第七話 第三の襲撃 一

 後藤の御曹司の一件は、思った以上に素早く決着した。

 その日のうちに、佐々木が後藤家に「ご挨拶」に伺ったという。その内容は伝わっていないが、即座に当主が血相を変えて風鈴館に駆けつけた。

 女将は不在であったために大番頭が対応したが、当主は汗だくになりながら、

「いや、まったく女将さんには申し訳ないことをした」

 と平謝りだったという。それで事の真相は一気に旅館内を駆け巡った。

「女将さんが狙われていたのを、佐藤さんが身を挺して守ったんだってよ」

「しかも、そのことには一切触れずに、大番頭さんの謹慎命令に潔く従って」

「むしろ、真相を知った女将さんが、血相変えて佐藤さんのところに飛び込んだって」

「いやもう、佐藤さんは漢だねえ」

 この一件以降、俊夫の株はさらに上がった。

 当の俊夫は浴衣姿の静子を旅館まで送り届けると、自宅謹慎を解かれて今まで通り勤務していた。その普段通りの姿がまた周囲を感心させる。

 加えて、街の中でも乱暴者で有名だった榊原が、

「兄貴はいますかね」

 と言って、始終やってくるようになった。榊原はそれまでの悪評とは打って変わって、平身低頭、世のため人のために力を尽くす男に変わっていた。そのことが更に旅館の従業員の評判となる。

「とうとう上州の暴れ馬まで乗りこなしちまったよ」

「いよいよ怖いものなしだねえ」

「佐々木の爺さんと榊原の兄ちゃんが惚れ込む器量は、並みじゃないね」

 彼の評価は上がる一方であり、従業員達の彼を見る目つきには尊敬すら籠り始めた。


 一名を除いて。


 *


 厨門の携帯電話が鳴る。

「はいはい、厨門でございますが」

(あの、昨日渋谷でお会いした霧原でございます)

「ああ、昨日は有り難うございました。変なお願いをしてすみませんでしたね」

(いえ、こちらこそ有り難うございます。それでその件ですけれども――)

「はい。どうでしたか」

(彼のお尻に痣はありませんでした)

「あらまあ」

(結局、彼の素性は分からずじまいで)

「いえいえ、そうですか。ふうん。痣はありませんでしたか」

(あ、関係あるかどうか分かりませんが、痣はありました。左の肩のところに蝶のような)

「あらまあ、でもお尻にないんじゃあ違いますね」

(そうですか……残念です)

「まあそう気を落とさず」

(お気持ち、とても嬉しいです。それでは失礼いたします)

「はい、有り難うございました」 

 電話が切れる。

 そこで厨門は溜息をついた。 


「これはいよいよ群馬県が消えるかぁ」


 電話の声を聞く限り、霧原は彼と親密さを増したように思われる。彼は妙に貞操観念が古いから、手を出したわけではなさそうだが、それよりも心のつながりのほうが厄介だ。

 二重存在でも物理的に別物扱いならば問題はないのだろうか?

 となると、ますます向こうの彼は力を持ったまま飛ばされた状態だ。記憶がないということは自主的にそうしたのだろう。だったら、防御魔法と治癒魔法を予約起動している。

 それが強制起動されるほどの事態になったら、対処を間違えれば暴走する。

「これは面白いことになってきたわね。しばらく群馬県から目を離すことができないわ」

 厨門がそう言うと、食卓の傍にある椅子に座っていた息子が、

「ぐんま、けーん」

 と楽しそうに言った。

 その向こうでは娘が、お父さん襲撃用のピコピコハンマーを素振りしていた。彼女は慎重派なので、納得がいったら使うつもりだろう。果たして何カ月先になることやら。

 夫は日曜日にもかかわらず休日出勤だ。そのかわりに昨日は子供の面倒をみてもらって、ゆっくり渋谷を散策してきたのだが、まさかこんな話に遭遇するとは。

「まったくお父さんにはこまったものね」

 息子の頭を撫でると、厨門は晩御飯の下拵えに取り掛かる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る