第三話 陰謀と願望 二

「うちの仕事が不十分ならそう言って下さいよ。いきなりこれでは立つ瀬がない」

「それは済まないことをしたが――しかし、職人を替えた覚えはないんだよ」

「大番頭さんがそこまで言うんだからそうなんだろうが、じゃあ、これはどういうことなのかね」

 大番頭と親方が頭を捻っていると、

「ああ、大番頭さん。済みませんが、中庭の掃除はまだ途中なんです。なにしろ準備に少々手間取りましてね」

 と言いながら、熊手を持った俊夫が現れた。

「佐藤君、まさか掃除の前に中庭全体の剪定から始めたというのかね」

「それはもちろん。でないと折角掃除したところに枝が落ちるじゃありませんか」

 にこにこ笑いながらそう言う俊夫に、大番頭は頭を抱える。その後ろから、

「おい、若いの」

 と、親方がドスの利いた声をかける。

「三つほど聞きたいことがあるんだがね」

「はい」

「まず、表と裏で仕上がりを変えてあるのはどうしてかね」

「ああ、それでしたら表門から来るお客様のほうは歩きながら庭木を見るでしょうから、勢いがあったほうが楽しめると思いましてね。少々荒めになっています。旅館から見るお客様は、寛いだ気分でご覧になるでしょうから、滑らかに見えるように細かく鋏を入れました」

「ほう。じゃあ、一ヶ月前の庭の様子を何と見るね」

「切る前の姿から一ヶ月前ですね――」

 俊夫は視線を上に上げた。何かを考える時の仕草である。

「――いや、凄いですね。真冬の枯れた庭が寂しくならないように、随分と丁寧に手を入れてあります。ただ――」

「ただ、何かね」

「――いえね。高いところの処理が残念だと思いまして」

 まさかの駄目出しに大番頭の顔が蒼白になった。

 親方は空っ風がこの地に吹く前からの植木屋と言われている。昔馴染みのおっかない旦那衆も多い。

「ほう、そうかね。駄目かね」

「はあ、どうしてそこだけ仕上げが甘いのか分かりませんが、画竜点睛を欠くといったやつです」

 俊夫の朗らかな物言いに、大番頭は頭がくらくらしてきた。これはもう、喧嘩を売っているに等しい。

「それじゃあ最後だ。こいつは質問というよりはお願いなんだがね。剪定に使った鋏を見せてくれんかね」

「分かりました」


 *


 数十分後、親方を旅館の客間に通した大番頭は、すぐさま女将と共にその前に坐した。

 客間の大きな窓は障子が開け放たれており、外で俊夫が作業を続けているのが見える。

 親方はその姿を目で追いながら、静かにお茶を飲んでいた。こういう時の親方は貫録があり、とても堅気には見えないので、大番頭は戦々恐々としていた。

「……女将さん、大番頭さん、お願いがあるんですがね」

 茶碗を座卓の上に戻すと、親方は静かに切り出した。

「なんでしょうか」

 事情がよく分かっていない女将は、いつもの通りの穏やかな声で応じる。親方とは長い付き合いで、女将は特に気に入られていたので、大番頭はこの席に連れてきたのだ。

「あの、庭の掃除をしている若いのですがね」

 親方は俊夫のほうを眺めた。「それ来た」と大番頭は身構える。

 しかし、親方は真剣な表情で、女将に向かって言った。

「事情は大番頭さんから聞きましたがね。ここで雇ったばかりの男だそうだから、無理は言いません。あいつがここで何かへまをして首になるようなことがあったら――」

 親方は深々と頭を下げた。

「是非、うちに預けてくれないかね。この通りだ」

 親方がそこまで低姿勢になるところを女将も大番頭も見たことがない。

「やめて下さいよ、親方。うちとおたくの仲じゃないですか」

「じゃあ、約束して頂けますんで?」

「その、佐藤さんが嫌がらなければと言う話ですけど」

「嫌がっても構いません。その時ゃ、俺が首の根つかまえて引っ張っていきます。宜しゅうござんすね」

「……はい」

 女将が逡巡しながらもそう言うと、親方は真夏の青天のような晴れやかな顔になった。

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