学食の貴婦人

Jack-indoorwolf

第1話チーズケーキ

 最初はあいつが私を好きだとは知らなかった。そもそも大河たいがという男を知ったのは私の女友達が彼に好意こういを持っていたからだ。彼女から面白い男がいると知らされても私はまったくの無関心むかんしんだった。


 初めて互いに視線を合わせた時も、私は大河ににらまれているのかと思い怖かった。女友達によると彼は彼なりに私に熱い視線を送っていたらしい。


 実は私は恋愛どころではなかった。私は最愛の男を失ったばかりだった。当時交際していた男が飲酒時いんしゅじ乱闘騒らんとうさわぎに巻き込まれ深夜の街であの世へったばかりだった。私にとってドラマや映画での出来事がリアル世界に登場するとは。喪失感そうしつかん孤独こどく、そして忘れられない想い出。彼を失って私はそれらにさいなまれ続けた。心が重い毎日。

 私は悩んでいたのだ。死んだ元カレを忘れて大河の誘いに乗るかどうかを。


 ある雨の日、通っていた大学でカフェテリアのおばちゃんが突然私にスイーツをサービスしてくれた。彼女は大学内でもちょっと一目いちもく置かれた存在だ。私の祖母そぼに似た彼女を、私も個人的にしたっていた。学生たちは彼女を学食がくしょく貴婦人きふじんと呼んでいた。

 

 細身ほそみの貴婦人は品良く白髪をアップにし、さりげない化粧けしょうに真っ赤なルージュ。その姿は厨房ちゅうぼうにいるまわりの太った中年女性とは明らかに一線をかくしている。彼女は私が持つトレイに重たいチーズケーキの一片いっぺんを乗せウィンクをした。彼女が私の悩み事を知っているとは思えない。驚きながらも私は学食の貴婦人に礼を言った。


 そして一人でテーブルに着きタイ風の豚肉入り野菜炒めとチャーハンを胃袋に消したあとアナログ時計の2時55分の針が形作ったようなチーズケーキを食べた。甘さの質感が満腹のはずの胃にさらに空腹を呼んだ。


 季節は梅雨真っ只中。私は一秒後すら未知の世界の大学生。人生初めての挫折を味わっていた。

 私は窓外の雨をながめながら「これからも生きていかなきゃならんなぁ」と思った。

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