第六話 第二の襲撃 一
俊夫は気がかりで仕方がなかった。
本屋で静子と合流した時、彼女がなんだか元気がないように思われたのだ。てっきり待ち合わせの時間を忘れていたので、怒っているのかと思ったのだが、どうやらそうではない。
むしろ、何か他の心配ごとに気を取られているような様子である。こんな時はそっとしておいたほうがよいに決まっているのだが、俊夫は何だか落ち着かなかった。
静子は申し訳なくて仕方がなかった。
俊夫が静子の心境の変化に気がつき、先程からいろいろと苦悩していることは知っていた。それでも静子の邪魔をしたくないために、黙っていることも知っていた。その気持ちが有り難くて泣けてくる。
しかし、泣いている場合ではない。静子は黙って考え続けていた。厨門と俊夫の関係。俊夫には力がある。何か大きなことをする力だ。群馬県の温泉旅館を差配する程度のものではない。
そして、彼が何かを成す時に必要な伴侶は私ではない。厨門のような女だ。
*
静子は旅館で荷物を降ろすと、俊夫のアパートに向かった。
「すみません、本当に」
と、頻りに恐縮する俊夫に、静子は、
「いいんです。今日一日、とても助かりましたから」
と笑顔を向けた。しかし、その笑顔はやはり弱々しく、俊夫の懸念を払拭するには至らない。
車は重い空気を載せたままで、彼のアパートの前についた。
「着きましたよ」
静子が声をかける。しかし、俊夫は動かない。静子が訝しんでいると、俊夫は明るく笑いながらこう言った。
「駄目ですよ、女将さん――いや、静子さん。今日はこんな気分で終わっちゃいけません。折角の楽しいイベントが台無しになる」
静子は黙ってうつむいた。俊夫は先を続ける。
「気がかりなことがあるのは分っています。それは静子さんにとって、とても大切な事なんでしょう。それも良く分かります。しかし、それでも俺は言わなくちゃいけない。まずは今日を大切にしませんか、と」
静子は黙って頷く。彼女もこんな終わり方は望んでいない。
「話せない内容ならば仕方がありません。それを無理強いする気はありませんがね。俺に悪いと思っているのならば、そいつはいけません。俺は見た目通り、柔じゃありませんからね」
俊夫はゆっくりと語る。
言葉が静子の心に落ちてゆく。それはとても温かくて優しい。
「重荷だったら分けて持ちましょうや」
俊夫は最後にそう言った。その言葉が静子の心の欠けた部分にすんなりと嵌る。
――その通りだ。この人を信じなければ。そして、その決断を最後まで見送らなければ。
静子は顔を上げた。
「佐藤さん」
「はい、何でしょう」
「お尻に痣はありますか」
「へっ?」
俊夫は目を丸くした。
静子は真剣な声で繰り返す。
「とても大事なことなのです。お尻に痣はあるのですか。答えて下さい」
「ええと、その、すいません。自分でまじまじと見たことがないもんで」
「ならば、見せて下さい」
「はっ?」
「お尻を見せて下さいと言っているのです!」
「はい、分かりました!」
とはいえ、流石に軽自動車の狭い車内で、巨漢の俊夫が尻を露出させるのは容易ではない。彼はいったん外に出て、ズボンを下げることにした。
意味は全く分からないが、そうすることで静子が納得できるのならば、俊夫は何でもしようと思う。
静子はその瞬間を見守っていた。痣があれば厨門に電話をして、このまま俊夫を東京まで連れてゆくつもりである。
しかし、車外に出た俊夫は動かない。
この期に及んで躊躇する俊夫ではないから、静子は何か別の問題が生じていることに気づく。彼女はヘッドライトのスイッチをオンにした。
「よう。ドライブは楽しかったかい?」
明かりの向こうに俊夫と同じぐらいの巨漢が立っていた。
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