第五話 第一の襲撃 二

 そのような計略が進行していることも知らずに、俊夫は今日も静子のところに相談にやってきた。

「まあ、夏休みシーズン用の企画ですか」

 静子は話を聞いて、目を輝かせた。

「はい。家族連れをターゲットにしたイベントをやってはどうか、という意見でして」

「素敵ですね」

「で、その準備を出来れば私と女将さんでやって貰えないか、ということでして」

「えっ!?」

「いえね、他の従業員だと担当の仕事が決まっているので、なかなかそこまで手がさけないし、それに東京まで買い出しとなると――」

「東京まで買い出し、ですか!?」

「はあ、そうなんです。そうなると東京の大学に行っていたお嬢様でないと、どこでどう買い物したらよいか分からんだろうから、と遠藤君が言っておりまして」

 俊夫は頭を掻いた。

「私は、皆さんがそんなに忙しいのならば、更にイベントをお願いするのは可哀想だし、買い出しだったら高崎でいいと思うんですけど」

「いえ、分かりました!」

「あれ、いいんですか?」

「もちろんです。皆さんの御迷惑にならないように、私達でこのイベントを最初から最後までやりぬきましょう。そのためには東京です!」

「はあ」

 想定外の静子の勢いに、頭を捻りながら俊夫が立ち去った後、客間に残った静子は独りで微笑んでいた。

「全く、皆さん強引なんだから」

 静子は既に従業員の総意に薄々気がついていた。そうでなければ客商売の女将はやっていられない。

 今回の件は、俊夫と静子の思い出づくりの一環として、遠藤あたりが計画したに違いない。

「全くもう」

 そう言いながらも、静子の頬を感謝の涙が伝う。


 *


 翌週の土曜日。


 旅館にとっては忙しい日なのだが、女将は従業員達から勧められるようにして、休暇を取らされた。大番頭にも話はつけてあると言っていたので、実際に彼に聞いてみると、

「いえね。佐々木さんが現われて、いい加減女将さんに休暇を与えろと言われまして」

 と、困ったような顔をしていた。なるほど、随分と知恵を絞って適任者に依頼したものだ、と彼女は苦笑した。


 学生の頃に購入した空色のスリーブレス・ワンピースに袖を通すと、静子の心は一気に沸き立った。

 着る前は「ちょっと若すぎるかな」と思ったものの、着てみるとまだまだ十分いけそうな気がする。

 鏡の前で一回転してみる。いや、非常に宜しい。

 それにこの服でデートするのは、確か初めてだ。


 俊夫のアパートまで車で迎えに行った静子は、彼の姿を見て目を丸くした。

「あの、佐藤さん。その格好は一体」

「ああ、先日、遠藤君に強引に高崎まで連れて行かれましてね」

 法被に身を包んだ俊夫を見慣れていた静子は、夏物のグレンチェックのスーツを見事に着こなした俊夫に、しばし見惚れてしまった。

「あの、なんか変ですかね」

 きまりが悪そうにそう言う俊夫に、静子はぶんぶんと頭を横に振って言った。

「いえ、もの凄く似合っています」

 ――ナイスだよ、遠藤君。

「そうですか、それならよかった。ところで遠藤君が『スーツは男の勝負服だ』とか言っていましたが、どうしてでしょうかね」

 ――バッドだよ、遠藤君。

 また、余計なことを言ったものである。静子は内心舌打ちしながらも、

「今日は私を守る騎士ナイトということですか」

 と、さらに自爆するようなことを言う。それに気づいて顔を赤らめる静子に、俊夫は言った。

「まあ、騎士とか勇者とかいう柄ではありませんがね」

 事実その通りなのだが。


 さて、一般道から上信越自動車道に入り、さらに関越自動車道、外環自動車道経由、首都高速に入った静子の軽自動車は、渋谷方面に向かっていた。

 静子は運転が嫌いではない。むしろ積極的に運転したい方である。そして、俊夫を伴ってのドライブは想像以上に楽しかった。

 いつもは旅館の運営に関する話しか出来なかったが、今は二人きりであるから気兼ねなく話が出来る。新幹線を避けたのもそのためである。

 早速、初日に聞きそびれたことから話をしてみると、俊夫はヘルマン・ヘッセだけでなく、トーマス・マンもちゃんと読んでいることが分かった。

「随分と読書好きなんですね」

「いやあ、今は全然ですけどね。それに、何となくですが向こうに住んでいたことがあるような気がするのです」

「そういえば中国語も堪能ですが、まさか中国も住んでいた気がするとか」

「はあ、そうなんですよね」

「ご両親が海外駐在員だったのでしょうか」

「そうかもしれませんね」

 東京都に入ると渋滞がひどくなる。静子は、のろのろと進む休日の高速が苦手だったが、俊夫と一緒だとそれも苦にならなかった。むしろ、この時間がずっと続いて欲しいくらいに楽しかった。

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