第2話祖母との留守番

「あなた、化粧けしょうくらいしなさい」

 食後、プラスティックの食器やトレイをカウンターの返却口へんきゃくぐちへ置いていた時、学食の貴婦人が笑いながら私に言った。

 たまたまその日、私はちゃんとメイクをしていなかった。いや、たまたまだろうか。そういえば大学にファンデーションを塗って来たのはもうずいぶん前のような気がする。元カレが死んでからというもの私は細々こまごまとしたことから手をくようになっていた。

 そして私は、貴婦人の一言で一瞬にして十数年前にタイムトリップした。


 たたみ、カビの匂い、窓から差し込む西日にしび木造もくぞう一戸建いっこだて住宅。

 父は9時から5時までの仕事だ。母も買い物に出かけて留守るすだった。私は小学校3年生でその日は学校へ行ってなかった。理由は覚えていない。もしかしたら学校の創立記念日だったかもしれない。とにかくある日の夕刻ゆうこく、自宅にはおさない私と当時同居していた高齢こうれい祖母そぼがいただけだった。


 祖母は居間でテレビゲームをしていた私の手を引き座敷ざしきへとれて行った。廊下ろうかを歩きながらうれしそうな笑顔で後ろの私を振り返る祖母。

素敵すてきなこと教えてあげるわ」

 畳部屋たたみべやの座敷に入ると祖母は「ほほほ」と笑ってすみにある鏡台きょうだいの布カバーを外した。こじんまりとした木製の鏡台があらわになる。ここは親戚が来たとき客間きゃくまになるが、普段は家族が外出するまえ身支度みじたくととのえる場所だ。

「くふふふ、そこにおすわりなさい」

 祖母は終始しゅうし機嫌きげんが良く、吐息といきをもらすように上品に笑いながら私を鏡台の前にすわらせた。

「さぁ、始めましょう」

 祖母はデスク型の鏡台引き出しを開け、たくさんのキラキラした小物を取り出した。

 そう、祖母は私に化粧をほどこそうとしていたのだ。


 目の前の鏡にうった8歳の私はまだ何にも染まっていない存在だった。

  

 

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