第六話 第二の襲撃 二

「お別れの瞬間を邪魔したようで悪かったな」

 暗闇から現れた男が、そう軽い声で言った。

「分かっているならやるなよ」

 俊夫が同じような軽い声で応じる。

「そう言われると耳が痛い」

「今からでも遅くはない。さっさと立ち去れ」

「いや、それは出来かねる。お前さんに用事があるのでね」

「俺に? お前は何か俺のことを知っているのか」

「知らないね。ただ、あんたがこの町にいると目障りなんでね。どこかに行ってもらおうと考えた訳だ」

「ほう」

 男達の会話が静子の耳に飛び込んでくる。剣呑な雰囲気を秘めた、穏やかな言葉のやりとり。

 そして、ここでやっと静子は相手が誰であるのか気づく。彼女は車から飛び出した。


「信ちゃん。どうしてここに貴方がいるの?」


「姉さん、その呼び方はもう止めてくれと、いつも言っているじゃないか」

 榊原さかきばら信二しんじは、苦笑交じりにそう言った。

「俺はもう二十二だぜ」

「あ、つい癖で。ごめんなさい。でも、どうして信二君がこんなところに」

 榊原は腕をぶらぶらとさせながら言った。

「いえね。これも渡世の義理というやつです」

「渡世って――もう危ないことはしないって、約束したじゃありませんか」

「確かに約束しましたがね。俺にもいろいろと諸事情があるんです。それに、姉さんのそばにおかしな男がいると聞いたもんでね」

「佐藤さんはそんな人じゃありません」

「ほう、俺にはそうは見えないなあ。姉さん、こいつは俺と同じ系統の生き物ですよ。俺にはよく分かる。だってこいつ、今笑ってますから」

 静子は驚いて俊夫のほうを見る。確かに彼は笑っていた。

「女将さん。この方はお知り合いですか」

 俊夫が笑顔のまま静子に訊ねる。しかし、それはいつもの俊夫の温かい声ではない。


 とても事務的な――いや、正直に言えば冷たい言い方だった。


「はい。小さい頃からの知り合いです」

「それは申し訳ありません」

「どうして謝るのですか?」

「多分、彼は言っても分からない人ですから、少々痛い目にあってもらおうかと思いまして」

 そう言って俊夫は車の前に出た。

「佐藤さん、止めて下さい。信二君は空手の有段者ですよ。普通の人が相手をして敵う相手ではありません」

「だってよ。姉さんの忠告は聞いておいた方がよくはないか?」

 榊原は軽く上に跳躍する。身体の大きさに比べて軽い動き。

「いや、それはむしろ君の側の敗北を意味するフラグでしかない」

「おや、言ってくれるじゃないか。それじゃあまあ、後は拳で会話しようじゃないか」

 そういうと、榊原は無造作に間合いを詰めた。


 榊原の左足が下から救い上げるように動く。

 さながら居合の刃。

 俊夫は後方に仰け反りながらかわす。

 そこに踏み込んでの榊原の正拳。

 槍の一突き。

 俊夫は体勢を崩しながらも、身体を開いて避ける。

 そこに右の回し蹴り。

 鎌の一閃。

 俊夫は両腕を交叉して受ける。

 そしてそのまま身体ごと弾き飛ばされた。靴が地面の上を滑ってゆく。


「ほう、まあまあやるじゃないか。でも、その程度じゃ勝てないよ」

「ああ、そうらしいな」

 俊夫はスーツの上着を脱いだ。さらにネクタイを外し、その下のワイシャツも脱ぎ始める。そして、とうとうスーツの下まで脱いでしまった。

 それを軽自動車の助手席に丁寧に放り込む。

「なんだいそりゃ。見たところ立派な肉体だが、それを見せてもらったところで、こっちは驚きもしないぜ」

「いやなに、友達からプレゼントされたものなのでね。それに女将さんがよく似合っていると言ってくれたから、壊したくない」

 いつもの俊夫の言い方のように聞こえるものの、静子は違和感を覚える。

 いつもの彼ならば、そんなに淡々とは言わない。

 俊夫はゆっくりと軽自動車の前に出る。彼の全身が車のライトに照らされた。

「あ――」

 静子は見た。俊夫の左肩の辺りに赤い蝶のような形をした痣があるのを。

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