第六話
二〇三三年十二月一日、協定世界時(UTC)の午後三時寸前――北米ニューヨークでは、十二月一日の午前九時になる寸前。
大学二年生のトーマス・マケインは、同じ大学の二年生で一卵性双生児の弟であるマイケル・マケインとともに、木曜日だというのに学校の授業をさぼって、一つ年上の友人であるジョセフ・カーマイクルの家にいた。
ジョゼフの両親はいずれもアメリカ南部の旧家出身で、桁の違う大金持ちである。そのため、資産運用及び節税の目的で、息子にマンハッタンの豪勢なフラットを買い与えて、ニューヨーク生活を謳歌させていた。
また、ジョゼフは表向き工科大学の学生であったから、自宅のシステム環境の整備には「研究用」の名目で、膨大な予算が実家から割り当てられているらしかった。
なぜなら彼が使っているマシンは、全てのハードウェアが(初期不良が概ね納まった後の)最高性能のものに置き換えられ、全てのソフトウェアが(初期のバグがひと通り修正された後の)最新バージョンに置き換えられていたからである。
実のところ、ジョゼフは昔、ソフトウェアとハードウェアを常に最新版に置き換えていたのだが、この業界において初期不良はお約束であり、最新式だからといって必ずしも高性能とは限らない。
そして、トーマスとマイケルは、あるゲームの世界でジョゼフ自慢の最新鋭マシンを、一卵性双生児という利点とソフトウェア・アップデート後によく見られる小さなバグの類いを味方につけて、物の見事に打ち負かした。
その技術と運の強さをジョゼフに気に入られて、リアルでも知り合いになり、それ以来彼らは常に行動を共にしている。ジョゼフが初物買いを改めたのも、それが契機だった。
「しっかし、今回のこのマシンはいつも以上にえげつない構成だな」
トーマスはマシンを見つめて肩をすくめた。システム本体が常に最高性能であることは、言うまでもない。加えて、今回は操作系のデバイスが充実していた。
まず、椅子には身体をしっかりと包み込むレカロ社製のレーシング用シートが流用されている。
それにFMDによる視覚入力、マイクによる音声入力、両方の肘置きを延長して取り付けられた三次元マウスが二台、両足の指で操作するポインティング・デバイスが二台、取り付けられている。
それぞれに専用のプロセッサが割り当てられているので、同時に六つのコマンドを実行しても、並列処理を行うことが可能だった。
もちろん、普通のVRMMOGをプレイするだけならば、これは明らかにオーバースペックである。それ以前に、運営会社側に対応可能なスペックがない。
しかし、『デス・クロ』は別だった。公式発表では「理論上、十のコマンドを同時処理可能」と記載されている。
ただ、一人の人間が同時に十のコマンドを実行すること自体、全く現実的ではなかったので、一般ユーザーはたいして関心を示さなかっただけである。
自分達には縁のない「カタログ上の性能」に過ぎないと判断して、真面目にそのことに対応しようと考えた者は、殆どいなかった。
但し、ジョゼフは別である。
彼はその点が最終的に自分達のアドバンテージになると確信しており、その機能を活用するために現時点で可能な限りの入力装置を組み込んだ。
流石に、ネット上に噂として流れている真偽のほども不明な「軍事用の脊髄直結型入力装置」は無理だったものの、一般ユーザーが入手可能なものをすべて取り入れた。彼らはこれを「ジョセフ・システム」と呼んでいる。
これならば、『デス・クロ』上で六つのコマンドを同時発信することが可能であり、そして、同時発信および並行処理が可能なコマンド数が多いということは、プレイの上でも確かにアドバンテージになった。
テスト版の時点で、彼のシステムは抜群の効果を示した。さらに、今回の本番稼動に向けてジョセフは同じシステム構成のマシンを三台準備していた。これはもう、他の誰も彼らに追いつくことすら出来ないレベルのはずである。
マイケル、トーマス、そしてジョセフの三人は、その圧倒的なシステムのアドバンテージをフルに活用して、『デス・クロ』の本番稼動時にぶっちぎりの好成績を叩き出すことを目論んでいる。
そして、二十四時間後に集計される得点ランキングでは、上位三つを自分達が独占しようと考えていた。
彼らは、新しいゲームが本番稼動された直後の当日ランキング・トップを争う「ヴァージン・クラッシャー」、略称「VC」と呼ばれる集団に属している。
本番稼動の五分前となり、三人はシートに身を沈める。
FMDにはカウント・ダウンされてゆく数字が表示されていた。
(トーマス、準備は万全か?)
ヘッドフォンからジョセフの鮮明な声が聴こえてきたので、トーマスは陽気な声で答える。
(もちろん。音声認識のチェックも完了している。最高の気分だよ)
今回、同じシステムが三台近接して置かれているため、互いの声によるコマンドが干渉しないように、システムに自分の声を登録することになっていた。その手順が完了し、後は本番稼動開始を待つだけである。
(マイケルはどうだ?)
(同じく最高だよ、ジョゼフ。今回は絶対に日本人なんかに負けないように、最初からトップスピードで飛ばしていこうぜ!)
マイケルは既にハイになっていた。
トーマスはマイケルのその言葉で、前回の悔しい結果を思い出す。前回の新ゲーム本番稼動時には、途中までトーマスの独走状態であったのに、最後の最後で日本人のVCがその日の一時間あたりの最高得点を叩き出したために敗れた。
「ジャップは最後まで諦めない。それに、手足が短いから動きが素早い」
その日以来、その言葉が彼らの合言葉になっている。
カウントダウンは順調に進み、もう少しで本番スタートとなる。三人はいずれも気がついていなかったが、同時に唇を舐めていた。
本番オープン――三人は同時にログインする。
そして、三人とも同じインビテーション画面を目の当たりにした。
『スペシャル・ミッションにようこそ』
(なんだい、これは?)
いつも冷静沈着なジョゼフの少しだけ困惑した声が、トーマスの耳に響いてくる。
(えーと、何々? 「これは、一般ユーザーが参加することの出来ない限定ミッションへのインビテーションです。皆さんはテスト版の成績上位者であり、特別に選ばれたメンバーとして限定ミッションに参加することが出来ます」)
(特別メンバーによる限定ミッション? なんだか凄いな)
(確かにな。えーと、「それは、警戒厳重な敵施設を破壊する限定ミッションです。このミッションのために、本番稼動時のみ使われるプレミアム・ステージも準備しました。そのため、ランキングも通常ステージとは別に集計されます」)
(あれ、それはあまり面白くないな)
(いや、まだ続きがある。「この『デス・スター・クロニクル』が稼動し続ける限り、プレミアム・ステージの成績は、トップページに表示されることになります」だってよ)
(そいつは凄いや!)
マイケルの口笛と弾んだ声が聞こえてくる。
(このプレミアム・ステージの限定ミッションでトップになると、その記録は新記録で消されることがないってことだろう? それじゃあ、頂くしかないじゃんか!)
(しかし、その限定ミッションの具体的な内容が、どこにも書かれていないな)
そうトーマスが言うと、ジョセフは笑いを交えた声でそれに答えた。
(ふふ、トーマスは本当にいつも慎重派だね。大丈夫、今回の僕達のシステムは桁違いだから、どんなパターンのステージであっても問題はない)
(そうだよ、兄貴! それに早い者勝ちのミッションかもしれないんだから、さっさとやっちまおうぜ!!)
マイケルのさらに弾んだ声で、トーマスも踏ん切りがついた。
(分かった、じゃあ三人で一緒に行こうか)
三人は揃って、目の前に表示されているインビテーションの承認ボタンを押した。
画面が切り替わる。
夜――だろうか。
トーマスは自分がどこかの屋外にいることを理解した。
通常ステージでは最初に「機体選択画面」が表示され、愛機登録をしたところでそれがスキップされるようになっている。だから、トーマスはさほど気にせず、いつものように情報表示画面を呼び出し――そして、驚いた。
(なんだ、これは……)
彼は、画面に表示されている機体の情報と装備品のリストに、自分の目を疑った。
トーマスとマイケルは、彼らのコンビネーション・プレイが最大限に生かされる『
榴弾――それが、最初から二十個ずつ機体の両側に搭載されている。
さらに、テスト版の機体には単独の攻撃手段しか搭載されていなかったのに、目の前の情報によればすべての機種の武器が使えることになっている。しかも、威力が桁違いに向上していた。
『
『
『
機体の名称も、テスト版では出てこない『
その下に「プレミアム限定」という表示があったから、通常ステージでは使えないのだろう。
(うお、何だよこれ!? こいつは凄いや。確かにプレミアム感が半端ないぜ)
マイケルは素直に喜びの声をあげているが、トーマスはなんだか合点がいかなかった。彼には、どうして限定ミッションのためだけにここまで準備をする必要があったのか、その理由が全く分からなかったのだ。
この『鯨』という機体を通常ステージに導入したほうが、よほどスリリングなゲームになるような気がする。攻撃のパターンに多彩なバリエーションが加わることになるからだ。
これでは、通常ステージの装備が変に貧弱に見えて味気ない。まるで、わざとそうしたかのようにすら見える。
トーマスが戸惑っていると、まるでそれを見透かし、これ以上考える時間を与えないようにするかのように、ミッションのブリーフィング画面が展開された。
トーマスは、やむをえず頭を切り替えて、表示された画面を見る。すると、マップ上にターゲットとなる施設が表示され、ミッションにおけるポイント獲得条件がその下に続いていた。
敵兵の無効化に成功した場合のポイントが、一人当たり「一ポイント」――まあ、これは当然だろう。
警備エリアの無効化が、一ヶ所につき「百ポイント」――これは、警備エリアを制圧して通過した場合に加算される。手段は、扉の爆破であっても電子キーの開錠であっても構わない。クリア条件としては同じだ。
施設内にある設備の破壊が、やはり一ヶ所につき「百ポイント」――建物や小さな装置類は対象外になっている。これも、破壊方法は関係なし。
設備を壊したほうが、人間を殺すよりも効果的にポイントが稼げるということになる。そこに少しだけ違和感を覚えたが、ここはスルーする。
施設の心臓部にある複数の動力炉の直接破壊に成功すると、一ヶ所につき「十万ポイント」。
『鯨』が破壊されたり、敵に確保されて身動きが取れなくなった場合には、「マイナス十万ポイント」――しかも、その場でミッション終了。
そこでトーマスの思考が止まった。
――最後の二つの意味が、全く分からない。
これではあまりにもゲームバランスが悪すぎる。要するに、動力炉を破壊した者が勝者であって、後のことはただの付け足しである。しかも、未体験のミッションなのに機体のスペアなしというのは、一体どういうことだろうか。
そんなトーマスの戸惑いを無視して、ミッションのカウントダウンが開始された。それはやはり、トーマスに考える時間を与えないために最初から設定されていたような慌しさだった。
カウントがゼロになる。
三人の『鯨』は、他の十七人のそれと共に、空へと舞い上がった。
途端に風の影響を受けて、トーマスの『鯨』が僅かに右に流される。その挙動のあまりのリアルさに、トーマスは思わず鳥肌が立った。
子供の頃、自転車が風に
同じようなことを感じたのだろう。ジョセフの、
(これは凄いな。VRMMOGだと分かっているのに、まるで本当に空を飛んでいるかのような感覚だ。ドローンのカメラをFMDでリアルタイム視聴しているような気分になるね)
という声が聞こえてくる。
マイケルは最初から歓声を上げっぱなしで、声になっていなかった。
前方、施設が次第に視界の中で大きくなってゆく。動力炉という説明があったが、それよりも施設自体が大きな発電設備のように見えた。広大な敷地の中に施設が点在している。
あちらこちらにある煙突から、白い蒸気が上空に向かって放出されていることが夜目にも分かった。それほど白いということは、外気温がかなり低いことを示している。
トーマスは自分の知識の中から、これと似たような風景を探してみる。
すると、完全に一致するというわけではないが、ある施設の姿かトーマスの脳裏に浮かんだ。
――スリーマイル島。
トーマスは頭を振って、それを打ち消す。
仮想現実世界に現実世界を持ち込んで、それを目の前の光景に重ね合わせても、全く意味がない。
トーマスの頭が少しだけ痛くなっていた。混乱した時の昔からの癖だ。
――自分はいつも、考えすぎるからよくない。
マイケルのように、時には自由奔放に振舞ったほうが良いのだろう。
そんなことを考えていたトーマスの目の前で、一機の『鯨』が下に動いた。
今まで彼らは、特に指示されたわけでもなくアバウトに編隊飛行を行っていたのだが、その『鯨』だけが明らかに意図的な低空飛行に移行し、高度を次第に下げてゆく。
動力炉の破壊ボーナスが大きいことから、トーマスとしては敵兵との交戦による装備品の消耗を避けるために、後ろから慎重についていって様子を見る作戦を考えていたのだが、その機体を見て少し気が変わった。
(ジョゼフ、マイケル、悪いが俺もちょっと様子見してくる)
(そうか、慎重派のトーマスにしては大胆な行動だね。了解した)
(兄貴、やられんなよ)
(分かってるよ)
トーマスは自機を急降下させて、先行している『鯨』の後方につけた。すると、まるで後続を待っているかのようにそれまでゆっくりと降下していた前の『鯨』が、急速な降下に転じる。それに反応してトーマスも急降下に転じた。
前を行く『鯨』は、地面すれすれまで一気に降下すると、危なげない安定した挙動で水平飛行に移行する。
――上手い!
後方からその様子を見ていたトーマスは、素直に感嘆した。さすがは選抜されてスペシャル・ミッションに参加したユーザーである。滑らかさに目を奪われそうになるほど、質の高い挙動を見せる。
それでトーマスは、敬意をこめて先行する『鯨』を便宜上『彼』と呼称することにした。男性名詞であることに他意はない。単にトーマスが彼を男と認識しただけの話である。
彼は、そのまま何の迷いも見せることなく施設の表門に到達した。
施設は高いコンクリートの壁と鉄製の表門で外界から隔離されており、表門の横には明かりを灯した守衛所がある。そして、その守衛所の中にはアジア系の風貌をした、一人の男がいた。
――男?
トーマスは頭痛がさらに増すのを感じた。
――いくらなんでも、これでは『デス・クロ』ではない。
世界観自体が完全に別なゲームになっている。そう考える一方で、トーマスは冷静に状況を判断する。
――警戒厳重な施設のはずなのに、初期の警備が守衛一人というのは甘すぎないか?
――いや、そもそも空を飛ぶことが出来る機体なのだから、施設の真上から降下すればよかったのでは?
次々と湧き上がるトーマスの疑問を完全に無視するかのように、彼は鉄製の表門をわざわざ上昇して越え、その後でわざわざ下降して守衛所の真正面に制止した。
アジア系の守衛は不思議そうな表情を浮かべる。その顔が少しずつ驚きに変化してゆく途中で――
『鯨』の下に設置されている機銃が火を噴いた。
それは十発程度の、なんともあっけないほどに短い掃射だったが、弾丸は確実に守衛の身体に叩き込まれた。
守衛所の窓ガラスが砕け、
その瞬間を見届けようとはせず、彼は銃の発射音の残響が止む前に施設の正面玄関に機体を向けた。
そして、トーマスはそのあまりのリアルさに衝撃を受けていた。それほどに守衛の表情変化は、瞬間瞬間が極めて現実的だった。
NPCの動きにそこまでシステム・リソースを割り当てているゲームなんか、彼は聞いたことがない。これまでのゲームに出てきたNPCは基本的にゾンビのように無表情で、あってもぎこちない感情表現がやっとだった。
それに、機銃の掃射を受けた後の血飛沫――これも確かに演算処理の問題であるが、変にリアルすぎる。無論、人が銃で撃たれたところを生で見たことはないが、それでも違いぐらいは感覚的に分かる。
そして何よりも、彼の無駄のない動き――最初から標的が決まっていたかように冷静に機銃を掃射し、決められたことのように機械的に向きを変えたように見えた。自分達と同じように、この世界のことを知らなかった者の動きではない。
むしろ、その非情なまでに効率的な動きは、ある種のプロフェッショナルの流儀を感じさせた。そちらも実際に体験した訳ではないが、リアル軍人が操作するゲームの無駄のない動きを見たことがある。その時の動きに、今の動きが重なった。
トーマスは何かに取り憑かれたかように、彼の後を追う。
彼は正面玄関に至ると、躊躇うことなく榴弾をそこに放り出して、『鯨』を速やかに上空に向けた。未だ衝撃から立ち直っていなかったトーマスは、彼の動きに反応することができず、玄関の前で僅かに機体を止めてしまう。
直後、玄関が榴弾によって吹き飛んだ。
トーマスの『鯨』は爆風をまともに受けて、地面に叩きつけられる。
視界が荒れ狂い、トーマスは軽い吐き気を覚えた。
機体の動きが止まっても、
(大丈夫か、兄貴!)
上空から彼の様子を見ていたのだろう。マイケルの心配そうな声が聞こえた。
(大丈夫、問題ないよ……)
トーマスは頭を振りながら答える。それに、問題の有無を考えていられる暇はなかった。今の爆発によって、事態に気がついた人々が施設のあちらこちらから姿を現わしたからである。
――このまま『鯨』を抑えられたらペナルティになる!
トーマスは全身を使ってコマンドを入力した。『鯨』の本体中央にあるプロペラが再起動し、ふわりと地面すれすれに浮かぶ。細かい出力調整で機体を水平に保つ。そして、近づいていた人間の手を掻い潜ると――
ほんのついでのように、その人間の身体を左の腹から右の胸にかけて、刀で切り裂いた。血飛沫があっけなく宙を舞う。
途端に耳の奥のほうで微かな耳鳴りがした。
「わんわん」
というその耳鳴りは、
トーマスが『鯨』を人間の手が届かない上空に浮かべ、
自分が倒した相手を見下ろし、
その相手が全身を痙攣させている最中に、
画面の右下に「1」という得点が表示されたことに気がつき、
次第に相手の動きが小さくなってゆく、
その一部始終を凝視するにつれて、
次第に大きくなっていった。
視界の端のほうでは、彼が『鯨』で人間を蹂躙している。
機銃の掃射で頭を削られた男がいた。どこにそんなに納まっているのか分からないほどの血が噴出する。その光景がトーマスの理性を掻き乱す。
彼が火焔を放射する。まるで
――彼の動きは俊敏すぎる。
――それではジョゼフ・システムより早すぎる。
――あの馬鹿げた軍のシステムが真実でない限り、そんなことはありえない。
――だから、これは現実ではありえない。
そこでトーマスの思考は完全に論理的であることを放棄していたのだが、彼自身はそれに全く気がつかなかった。
――そうだ、これは仮想現実だ。
――ただのVRMMOGだ。
――現実であるわけがない。
――だから、自分は人を殺したわけではない。
耳の奥で何かが唸っている。
トーマスは機銃のトリガーを引いた。目の前に立っていた男が、弾き飛ばされて血飛沫を上げながら壁に叩きつけられる。
やはりおかしい。人間はそんなに軽くはないはずだ。
榴弾を転がす。近くにいた人間の身体が、細くなっている部分――首や肩や足の付け根の部分から千切れて、闇に舞う。
やはりおかしい。人間はそんなに脆くはないはずだ。
火炎放射器で周囲を薙ぎ払う。燃え上がった服を脱ぎ捨てようとした男が力尽きる。
やはりおかしい。人間はそう簡単には倒れたりしないはずだ。
――手足の短いジャップならもっと素早く動くはずだ。
トーマスは涙を流し、奇声を上げながら、仮想現実世界のアジア風住民を虐殺し続ける。
*
二〇三三年十一月二十八日、協定世界時(UTC)の午前一時――日本時間の十一月二十八日午前十時を僅かに回った時刻。
新潟県上越市の直江津港に、一隻の船が着岸した。
その時点で、外から見た船の様子に不審なところは何もなかった。
その船は、中古の日本車を大量購入して大陸へと運ぶ業者の定期船であり、今まで何度も港に出入りしている。そして、乗組員達もいつも通りの無口さで、整然と仕事をこなしている。
そのため、港湾管理局の職員は誰一人として不審に思わなかった。その船倉に置かれていた不審なほどに大量な寝具や生活物資、食料品の空き袋を詰め込んだ膨大なゴミ袋の山に気づく者は、誰もいなかった。
ましてや、そこに納まっていた男達が日本の近海でその船から荷物とともに離れて、海面下を日本列島へと向かったという事実に、気がつく者はいなかった。
海から上がった男達は、脱いだウェットスーツとボンベを袋に押し込むと、それを抱えて待ち構えていたバスに乗り込んだ。彼らが力を合わせて運んだ荷物も、四トントラックの荷台に納められた。
なお、偶然その光景を目にしてしまった釣り人がいたが、彼の身体は一週間後に重しが外れて、海の底から直江津港の沖合いに浮かび上がることになる。
しかし、その時点で彼の姿を発見できる日本人は誰も残っていなかったため、彼の失踪はいまだに別な災害によるものと判断されていた。
さて、日本海から新潟県に密かに上陸し、釣り人を速やかに処分した男達は、車に乗って新潟県と富山県の県境ぎりぎりに立地していた廃工場に迅速に移動した。
彼らはバスから降りると、休む間もなくトラックの荷台から荷物を降ろして、廃工場には不釣り合いな真新しい工作機械を使って、追加部品の切り出しや組み立て作業を始めた。
この工作機械は、経営破綻した地元の企業が破綻寸前に会社名義で購入したものである。
取引先の商社は、どうしてその会社にそんな工作機械を購入するだけの資金が残っているのか正直不思議に思ったが、前金決済だったので速やかに応じた。
また、倒産後に管財人となった者は、商社の伝票にあった工作機械が固定資産台帳に記載されていない上に、実物がどこにも設置されていないことに首を傾げたが、工場経営者が失踪していたためにそれ以上追求することが出来なかった。
ちなみに、その工場経営者も釣り人と同じように、後日、直江津港の沖合いに浮かんでおり、やはり大規模災害の犠牲者数に含められている。
二人とも、確かに大規模災害の被害者であることは間違いないのだが、直接被害者なのか間接被害者なのかの違いがある。
*
二〇三三年十一月三十日、協定世界時(UTC)の午後三時――日本時間の十二月一日午前零時になる寸前の時刻。
新潟県と富山県の県境にある廃工場で組み立てられたものは、二十台ずつにまとめられて順次日本各地に向けて運び出されていた。
そして、到着した先で台の上に設置されて、静かにその時が来るのを待っていた。
それだけを一瞥すると「ただの黒い模型」にしか見えなかったが、強力な電波中継装置を積んだ車が三台(うち二台はバックアップ)割り当てられていたから、全体的にみると物々しい光景になる。
その集団の一つが福井県敦賀市の某所に停車しており、その傍らに立っていた五人ばかりの男達のうちの一人が、腕時計を見つめながら低い声で言った。
「時間だ」
それと同時に、黒い物体が低くて重いモータ音を響かせる。
それは日本全国に配られた限定フィギュアの音にとても良く似ていたが、実際にはそれよりもさらに強力で凶悪な代物だった。機体自体が、限定フィギュアの十倍の大きさがある特別製である。破壊力の差に至っては十倍では済まない。
それが男の低い声を合図にしたかのように、一斉に台座から飛び上がった。操っていた人間の殆どは、テスト版の成績によって選び出された限定メンバーである。
彼らは日本時間の午前零時に画面表示されたミッション・メッセージに有頂天になり、その後の作戦行動に多少違和感を覚えつつ、実際の戦闘描写に多少の不謹慎さと恐怖を覚えつつも、それでも作戦行動を継続した。
また、彼らはあくまでも仮想現実世界の出来事と認識していたので、これから起きる現実の出来事を予測することは誰にも出来なかった。
『鯨』全機が同じ方向に飛び去るのを見届けると、その場にいた男達は中継装置やその他の資材を全てその場に放棄して、速やかに車に乗り込んだ。それはまるで、大地震を予知した小動物が、一心不乱に海に向かって逃げる様子に似ていた。
いや、「似ていた」という表現には語弊がある。彼らにとっては、まさにその通りであった。
前日までの詳細かつ徹底的な証拠隠滅活動とはうってかわって、膨大な量の遺留品が残される。その荒地の上を風が渡ってゆく。
そして、その風は日本国内でも有数の厳重警戒態勢が取られていた施設――
関西電力敦賀原子力発電所に向かって流れていった。
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