期待
「何をやっているか馬鹿者! 危うく死ぬところだったんだぞ!」
低い枯れた声が怒声をあげる。ヒステリックな色を含むそれは、爪を振り上げられても微動だにしなかったスクナに対する怒りもあった。床につかんばかりに長いその絹糸の髪も激昂に逆立っているように見えた。
初日で、まだ本来であれば出勤時間ですらないのに
きりきりとつり上がった碧色の瞳に、その美貌に睨みあげられて、スクナは言葉に詰まった。
「すみません……。その、声が、して」
「何を……声?」
「はい……『帰りたい』と」
もごもごと口ごもりながらも何かを訴えかけてくるスクナ。そんな部下の様子に、チナミの頭にのぼった血が少し下がる。
いろんな声が重なって、それを告げていたと伝えると、チナミは思案した顔でスクナに問いかけた。
「
「たぶん。あの黒い虎から聞こえました」
「じゃあ、帰してやればいい。謎を解きなさい。そうすれば帰れるだろう」
「はい!」
スクナのまっすぐに見ながら目を見ながら言ったチナミに、スクナは元気よく頷いた。
「魔法師殿、無事ですか!?」
クライヴと呼ばれた大きな灰色の狼が、
彼がスクナの前で立ち止まると、軽く風が押し出して流れた。
隊長は、スクナに大きな怪我がないことを見て取ると、ほっとしたように肩を落とした。
「ああ、問題ない。あの遊子は準備ができ次第私の部下が倒す」
「部下? そちらの方ですか?」
「ああ。心配はいらん、実力は保証しよう。それよりも、被害は?」
部下と言われて胡乱気に見る隊長に身をすくませるスクナを、かばうように前に出た。一緒に絹糸の髪が揺れて。かばってくれたことや実力を断言してくれたことに、スクナはふうと息を吐いて肩の力を抜く。チナミは信用してくれている。それがうれしくて、スクナの肩の力を抜かせた。
「はい、ご覧のとおり、大広場に設置されていたウッドテーブルと椅子が全15組、すべて破損しました。それから、区切りの壁に爪痕が多数、ガス灯も7本折られました。ですが、こちらについては元栓を止めてあったので大事には至りませんでした。それと、一般人は退避させたのですが、隊員に軽傷者3名、重傷者7名の怪我人がでました。……武闘大会では毎年優勝、大統領陛下にお言葉まで賜ったことのある我々が、手も足も出ず逃げ惑うばかり。情けないものです」
「被害はわかった。しかし、言っておかねばならん。あれは天災のようなものだ。貴殿らにはどうにもできないものだと心得てほしい。……さて私は回復に向かおう」
そんなスクナを置いてけぼりに、チナミは隊長と一緒に区切りの壁の隅の方、他の隊員が集まっているところに行ってしまった。
「君、力を抜いていい。君なら確実に、私の期待に応えられるさ」
と、すれ違う瞬間、スクナの耳元で囁くように言い残して。
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