第七話 第三の襲撃 六

「姉さん、ちょっとおかしい。俺の後ろに隠れてくれないか」

 中庭のところで榊原が急にそんなことを言い出した。

「どうしたの」

「いや、どうにも野犬の匂いがして仕方がない」

 そう言うと榊原は懐から短刀を取り出した。

「信ちゃん、それは一体!」

「姉さん、黙っててくれないかな。それにこれは佐藤さんが承知のことだ。多分、次に来るとしたら手加減が出来ない相手だから、俺が行くまではなんとか姉さんを守ってくれとな」

「佐藤さんが――」

「おっと、佐藤さんを悪く思っちゃいけないよ。彼はそう言う時、もの凄く苦しそうな顔をしていた。はらわたを口から出しそうなぐらいに辛そうな顔をしていた。それでも兄貴には兄貴にしか出来ない役目があったんだと思う。それで俺に頼ったという寸法だ。へへ、こいつは悪くない。でかい借りがあれば、新婚でも大手を振って姉さんに会いに行けるというもんだ」

 冗談を言いながらも、榊原は周囲を鋭い目で睥睨する。

「信ちゃん」

「姉さん、あくまでも佐藤さんが来るまでの場つなぎだよ。彼が来たら、どんな相手でも平気だ」

「信ちゃん教えて。だから私が手伝うと言った時、佐藤さんはあんなに見たこともないような困った顔をしたの?」

「当然だ。佐藤さんは姉さん大好きで、姉さん命なんだよ。姉さんも男心が分かっていないねえ。これは先行きが思いやられるよ」

 そう言いながら、榊原は短刀の鞘を抜き放った。

 庭の街灯の灯りを反射して、刀身が鋭く輝く。

「だからお似合いなんだけどさ。お互い、相手のことしか考えていない」

 榊原は正面に短刀を構える。

「まったくお互いに素直になれってんだよ。横から見ている俺の方が赤面するわ」

 そして彼は大きく息を吸い込んだ。


 同時に表門からばらばらと黒影が入り込んでくる。

 その数、十。統率のとれた動き。素人ではない。

 手に何かを持っている。榊原は目を細めた。

 特殊警棒。

「なんだそりゃ」

 榊原は周囲を警戒しながらも頭を働かせる。

 相手は玄人の集団。それは明らかだ。

 それなのに警棒。武力として半端すぎる。

 殺すつもりはない。痛めつけることが目的だ。

 そして、一つの結論に行きつき、愕然とした。 

「お前ら! 姉さん目当てか!」

 榊原が吠える。

 男達は黙ったままで、榊原と静子を囲む。

 このまま押し潰すつもりだ。

 自分の身を守ることは出来ても、静子まで手が回らない。

 まさか、ここまで本気で来るとは俊夫も読んでいないだろう。

 榊原の背中を汗が伝う。

 男達は全員、目出し帽で顔を隠している。

 その目は一様に、野犬どころか獣の目をしていた。

「くっ、こいつはいきなり最悪の事態かよ」

 榊原が短刀を僅かに持ち上げる。


 そこに分銅のついた投げ縄が絡みついた。


 引かれる。耐えられない。榊原の態勢は崩れて、前に泳ぐ。

 獣が獲物に殺到する。

 間に合わない。

「姉さん!」

 棒立ちになる静子に殺到する影。

 ひときわ大きな影が静子に覆いかぶさる。

 そして、その影は静子を地面に押し倒すと、その上に覆いかぶさった。


 俊夫である。


 数に対応し切れないと見るや、彼は静子の身の安全の確保に全力を尽くしたのだ。

 特殊警棒が俊夫の頭に雪崩落ちる。

 肉を打つ鈍い音が連なる。

 血しぶきが舞う。

 それが繰り返される。

 俊夫は動かない。

 いや、動けない。

 動けばその隙を突かれる。

 肉の壁となり静子を守る。

 肉を打つ音が骨を打つ音に変わる。

 いけない、もう既にいけない。

 ――兄貴が死ぬ!

 榊原は手を取られて動けない。

 静子が俊夫の下で、目を見開きながら涙を流して何かを叫んでいる。

 言葉にならない叫び。

 俊夫は動かない。

 動けるはずがない。

 これで意識が、いや命があったら正真正銘の化物だ。


 そこで男達は潮のように引く。


 榊原は縄から抜け出して二人に近づいた。

 静子は俊夫の血に塗れている。目がどこか別のところを見ていた。

 榊原は俊夫の巨体の下から静子を引きずり出す。

 そのまま安全なところに引っ張っていこうとしたが、想定外の力で振り切られた。

 静子が俊夫の傍に駆け寄る。

 血の海に沈んだ彼の頭を抱きかかえる。

 そして叫んだ。


「俊夫さん、お願い! 私を一人にしないで、何も言わずにどこかに行かないで!」


 その途端、俊夫は光り始めた。

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