第七話

 後に「RMMOG(リアル・マッシブリー・マルチプレーヤー・オンライン・ジェノサイド)」と呼称される日本人無差別大量虐殺事件について、直接の被害者の日本人を除き、誰が最初にその異常さに気がついたかという点には諸説ある。

 ここでは、その中で最も有力な説をご紹介したい。


 *


 西インド最大の都市であり、マハーラーシュトラ州の州都であるムンバイから、南へ百七十キロほど離れたところに、人口五百万人弱のマハーラーシュトラ州第二の都市、プネーがある。

 プネーは、いずれ劣らぬ個性派揃いのインドの都市の中でも、さらに特徴的な町である。

 まず、その面積の四十パーセントが緑に覆われていることから「インドで最も緑の多い都市」と呼ばれている。

 また、デカン高原の海抜六百メートルのところに位置しており、これは日本でいえば高尾山山頂、都市でいえば長野県松本市に相当する。一年を通じて気候が至極穏やかなので、昔からインド人富裕層の避暑地として発達してきた。

 そのため「インドで最も安全な都市」と言われることもある。

 加えて、植民地時代にプネーで行われていた「皮の球をラケットでネット越しに打ちあう遊び」を、イギリス人が本国に紹介したのがバドミントンの起源と言われている。つまり、プネーは「バドミントン発祥の地」でもある。

 そして、イギリス領だった頃から「東のオックスフォード」という呼び名で知られる、教育・研究の中心地であった。

 実際にオックスフォード大学が、その八百年にも及ぶ歴史の中で初めて、「大学の施設を海外プネーにも設置する」と発表し、世界中を驚かせたことがある。

 経済的には「東のシリコンバレー」と呼ばれるほど、IT産業を中心に目覚しい発展を遂げており、一般家庭へのパソコン普及率はインド国内で第一位だった。


 *


 二〇三三年十二月一日、協定世界時(UTC)の午後三時――インド時間で、十二月一日の午後八時三十分過ぎ。


 名門プネー大学の情報工学科に在籍しているマハトマ・チャバンは、FMDに表示された『デス・クロ』の画面を見つめて唖然としていた。

 部屋の窓の外を三輪のオート・リキシャが、パタパタというエンジン音を響かせながら走り去ってゆく。

 夜だというのに、クラクションが挨拶と同じぐらい頻繁に鳴らされて、ごくたまに怒声が混じったりもする。

 インド人歌手によるハイセンスなインド・ロックが、微妙に擦れた大音量で町の中に流されている。

 そんな、インド基準で「至極穏やかな夜」と表現してもよい町の喧騒を耳にしながら彼が目にしていたのは、これまた変に見覚えのある懐かしい風景だった。

 ところで、海外からインドにやってくる外国人留学生の約三十五パーセントが、プネー大学に在籍している。

 しかも、プネーはインドで最も日本語教育が盛んな都市であり、大学の構内で日本人の姿を見かけることもしばしばである。

 さらに、プネー大学は名古屋大学と姉妹校提携を結んでおり、その関係でチャバン自身も愛知県名古屋市に二〇三一年四月から二年間、留学生として滞在していた。

 インドと日本は、世界の中では珍しい「四月に学年が変わる国」であったから、チャバンがプネーに戻ったのは二〇三三年三月である。

 日本に滞在している間、チャバンは知り合いになった日本人学生の部屋に、頻繁に遊びに行った。そのため、一般的な日本人学生の部屋の様子は熟知していた。

 そして、その時『デス・クロ』の画面として表示されていたのは、紛れもなくそのような「日本人学生の普通の部屋」だった。

 ――これは、あまりにもリアル過ぎる。

 チャバンの首筋を変な汗が伝った。

 インド人である彼は、名古屋市の中心部にあるインド料理店を見て、微妙な違和感を受けたことがあった。

 インドに戻った後、ムンバイにある有名な日本料理店に行って、微妙な違和感を受けたこともあった。

 だから、どんなに細部まで作りこんだとしても、そのような違和感を完全に払拭することは出来ないものと思っていた。

 ところが、表示されている『仮想現実世界の日本人の部屋』には、まったくおかしな点がない。

 そのことが、逆に頭が痛くなるほどにおかしかった。

 その違和感を最も分かりやすい例で説明すると、部屋の本棚に置かれていたコミックスの背表紙である。

 チャバンは、日本人の友人の一人が愛読していた関係でそれを見知っていたが、それは日本国内でも極めてマイナーな作品だった。当の日本人ですら背表紙を見て判別できないほど、特殊な趣味を持つ愛好家向けのものであった。

 それが全巻揃いで画面の中央に表示されている。しかも、チャバンが帰国寸前に見た最新刊よりも新しい巻数の背表紙まで含んでいるという、念の入れようである。どうしてそこまで細部に拘るのか意味が全然分からない。

 そこでチャバンは、パソコンに接続した三次元マウスで『デス・クロ』の機体操作を実行してみた。

 上昇――視点が滑らかに上昇し、見慣れた本棚を映し出す。

 旋回――水平方向に滞りなく旋回し、隣の棚に置かれていた美少女フィギュアが表示された。

 視野拡大――それによって部屋全体の様子が分かるようになる。

 静止――部屋の中でFMDを着けている人物と、その唖然とした口元が画面中央に表示されたところで、機体を止める。

 その人物を見たチャバンはFMDで覆われているところ以外の特徴で、それが誰であるのか気がつく。そして、それこそ腰を抜かしそうになるほど驚いた。

 彼は急いでFMDを外すと、無料音声通話用のソフトウェアを立ち上げる。日本との音声通話回線を繋ぐ、僅かな時間差すらもどかしい。

 繋がった途端、

「ハロー、吉田さんですか。私、チャバンです」

 と、彼は英語で話しかけた。

「あ……ああ、チャバン。久しぶりだね」

 パソコンのスピーカーから英語で変にたどたどしい男の声が流れ出し――パソコンのディスプレイ上に表示されていた男が時間差で口を動かした。それでチャバンは確信した。

「吉田さん、目の前に何かカメラが付いたものが浮かんでいませんか?」

「あ、ああ、浮いているよ。『デス・クロ』のフィギュアだけど――なんでチャバンがそれを知っているの?」

「今、私がそのカメラで吉田さんを見ているからです」

 画面の中の吉田が時間差で驚いた顔をした。

 彼は、チャバンがそのコミックスを見た部屋の住人、当の日本人学生だった。

「ええと、その、僕も自分の姿をフィギュアを通じてみているのだけれど、どうしてチャバンまで僕の姿を見ているのか、しかもフィギュアを経由してインドで見ているのか、俺には全然意味が分からないんだけど」

「私にもその意味は分かりませんが、『デス・スター・クロニクル』のメッセージにはこう書かれています。『スペシャル・ステージにようこそ』と」


 そこで二人は一瞬、無言になる。


 FMDを外しながら、吉田はチャバンにこう尋ねた。

「……チャバン、君は『デス・クロ』のテスト版を使っていたのか?」

「はい、全世界同時リリースの直後から」

「僕の目の前にあるフィギュアは『ドラゴン』なんだけど、そっちで電撃の操作は出来るかい?」

「やってみますが――離れていてもらえますか」

「あ、ああ、そうだね」

 画面の中で吉田が横に逸れたことを確認すると、チャバンは壁に向かって『龍』の照準を合わせた。

 発射ボタンを押す。

 即座に機体下部から先端に針が付いたケーブルが射出されて、それが壁に突き刺さる。

 途端にプロペラ制御用とは異なるモータ音が鳴り響き、ケーブル上を高圧電流が走った。

 壁にひびが入り、煙が上がる。


 それで二人はまた、無口になった。


「……吉田さん。その『龍』のフィギュアというのを、一体どうやって手に入れたのですか?」

「……ある日、宅配便で急に送られてきた。日本中の『デス・クロ』ユーザーがそうだと聞いている」

「ということは、これと同じ機能を持ったものが日本中にあるということですね」

「ああ、そういうことになる――」

 そこで急に、画面上の吉田が驚いた表情を浮かべた。

「どうしたのですか。吉田さん?」

「チャバン、今、部屋の外から爆発音が聞こえてきた。これはもしかすると――」

「……『蝉』、ですか?」

「そう、だと思う。まさか、だけど――あ、また聞こえた!」

 吉田の表情が、戸惑いから次第に恐怖へと変わってゆく。

「何だよこれ、何が起こっているんだよ?」

 吉田が部屋の窓を開けて外の状況を確認する姿が、カメラを通じて見える。

 その時、チャバンはそのことの意味を、感覚的に理解した。

「待って下さい、吉田さん!」

 チャバンは大声で叫んだが、しかし、遅かった。


 画面の向こう側、窓を開けて外を見ていた吉田の背中が硬直する。

 そのまま彼は画面の中を、チャバンのほうに向かって倒れてきた。

 チャバンは機体を操作し、床に倒れた吉田の姿をカメラで捉えた。

 そして、現実の日本で今現在起きている残酷な出来事を認識した。

 吉田は顔から煙を上げながら、白目をむいて、無言で倒れている。


 チャバンは衝撃のあまり、言葉を失った。

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