭を伏せる。
「でしたら、もう大丈夫です。佐藤さん、むこうが大変なんでしょう。奥さんが困っているのなら、急いで帰らないといけませんね」
そう顔を上げずに静子は言い切る。しかし、言葉の最後のほうは湿っていた。
三人の男達の表情が一様にほほ笑む。
まず、俊夫が静子の頭を撫でながら言った。
「女将さん――いや、今は静子さんと呼ばせて下さい。本当に楽しかった。久し振りに人の役に立つことの喜びを思い出した。それはすべて静子さんが教えてくれたことです。貴方のためならば、佐藤俊夫はなんだってできそうな気がした。いまだってそうです。静子さんのところにまた戻ってくるためだったら、世界をひとつ救ってやることなんか、簡単に出来る」
静子は頭を上げた。
「戻ってくるんですか?」
「もちろんです。約束します。俺が約束を破ったことなんか、一度だってありますか」
「ない、です」
「じゃあ、それまで少し待っていて下さい」
静子は穏やかに笑う俊夫を見つめる。その瞳からは先程までとは意味の違う涙が零れた。
「はい。待ちます。いつまででも待ちますから、必ず戻って下さい」
「分かりました」
「きっと、ですよ」
「きっと、です」
見つめあう二人。そこでオルフェは咳をする。
「それで女将さん。ちょっとご相談があるのですがね」
*
異世界への通路を歩きながら、オルフェが言った。
「いい子だったなあ。クレアモン、お前残ってもいいんだぜ」
「何どこかで聞いたようなことを言っているんだ、オルフェ」
「あたぼうよ。元は筋金入りのアニオタだ。しかし、流石に『魔法はできないけど、きっと覚えます。だから連れて行って』と言わずに、ぐっと堪えて最後まで笑顔で手を振っていたじゃないか。お前のことが本当に好きなんだよ。好きだからこそ、引き留めたくなかったんだよ。それに、足手まといになるのが分かっているから、一緒に来るって言わなかったんだよ。健気じゃないか」
「分かってる」
「いいや、全然分っていないね。俺なら帰らない。むこうに残る」
「お前、その台詞、ミルンの前で言えるのか」
「馬鹿言え、無理に決まってるだろ。結婚したらツンデレがツンドラだよ。危なくて女と話も出来ない」
「そう言いながら、子供がいるんだろう?」
「まあな。今度、二人目が生まれる」
「なんだよ。相変わらず仲がいいじゃないか」
「うちはそれほどでもない。キュモンとファランのところなんか五人目だ」
「ああ、あそこは仕方がないな。今はどっちが奥さんなんだっけ」
「忘れるなよ。キュモンだよ。もっとも、お前さんが性別を入れ替えたりするから、たまに俺も間違えて仕方がない」
「ああ、それは悪かった」
「で、どうするんだよ。本当にまた戻るのか? マモの姉御が黙って許すと思っているのか?」
「それを考えると頭が痛いよ。でも、約束したから必ず戻る」
そしてクレアモンは真面目な顔で言った。
「まだ一番大切なことを言っていない」
オルフェは頭を掻きながら言った。
「相変わらず旦那は律儀だなあ。夫婦喧嘩で世界を崩壊させるなよ」
「ああ、分ってる」
「本当に分かっているのかねえ」
「それにしても、お前が神様と知り合いだとは知らなかった」
「あれ、旦那には一言も言ってなかったっけ」
「聞いてない」
「ああ、マモの姉御に言って、言った気になっていたんだな。こいつは小学校の頃に仲の良かった同級生だよ。だから昔のことを何でも知ってる。弱みもね」
「だからお前、ずっとタメ口だったのか」
「そういうこと。それにしても神様、さっきから黙って何考えているんだよ」
話を振られた神様は真面目な顔で言った。
「女将さんに最後の台詞を言うのを忘れていた」
「「何をだよ」」
オルフェとクレアモンが驚いて見つめる中、神様は真面目な顔で言った。
「いえ、彼はとんでもないものを盗みました。それは貴方の――」
最後のほうは、オルフェの張り手で途切れる。
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