第三話 陰謀と願望 三
「ありがてえ。それから今まで通り、うちがここの手入れをさせてもらえるんなら――」
「親方、そいつは言いっこなしだ。もう二度と佐藤君には手出しはさせないから、引き続き――」
「いや、そいつは逆です」
親方は大番頭の慌てた返事を、ばっさりと寸断する。
「俺が仕切る時には、あいつを必ず貸してほしい。それから、これは俺からの詫びだ。半端な仕事をあいつに指摘されちまった。まったく面目ねえ」
そう言って、親方はまたもや頭を下げる。
「年を取って、高いところまで登るのがしんどくなっちまってね。一ヶ月前にこちらで仕事させて頂いた時にへまをしちまった。それをあいつは見抜きやがった。一体何者なんですか?」
「はあ、その……」
「いけねえ、そういや何も覚えていないってことでしたね。しかし、となると不思議だ」
親方が腕を組みながら、首を傾げる。
「あいつは、ここの納屋に置き去りにされていた剪定道具に研ぎをかけた。前に俺も見たことがあるが、随分と使っていないなまくらを通り越して、もう死んだも同然の道具だったはずだ」
そこで、親方の目に鋭い光が灯る。
「そいつを、やつは見事に生き返らせた。半端な研ぎの腕じゃねえ。使えるどころか、素人が使うと危ないほどに研ぎ澄まされていた。あれば刀研ぎの仕事だよ」
女将と大番頭は顔を見合わせる。
「その、刀研ぎですか?」
女将が戸惑いながらそう訊ねると、親方は頷きながら言った。
「おうよ。やつはどこで人斬り包丁の研ぎ技を体得したのかねぇ」
*
また、俊夫が働き始めてから三日後のことである。
厨房で働いていた若い男が急に出てこなくなった。電話をしても出ない。
「またかね」
大番頭は頭を抱えた。厨房をし切る板長の
「板長さんにも困ったものだね」
大番頭は、その時も女将と連れだって厨房に急行した。親方と同じく、板長も女将には頭が上がらない。
「坂東さん。また若い人がやめたそうですね」
女将は、坂東を咎めるような言い方ではなく、やれやれという言い方をする。
坂東のほうも、
「いや、まったくもってすまねえ」
と、素直に頭を下げた。腕は超一流だが包丁さばきに関して口煩いので、どこの店でも長続きしないのを先代が拾って、ここに連れてきたのだ。
「さすがに今回は困りました。団体さんが入っていますからね。人手が足りないのではありませんか」
「……」
坂東は言葉もない。彼もそれは重々承知していたからだ。
三人が頭を抱えていると、そこに俊夫がやってきた。
「あの、人手が足りないという話を聞いたのですが」
三人はあっけにとられた。というのも、俊夫の言い方が「配膳の準備に人手が足りない」という程度の、軽いものだったからである。
最初に坂東が我に帰る。
「そうだけど、素人の手なんか借りないよ」
と、彼は先刻の謝罪もなんとやら、いきなり切り捨てるように言った。
「まあ、それは試しに使ってから言って下さいよ」
しかし、俊夫はまったく頓着することなく、
「ちょいとお借りしますよ」
と言って、包丁と大根を取り上げると、慣れた手つきで大根の皮をむき始めた。いわゆる「かつら剥き」というもので、包丁使いの基本である。
透き通った大根の衣がするすると紡がれてゆく。坂東の目に強い光が灯った。
「やるじゃないか。それじゃあ飾り切りもやってみてくれ」
「分かりました」
俊夫は、大根と胡瓜と人参を手に取る。そして、繊細な手つきでそれを刻み始めた。
最初に胡瓜で作られた松が仕上がる。枝振りが見事な松だった。
続いて大根で作られた鶴が仕上がる。首筋からの曲線が艶めかしい鶴だ。
最後に人参で作られた海老が仕上がる。内側の黄色い部分まで模様に生かすという徹底ぶりである。
坂東はその一部始終を、腕組みをしながら見つめていた。
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