第六話 第二の襲撃 三

「確かに格闘技だと、服を着ていないほうが便利だよな。組んだ時に捕まれないし」

 榊原は小刻みにステップを踏む。

「でもさ、打撃系の武術に対しては全然意味がないんだよね。それって」

 榊原は再び間合に入る。


 低い姿勢からの榊原の右回し蹴り。足を掬いにかかる。

 俊夫はそれを左足裏で弾く。

 その勢いを利用した、榊原の左回し蹴り。胴を薙ぎにかかる。

 俊夫は右の掌底で上に跳ね上げた。

 身体を縦回転させたのち、間合いに飛び込んでの榊原の右、左、右の正拳突き。

 それらがことごとく、俊夫の左、右、左の掌底で弾かれる。

「しっ!」

 一旦間合いを外したのち、息を鋭く吐いて跳躍しての榊原の踵落とし。

 腕を交叉させて受けた俊夫は、それを背筋の力で跳ね上げる。

 榊原は二回転しながら、間合いの外に弾き飛ばされた。


「お前、一体何者だ?」

 荒い息の下から榊原は問う。

「それが分からないから困っているんじゃないか」

 俊夫は息一つ乱さずに答える。

 静子はそこまでの攻防を息を詰めて見つめていた。攻撃しているのは榊原だけだったが、それでも両者の力の差は歴然としていた。

 俊夫は強い。それは彼女でも分かる。

 しかも、彼は全く本気を出していない。それも彼女には分かった。

「悪いが忙しいのでね。そろそろこちらから行かせてもらおうじゃないか」

 俊夫が軽く腰を落とす。両腕を大きく開き、翼のように構えた。

 榊原の背筋に冷たい汗が流れる。俊夫の目が鋭く光っていた。

 ――ああ、これはいけねえ。

 その目に似たものを榊原は見たことがある。あれは動物園の虎の檻だった。大きな猫にしか見えないライオンとは違い、虎は常に本気の目をしていた。

 ――百獣の王はライオンなんかじゃない。虎のほうがよほど怖い。

 小学生だった榊原の感想である。その本気の目が今、ここにある。

 いや、それより数倍も本気の、獣の目だ。


 俊夫の身体が動く。

 一直線に動く。

 榊原は動けない。

 翼のように広げられた腕のいずれが先に動くのか、見切れていない。

 俊夫が迫る。

 ――えい、ままよ!

 榊原は左からの攻撃に意識を向ける。

 そして、俊夫の頭突きが榊原の腹にめり込んだ。

 ――なん、だよ、その、小学生、みたいな、戦法、はよ。

 そのまま俊夫は両腕で榊原の腹を抱きかかえる。

 ベアハッグ。

 榊原の背骨が軋みを上げた。

「ぐぁあ――」

 それ以上、声すら出ない。息が詰まる。

 榊原は全身を激しく震わせるが、俊夫の身体は微動だにしない。

 ――死ぬ!死ぬ!死ぬ!死ぬ!

 榊原は他に考えることが出来ない。

 視界の隅に俊夫の顔が入る。

 彼は笑っていた。


「そこまでだ!」


 静子の後ろから男の声がし、彼女の視界の左側から何か輝くものが入ってくる。男の手が彼女の首筋を巻き込み、輝くものはナイフと知れた。

「佐藤さん。榊原を離してくれないか」

 俊夫は榊原を持ち上げたまま、ゆっくりと静子のほうを振り向いた。

 彼女がナイフを持った男に締め上げられているところを見るや、俊夫は榊原を前に放り投げた。地面に転がって荒い息をつく榊原。

「榊原。全然なっちゃいないじゃないか」

 男は楽しそうにそう言った。地面に平伏した榊原は、途切れ途切れに言葉を吐き出す。

「後藤、さん。姉、さん、には、手ぇ、出さない、ってえ話、じゃ……」

「だからお前は地べたに寝ることになったんじゃないの」

 男はナイフを静子の頬にぴたりとつけた。静子の身体がびくりと震える。しかし、彼女は声を上げなかった。

「こいつは戦略というやつだ。相手の一番弱いところをつくのは、戦争じゃ当然のことだよ」

 その時、俊夫が榊原に向かって言った。

「お前の仲間か」

「そう、だがよ。姉さん、には、手出しは、しない、約束、でよ」

「それがお前の渡世の義理か」

「違う。俺は、そんな、善人、じゃない」

「しかし、少なくとも女将さんに手は出すなと言ったんだな」

「ああ、そう、だ」

「分かった、ならばお前は許す」

 そして、俊夫はゆっくりと静子のほうに近づいていった。

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