無意味
「ようこそ、この無意味な知識の海へ」
異様な場に、どこか低いアルトが響き渡る。
弾かれたようにその声の方向を見れば女性が1人。机の上にゆったりと腰かけていた。片手に本を開き、退屈気に片肘をついてそこに顎を乗せて。
空中に舞うきらきらとした粒子の中、黒檀の髪、雪のように白い肌、椿じみた艶やかな紅唇。胸元にフリルをあしらった、どこか少女趣味なワンピースを着た女性だった。
気だるげに鈍く光る金色の瞳は、彼女が遊子であることを知らせていた。
しかし、チナミがその柳眉をぴくりと反応させる。
世界最大の図書館。知識とともに生きる魔法師にとって宝物庫と言っても過言ではないそこを『無意味』とはいかに。
「無意味とは、どういうことかね?」
「そのままの意味ですよ。私にとって、意味のない知識たち」
「君にとって、とは? 君は何を探している?」
「帰る方法を。彼のいる世界に戻りたいのです」
なのにここにはその知識がない。
嘆いたように遊子は本を放り出し、顔を両手で覆う。いやいやと子どもじみた動きで首を横に振る仕草はまるでこの世界のすべてを拒絶しているようだった。投げ出された本はそのまま白い石で出来た床に落ちるかと思いきや、途中で光にさらわれふよふよと女性から離れていく。
チナミとスクナは目を合わせる。ここには遊子に関する資料はない。当然のことだ。それらは全て、遊子の相手をすることになる魔法師たちのためにと魔法省に行くようになっているのだから。ここには遊子に関する資料は全くおいていないのだ。
むしろここで遊子に関する資料が発見されようものなら、どうして魔法省によこさなかったのかと魔法省からクレームが入ることは間違いないだろう。だから、この遊子は占拠する場所を間違えたとしか言いようがない。図書館なら知識があるだろうという、この世界の常識を知らない者からしたら当然の勘違いだった。
遊子の話を聞いて、それならばとチナミが一歩足を踏み出す。
「簡単なことだ。私たちの問詩に応えてくれ。私たちがそれに応えられたのならば、君は元世界に帰れる」
「確証は? 必ず帰れると、どう証明してくださるのでしょうか」
「それは……」
「出来ないのでしょう? ならばまた、それも無意味です」
ふうと嘆息しながら、遊子はまた近くまで浮かび流れてきた本を無造作につかんでその黒い表紙を見つめた。そこにままならない期待を見るように。すがるように。そしてそれを振り切るように宙へと放り出すと、本はまた流れに乗って離れていく。
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