第六話 第二の襲撃 四

「おっと、それ以上は近づかないでくれよ。お前の大事な女将さんの顔に傷がつく」

 男の声に俊夫は立ち止まった。

「お前さんの相手は別に用意した。いいか、分っているよな。抵抗なんかするんじゃないぞ」

 暗闇からライトの下に、十五人の男達の姿が現れる。彼らは鉄パイプ、バット、木刀など、思い思いの得物を手にしていた。

「最初に一つ言っておく」

 俊夫が冷たい声で言った。

「女将さんにかすり傷一つでもつけてみろ。お前たちは明日の日の出を見ることが出来なくなる。これは脅しではなく、単なる事実の説明だ」

 重く、そして冷酷な声。

「それから、次に忠告だ。素人が荒事の真似をする時には、飛び道具持って黙って走り寄り、射程圏内に入った途端に全弾叩き込め。仲間がいるなら、全員で一気に押し潰せ。プロでも確実に仕留めたい時はそうする。素人に戦術や戦略は似合わん。どこかで見たことがあるような作戦で、戦力を最初から全部さらけだして、上から目線を決めている場合じゃないぞ。それに――」

 俊夫はナイフの男を睨みつける。

「俺は別に今でも困っていない。お前がナイフを動かす前に女将さんを助け出すことだって出来る。毛ほども傷つけたくないから我慢しているだけだ。思い上がるな」

 静子は彼女を締め上げていた男の身体が震えるのを感じた。

「――やれ!」

 甲高い声が辺りに響き渡る。男達が俊夫に殺到する。振り上げられ、振り下ろされる鉄パイプ、バット、木刀。

 肉を打つ鈍い音。それが断片的に続く。

 男達の陰になって俊夫の姿は見えない。

 怖い。恐ろしい。でも、でも、でも――

「佐藤さん!」

 静子は叫んだ。

「おい馬鹿、動くな」

 ナイフが彼女の頬を薄く裂く。

「あ――」

 静子は痛みと共に血が流れ出すのを感じた。


「約束したはずだ」


 地から響く低い声。

 続く、野獣の叫び。

「おおおおおおおおおお――」

 巻き上がる颶風。

 弾け飛ぶ男達の身体。

 骨を砕く鈍い音。

 それと共に消え去るナイフの輝き。

 男の姿は消え、静子だけが頬から血を流して立ち尽くしていた。

 何か黒いものが宙を舞っている。

 それは先程まで俊夫が立っていたところに落ちた。

 男の身体。

 左腕が酷く曲がっている。

 男達が得物を構えるが、間に合わない。

 獣が地をかける。

 鉄パイプの下を摺りぬけ、

 拳を腹に叩き込んで、その鉄パイプを奪うと、

 バットの脇を掠めて肩にそれを落とし込み、

 横に薙いで木刀ごと男の身体を弾き飛ばす。

 獣の動きは見えない。

 男達が一呼吸ごとに一人ずつ倒れてゆく。

 もはや立っている者は独りもいないが、颶風は止まない。

 鉄パイプの鈍い輝きが見える。

 怖い。恐ろしい。でも、でも、でも――


 このままでは俊夫が、彼女の知らない何かになってしまう。


「佐藤さん! お願い、もう止めて頂戴。これ以上続けると私は、私は――」

 鈍い輝きは振り下ろされ、


「佐藤さんが嫌いになってしまう!」


 そして男の身体を砕く寸前で止まる。

 辺りに静けさが戻り、ライトの中に褐色の肌が浮かんだ。

 近づいてくるサイレンの音。騒ぎを聞きつけた誰かが呼んだに違いない。人のざわめきも近づいてくる。

 その中で褐色の肉体は、静子に背を向けたまま立ち尽くしている。

 そして、その背中は実に悲しげだった。


 *


 翌日の昼。


 病院で治療を受けた静子は、旅館の離れで大人しくしていた。

 顔の傷は大したものではなく、傷も残らないだろうと医者には言われた。

 しかし、旅館の女将が顔に絆創膏じゃあいけませんと、大番頭に言われた。

 従業員達からは「ゆっくり休んでください」と、心から言われた。

 しかし、静子の心は依然として晴れない。大切な人の言葉が聞けていなかった。

 ――馬鹿。

 しかし、何が馬鹿なのか自分でも分からない。涙が頬を伝う。

 俊夫は傷の手当を受けた後、自宅で謹慎しているという。静子を迎えに来た大番頭が激怒して、言い渡したそうだ。

 彼を襲撃した連中は、全て病院のベッドの上に横たわっているという。確かに日の出は見られなかったらしい。

 それでも死者は独りもいなかった。最も重症だったのは静子にナイフを向けた男だったが、それでも生きていた。

 しかし、静子の心は依然として晴れない。大切な人の言葉が聞けていなかった。


 昼を過ぎた頃、榊原と佐々木が来たと従業員の一人が言いに来た。

 静子は居住まいを正すと、

「大丈夫。ここに通して頂戴」

 と告げた。

 佐々木の小さな姿の後ろに、榊原の大きな姿がある。榊原は佐々木の陰に隠れるように身を縮めていた。

「この馬鹿から事情は全部聞いた」

 胡坐をかいた佐々木が、正座している榊原の頭を張る。

「今回の騒動は、後藤のところの坊主が仕組んだものだった」

 後藤というのは地元でも有名な資産家である。

「で、この馬鹿が家業のために手伝いをしたという訳だ」

 仕事を続けたければ手伝えということらしい。

「それで、佐藤さんを追い出すために徒党を組んで襲撃したと。ナイフを持っていたのが後藤の坊主だよ。全員病院送りで、しばらく出てこれないだろうがな」

 あんなに卑劣な計画まで立てて。

 

 あまりの茶番に、静子の怒りは爆発した。

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